うらたろう再読・レビュー②

前回のエントリは此方。


此処から先の文章には大量のネタバレが含まれています。未読の方はご注意ください。


うらたろう第一幕終盤

黄泉比良坂の頂上付近、命を裏返す桃がなる木の前迄辿り着いた温羅太郎は、ちよにプロポーズする。二人共まっとうな寿命(じかん)の人間になれたら、もう一度死ぬ気で愛せるからと言い、口付けをした。
其れを見ていたちよの従者(平景清。通称ジイ)が飛び出す。桃を食べる前にプレゼントを贈りたいと言って高級そうな箱を見せたが、その中に入ってたのはちよの母親の生首だった。
幸福から絶望へと急激に転じ、ちよの中に居た妖怪の王が成長、腹を手で突き破る。実は熊童子が平景清の肉体をずっと乗っ取っており、この機会を窺っていたのだ。王の誕生と共にちよの体が爆散する。この辺は同作者のトラウマイスタの焼き直し感がある。

激怒した温羅太郎が熊童子を全力で殴り付ける。右手が捥げるが、拾って手首に着けようとしても治ることはなかった。ちよが爆死した際に被った血が、温羅太郎を不死から可死にしたからだ。
温羅太郎はちよを生き返らせることを決意するが、第一幕の終わりには一人になってしまい、虚しい叫び声を上げて物語は一旦閉じられる。


うらたろう第二幕 回生編

日本は化け物が統べる国となっていた。1年後の温羅太郎は、伸びっぱなしだった髪を切り、以前は上裸に裸足だったが上の服も着て足には拳法家が愛用してる様な靴を履いてる。天道に感謝し、生きる喜びを眩しく感じる位言葉や表情で表す様になった。まるで別人となり、そこにはちよの性格や思考をトレースしたことが見て取れる。

温羅太郎は成り行きで鬼の集団と戦うことになるのだが、戦闘中にカバンが破けてしまう。そこから落ちたのは、ちよの首であった。鬼達はそれを"妖母ちよ様の遺骸"と呼ぶ。そして、食うと力を得られる妖力の源泉と説明。

温羅太郎は鬼のリーダー、エグオの攻撃を避けながらちよの首を守るが、カバンから落とした衝撃で血が滲み出し、それがエグオの口に入る。禍々しさが増し金棒と合体、全身に目玉が複数現れる。変貌したエグオは岩山をブチ折る程の怪力で温羅太郎に金棒を振り落とすが、義手がそれを防いだ。

温羅太郎曰くそれは「心臓から送り出される血の圧力で発射される拳(けん)」、「生命エネルギーで爆裂する大砲」であり、ワイヤーで飛ばした"生命(いのち)の一撃"でエグオを倒す。
鬼の集団を鎮圧した温羅太郎だったが、倒したエグオに近付いてこう語り掛ける。

強い力を得るには最悪死ぬリスクがあるらしい。


そして温羅太郎は、7つに分かれたちよの身体の内残り6つを集める為に旅をしていることが判明。遺体を全て集めると、ちよを生き返らせることが出来る。
それを遠くから聞いてた異様な少年。

うらたろうでの俺の推しである(最近電子の海の天使(仮称)の影響で二次元になら推しという言葉を遣ったりしてる)。


うらたろうは鎌倉を目指すことにするが、壇ノ浦で不気味な少年が待ち伏せしていた。彼は妖母"ちよ"の右腕を見せびらかし、勢い良くしゃぶり、舐め尽くして見せた。
少年は平千代の兄であり平家最後の生き残り、平六代と名乗る。

六代の目的は、妹の死体を完成させ、ずっと愛で続けることだった。ネクロフィリアでシスコン(但し死んでない妹は可愛くない)というとんでもない変態である。DEATHに掛けて語尾に「デス」と付けるのはありきたりだが、この強烈過ぎるキャラにはとてもしっくり来る。

彼は子どもの頃から死体に心を惹かれており、人の頭蓋骨を持って見せたり、猫の死体と一緒に寝てたりしていた為、関わる者から避けられ拒まれてきた。そんな六代は好意を寄せてる侍女を毒殺し、座桶の中に入り遺体と抱き合ったりしてた。「"死"はボクを拒絶しない」という信念から、六代自身も死を愛していた。

生き返らせることを許せない六代と、生き返らせたい温羅太郎の、遺体の奪い合いが始まる。
六代は強力な死霊魔術(ネクロマンシー)を使うが、温羅太郎には通じない。その強さに疑問を持った六代は、ちよとの関係を尋ねる。それに対し温羅太郎は「オレの嫁だからな」と答えた。兄としてショックを受けた六代は本気を出す為に、妖母の腕を絞って血を飲み出す。

妖怪でさえ飲んだら只じゃ済まない血液を、人間が飲んだことに動揺して止めようとする温羅太郎だったが、六代は衝撃の返答をする。

「毎日飲んでますから」

マジキチ。この作者はヤバいキャラを考えるのが上手いのに加えて演出の才能にも恵まれている。
血を飲んだ六代は背中から6本の傀儡? 骨? を生やし、奇声を発しながら手刀の連撃でうらたろうをフルボッコにする。その時の顔は完全にイカれた物だった。立場が変わり、手も足も出ない温羅太郎は血塗れになって倒れる。
六代はちよの首を拾おうと歩きながら手を伸ばす。

だが、首は転がって温羅太郎の腕の中に収まる。
「"死"はボクを拒絶しない」という信念にヒビが入る。六代は一気にホラーな表情になり、「なんで!?」「なんで!?」と連呼し枯れ木に頭をぶつけ続ける。
完全に発狂し、その場から逃げようとする六代から右腕を奪う為に温羅太郎は義手を伸ばすが、死霊魔術(ネクロマンシー)により捕らえられなかった。六代は首が自分を避けて転がったことに対し、突然お兄ちゃんが現れたから吃驚したのだと正当化を謀り、またネと言って姿を消した。

連載時は週に1話なので、ヤンジャンで追ってた時は普通に平六代好きって思ってたが、単行本で一気に読むと剰りにも狂ったキャラ過ぎて流石にキチゲが貯まった。


ちよの右腕は手に入らなかったが、温羅太郎は"死(兄)"ではなく"生(自分)"を選んでくれたことに対し嬉し涙を流す。1年間の旅の中でドンドン大きくなっていく不安に苛まれて、自らの行動に疑問を抱いていたが、首が自分に向かって転がってくれたことを凄く嬉しいと言った。
正直第二幕の温羅太郎のキャラ変は、ちよが爆死したので自棄糞になった結果そうなった可能性も考えていたが、自分を偽っていた訳ではないことを知れて良かった。
5巻最後のページは、嬉しいと溢す温羅太郎と、大量の黒い蝶が飛んでいく画で締められる。純粋に美しいと思ったし、生きていく上での幸せをキャラが感じてるのも伝わってきた。


この作品で蝶が描かれている場面は他にも沢山あったが、それは作者が意図的に描いていると断言出来る。
蝶は生と死のメタファーであり、魂や不死という意味も持つ。中国では長寿の象徴とされ、日本でも蝶の文様は平家物語や源平盛衰記等にさかんに出てくる。そして蝶紋が平家の代表紋とされる。


うらたろうのレビューは前編と後編で完結させようと思っていたが、3部構成になってしまった。
あともう1個の記事で終わりにします。
こんなことなら妖怪の王のことも端折らずに、反出生主義を交えて語っておけば良かった。

居ない気がするけど、最後迄読んでくれた方的にはこのエントリどうでした? 自分では冗長かもしれないと思ってるのと、我流で文章を書いてるので変な部分があったら教えて欲しい気持ち。
今回の記事はネタバレありと宣言していたので、ここで呟いてもあまり意味無いと思わないでもないが、たとえ全部じゃなくてもnoteを読んでくれてる読者にBIG LOVEです。

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