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トラウマの扱い方


トラウマって何だろう?

鬱になると、今までの自分と向き合うことになる。
その過程で【トラウマ】と対面する。
トラウマは、誰もが持っているものではないとしたら?
自分が被害者だと思い上がっている人だけが持ち合わせているのだろうか?


私のトラウマ

13歳の時、不登校になった友人に会いに通った。
本を送ったり、ただ一緒時間を過ごして行った結果、約半年後に親友は少しづつ学校に通えるようになった。でもそれに対して周りの大人のコメントがバラバラだった。結果、私になげかけられたのは以下。

親友の母がくれた言葉。
「あなたのお陰で、あの子は学校にいけるようになりました。
全てあなたのおかげです。ありがとう。」

私が母からもらった言葉。
「ミイラ取りがミイラになった。」

私が父からもらった言葉。
「朱に染まれば赤くなる。」


この3者3様とも言えるチグハグに聞こえるコメント。
全く同じ時期に3人から私が受け取ったもの。


友人の元に通うようになったタイミングで、世界に嫌気がさし、私も毎日は学校に行かなくなった。
世の中にたくさん疑問があったのに、誰も何も答えてくれなかったからだ。

どうして、理由なく学校に通わなければいけないのだろう。
どうして、誰もきちんと答えを教えてくれないのだろう。
どうして、受験しなきゃいけないの?
どうして、なりたいものも決まっていないのに、とりあえずで試験勉強をするの?
どうして、みな同じでなければいけないの?
どうして、同じ制服を着て、同じ時間に登校して、同じ方向を向いて、同じことを聞いていなければならないの?
どうして、みな何も考えずに同じことができるの?


受け入れれてもらえないという経験

友人には学校に通いたくない理由があったし、それは最もな事だった。
私は目的がないのに学校に通い続けり理由がいくら考えても分からなかった。ただ通わないことが良くないと押し付けられることが謎だった。

私は決めたものには、真っ直ぐに向かって努力する。
でも目的も目標も持てないものには頑張れない。

友人が一人でいるなら、私は一緒にいる相手でありたいと思ったしそう行動した。私にとっても彼女は、世の中に対する疑問を打ち明けられる唯一の相手だった。

自分ができることをする。必要だと思うことをする。
周りが邪魔しようが、何と言われようが関係ない。

でも両親は、それを全く良く思わなかったのだ。

私が母からもらった言葉はそういう意味だ。
「ミイラ取りがミイラになった。」
→人を助けるつもりで、偉そうに動いたみたいだけど、結局自分も学校に行かなくなるなんて、元も子もないじゃない。本末転倒もいいとこ。

私が父からもらった言葉の解釈はこう。
「朱に染まれば赤くなる。」
→普段から悪しき存在の友人と関わらなければ、落ちることもない穴なのに。腐ったリンゴのそばのリンゴも腐っていく。何をやっているんだ。


子供は逃げ場がない

これが、悲しくてたまらなかった。
子供は世界が狭いのだ。学校、家族、友人これぐらいしかない。

学校でも理解を得られず、
家族をも自分を理解せず。
唯一の理解ある友人の存在を否定されることがどんなに辛かったか。
唯一の心の救いを否定されることは、完全に自分を否定されていることと同じだった。


自分を認めてもらえない。
わかって欲しいのに、理解してもらえない。
褒めて欲しいなんて言えないから言わない。
ただ、尊重して欲しかった。
でも、それが得られない。
自分には価値がない。という経験になってしまう。
自分を否定するサイクルは、こういう経験の積み重ねである。


出来事だけが原因ではない

「鬱になったのはどうして?」と、まるで鬱になった瞬間の出来事に原因を探ろうとする質問をよく聞くが、そうじゃない。

それまで生きてきたトラウマや、考え方、思い込み、背負い込んでいるもの全てが絡まって、倒れるのが鬱なのだ。

鬱の始まりは何かしらの出来事がきっかけかもしれない。
だが、根本原因は【自分を否定するシステム】が染み込んでいる可能性が大いにある。トラウマと一緒くたになってブラックボックス化して、自分の内側の深いところに沈めてしまったもの。それらを浮かび上がらせ取り出し、整理してく向き合う作業こそカウンセリングだ。



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