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我が家の天敵・前進守備

物事が悪いほうに進んでいる時は、大抵何をしてもうまくいかない。
むしろ、その状況を打開しようと足掻いたことでさらに事態が悪くなるということは少なくない。まるで、女郎蜘蛛の糸に引っかかった蝶のように。

だからピンチの時はあえて「動かない」ことも重要だと常々思う……が、これが現実問題なかなか難しい。

「まーた前進守備」

エアコンの効いたリビングで彼が呆れたように頭を抱えた。

視線の先にある47インチ液晶テレビからは、いつも通り、プロ野球のナイター中継が流れている。
夏の球場でビールを一杯……というのも乙なものだが、いかんせん夜でも暑いことには変わりない。よって、夏場は現地ではなくテレビ観戦をすることのほうが多いのだ。

私は切り分けたスイカをダイニングテーブルの上に置いてソファに腰を沈めると、彼とともに戦況を見つめた。

巨人vsヤクルト戦の第2回戦。
東京ドームでのゲームで、6回表時点ではヤ0-巨1という状況だった。

前半はヤクルトのロドリゲス投手が好投していたものの、6回で2・3・4番にまさかの3連続四球。
無死満塁となり、ロドリゲス投手は降板となった。
続く投手は5番・坂本選手に対して右投げの大西投手。
坂本選手は右投手に.271、左投手に .315とやや左投手に強い傾向にある。(といっても怪我で離脱していてこれだけの成績を残せているのは流石である)
ビハインドゲームにもピンチにも強い大西投手がマウンドに上がるのは頷ける……のだが。

全体を俯瞰するような定点カメラは、外野手が通常の位置よりも前に来る、いわゆる「外野前進」の形になっていた。
そこで、彼の先ほどの言葉が飛び出したというわけだ。

前進守備とは、
投手(ピッチャー)と捕手(キャッチャー)以外の内野、もしくは外野、はたまた全員が通常よりも前のポジションで守備につくことである。

その目的は単純明快、
「絶対、まじで、死ぬ気で、ランナーを返したくない」の一点のみだ。

もし相手チームのランナーが3塁にいた場合、ゴロだとそもそも生還は難しいが、ボールが高く弾んだり、ピッチャーが運悪く取れなかったりした時、野手が前進していればホームに送球して1点を防ぎにいくことができる。

前進守備が敷かれる場面は、ゲーム終盤、1点ビハインド、相手打者に長打が少ないなどいろいろと考えられる。
なんにせよ、ランナーが3塁にいようが3つアウトを取ったらそのターンは強制終了するので、とにかく目の前の失点を防ぐことが野手には求められているのだ。

つまり、ヤクルト側からすれば「次の1点はやれない」という意思表示に他ならない。

「おっ前進守備、ナイスアイデア!」と思う人もいるかもしれないが、実際はそうとは限らない。むしろ、前進守備はハマればチームを救うが、リスクも大きいと個人的には思う。

わかりやすいのは外野フライだ。
ホームランになりそうな詰まった飛球は定位置もしくは外野が下がっていれば平凡なフライとなる。しかし、前進していればいるほど後ろに抜ける可能性は高くなる。
「外野の外野」を守ってくれるのは、もちろんグラウンドを囲む壁しかない。故に外野手が補給している間に、巨人のような無死満塁だと走者一掃で3点入ってしまう可能性があるのだ。

1点を守るのと3点を覚悟するのは、ローリスクハイリターンだということがわかる。

しかし、ヤクルトはその日負けると3連敗。
一昨年、去年とセ・リーグ優勝した王者が今年は主力選手の不調や離脱でまさかの5位。
しかもヤクルトの投手平均防御率は3.75と最下位なのである。首脳陣としては「そりゃ1点もやれん!」という思考になってもおかしくない。

ただ、冷静に考えると、試合はこの時点でまだ6回なのである。あと3イニングあって4番・村上選手と5番サンタナ選手にも打席がまだ回るのに「1点もやれん!」はいささか消極的だ。

坂本選手のこの打席の結果は、右中間への浅めのフライ。
ライトのサンタナ選手が捕って送球したが、3塁ランナーが俊足のルーキー・門脇選手だったので悠々と帰塁して巨人に1点が追加された。
もし前進せずにセンターの俊足且つ強肩の丸山選手が捕っていたら…と思うとちょっともったいない。

隣の彼は憮然としていたが、もう毎度のことのようで何も言わなかった。
その日は我が推しチーム・阪神タイガースの試合がなかったので、私はスイカを齧りながら続きを静観した。
彼が怒っている時は、雰囲気を明るくしようと“前進”しないほうがやっぱり良いのである。

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