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ダイレクトデモクラシーへの列車を逃さない方法 ベッペ・グリッロのブログより

翻訳にあたって

この原稿は、フランスのイエローベスト運動のメンバーで、ダイレクトデモクラシーを推進する学者であるラウルとクララ夫妻が、イタリアの現官房長官リカルド・フラカーロが起草したダイレクトデモクラシー改憲案の問題点を指摘したものです。先日、イタリア第1党の創設者ベッペ・グリッロのブログに寄稿されました。実は、五つ星運動が政権を獲得する前年の2017年に私は、リカルドと話す中で「80万人の署名で憲法改正のレファレンダムができるようする」と直接聴きました。なぜそれが抜けてしまったのかは分かりません。
ちょうど今から1年前、私は、台湾のフォーラムでこの夫妻と出会い、程なくイエローベスト運動の1周年に合わせてフランスを訪問、グルノーブルの自宅に泊めてもらいながら語り明かしました。その時、RICの原稿をもらい、今年の年初から翻訳を開始しましたが、その内容の素晴らしさに驚いて、ラウルの故国であるイタリア語の翻訳を彼に勧め、完成したものをベッペ・グリッロに橋渡ししました。
そもそも、リカルド改憲案は、ちょうど2年前、国会議員の350人削減案と同時に国会に提出されたものです。イタリアをダイレクトデモクラシーの国にするというのは、五つ星運動の最終目標で、国会議員の削減は、「国民が直接法律をつくる社会では議員の役割が減じる」ということの象徴に過ぎないものでした。残念ながら、その後の政変でダイレクトデモクラシー改憲は進展せず、国会議員の削減だけがまずは実現されました。
ベッペ・グリッロがこのタイミングで、ラウルとクララの寄稿をブログに掲載したことは大きな意味があると思います。次の総選挙までの2年半でダイレクトデモクラシー改憲を実現しようという呼びかけに他ならないでしょう。2019年の年頭、コンテ首相は「過去の失敗、1000人の国会議員とあまりにも弱い人びとの声を聞く手段を放置した過ちはもう繰り返さない。」と話しています。そう、やらなきゃいけない。
ベッペ・グリッロのブログは、五つ星運動を産み出しました。ブログは最高で世界9位にランクされ、ジョセフ・スティグリッツ、ムハマド・ユヌス、ダリオ・フォらノーベル賞受賞者も寄稿、今年3月には、ルトガー・ブレグマンもベーシックインカムに関して寄稿しています。私も昨年、「中央銀行によるベーシックインカム」を寄稿する機会がありました。ここでラウルとクララが加わって、フランスとイタリアの運動の交流の橋渡しができたことは私にとって望外の喜びです。これを機に、主要先進国がダイレクトデモクラシーの国に飛躍することを願ってやみません。
また、日本の人びとにも、世界のパイオニア達がデモクラシーをどのように進化させようとしているのかを肌で感じてもらえたら、幸いです。

原文はこちら

本文

クララ・エッガー&ラウル・マグニ・バートンー私たちは「RIC: 市民イニシアチブによるレファレンダムをすべてにーダイレクトデモクラシーのコア」を1年前に出版した。イエローベストの抗議の真っ只中にフランス語で書かれたこの本は、(まもなくこのブログでイタリア語で)主な主張であるダイレクトデモクラシーについて書いている。イタリアでは、この主張は数年前に五つ星運動によって街頭や世論調査に持ち込まれていた。必然として、権力の行使によって、運動はそのエネルギーをその最も喫緊な政策に集中させ、その哲学的な原則を背景に残した。この文章で、私たちはこの根本的な必要性の大切さを蘇らせたいと思う。誠実さと効率は単なる善意の問題ではない、不可欠だ。それはルールの問題だ。ルールが良ければ、人(そして政治家)も良くなる。
フランスでは、イエローベスト運動が2018年11月から毎週土曜日に交差点を占拠した。その主な要求は、市民イニシアチブのレファレンダム(RIC)と改名された人びとが主導する国民投票だ。ただし、この要求は一見するより要求が厳しいことに注意して欲しい。目標は、RIC「CARL」つまり、憲法(C)の変更、法律の廃止(A)、代議員(R)のリコール、通常の法律(L)の起草ができること。比べると、伝統的なイタリアの廃止レファレンダムは、この主張の4分の1にすぎない。現在五つ星運動によって推進されている主導的レファレンダムをそれに追加すると、イエローベストの主張の半分だ。
ほとんどのフランスの政党とメディアは、すぐに反応した。「奇妙」「ファシスト」「危険」「ユートピア」:この要求とイエローベスト運動についてまわった言葉だ。こうした言葉の結果は、前例のない武装をして、ほとんど訓練されてない警官が配置され、前例のない弾圧が行われた。:2,000人以上が負傷、そのうち82人が重傷、152人が頭を損傷、17人は目を、4人は手を失った。
このようにして問題に取り組む前に、メディアや政治家がよりよい情報を得ることは有益だったろう。人びとが主導する国民投票は、イエローベストが要求したものと同様の形式で、スイスと米国の州の半分に100年以上存在している。今日では、世界36か国、そしてローカルでは数千の地域にさまざまな形式で存在している。だから、それは奇妙でもユートピアでもない。
この多様性は、時間と空間を超えて、当然のことながらかなりの数の研究がなされ、このトピックに関する公開討論ででた質問に答えている。
RICが導入されると、何が変わるのか?それを実践している州と実践していない州に違いはあるのか?この手順で憲法を変更したり、選出された代表者を追い出すことができるとどうなるのか?
やってはいけない最初の間違いは、一般的な結果を急いで引き出すために有名な事例を選ぶことだ。例えば、スイスでは、イタリアから25年後の1971年に連邦レベルで女性の参政権が得られたという事実。それはレファレンダムのせい?いいえ、コロラドでは、イタリアの52年前の1894年のレファレンダムで、男性が女性に投票を拡大した。
別の例:米国では、死刑に関するレファレンダムは一般に廃止を拒否する傾向があるため、多くの州で引き続き法律になっている。それはレファレンダムのせいか?いいえ、スイスは1938年のレファレンダムで死刑を永久に廃止し、ダイレクトな立法がないテキサスは、米国での死刑のチャンピオンであり続けている。
こうしたエピソードの長いリストは、どんな結論を引き出す​にも役に立たないので、このテーマに関する50年以上にわたって行われた統計的な研究を深める必要がある。事実は争うのが困難な結論につながる:イエローベストは正しい。まず、RICを持っていないよりも持っている方がより良い。第二に、憲法を変更できるRICは、変更できないRICよりもはるかに優れている。第三に、RICは、義務的レファレンダムにも関連付ける必要がある。これによって、レファレンダムを行わずに憲法改正を承認することを防ぐことができる。
ここにいくつかの答えの例がある。
1.RICが憲法を変更できる場合、個人の権利は危険にさらされない。逆に、このオプションを許可する国は、デモクラシーの寿命が長くなる。
2.財政や予算の事項に関する義務的な国民投票とRICがあると、税金で選挙の客に報酬を与えるのを防ぐので、公的債務を削減する。
3.憲法上のテーマに関する義務的な国民投票とRICは、政治家の腐敗と特権を減らす。
4.憲法上のテーマに関する義務的な国民投票とRICは、特に通常最も不利な立場で批判的な人びと(若者、少数派、資格の少ない人々)の政治の満足度を高める。
5.義務的な国民投票とRICは、人びとに政治的問題に関するより多くの情報と能力を与え、連携を促す。
6.憲法上のテーマに関する義務的な国民投票とRICは、統治者と被統治者の選択のギャップを縮める。
もちろん、こうした結果はイタリアでは目に見えない。確かに、廃止のレファレンダムは、憲法改正や税制など、前向きな結果をもたらす可能性のあるところで正しい決定を下すことを止める。さらに、定足要件は、技術的に多くの人々がレファレンダムを無視するインセンティブを与え、そのため公開討論の質を殺す。
テクニカルな側面を超えて、退屈だが根本的なことは、ソリューションはとても単純なことだ。憲法の変更方法を決める条文を変更するだけだ(フランスは89条、イタリアは138条)。
この変更は2つのことを導入する:義務的国民投票(国民投票なしで憲法の変更がない)と人びとのイニシアチブ(市民は、憲法改正案を起草し、何らかの支持が得られれば、国民投票ができる)。
政治の質に対して実際に有益であるばかりでなく、これまで探求しなかったもっと哲​​学的な正当性もある。
私たちの議会政治の憲法は、2つのレベルの法律制定があるようにデザインされている:速いレベルの政府と、遅いがより代議的なレベルの議会。バランスが機能するためには、遅いレベルが速いレベルによって行われた決定を上書きできる決定を下すことができなければならない。こうならないと、たとえばシリアのように、システムは民主的ではなく、幹部によって支配される。しかし、ヨーロッパでは、形式的には、議会だけが法律を制定することができる。法律は、政令や通達よりも階層的に優位だ。しかし、このバランスは、幹部が過度の権力をもつ傾向があるイタリアやフランスを含むいくつかの民主主義国では、不安定であることが証明されている。
ダイレクトデモクラシーは、さらに遅い、より正当な第3レベル、つまり人びとが主導する国民投票を提供する。このメカニズムが(イタリアで起こっているように)議会によって下された決定よりも重要性が低い場合、それはシリアの議会と同じだ。意味がない。真のリーダーは国会議員のままだ。一方、人びとが主導する国民投票が議会の決定よりも重要な場合、(スイスで行われているように、憲法を管理することによって)、権力は実際にさらに分割され、代議員はまだいるが、もはや支配できない。これがダイレクトデモクラシーの意味だ。
最後に、イタリアに戻ろう。「自発的なレファレンダム」の準備をしたリカルド・フラカーロとその協力者たちの仕事について、私たちの意見は、特に技術的な観点から肯定する。しかし、最も重要なことは忘れられていた。自発的なレファレンダムでは、市民が議会よりも重要な決定を直接下すことができない。それどころか、議会は市民の管理なしに憲法上のテーマを管理し続けるだろう。
およそ1年前、スターたちのブログには「主権-基本憲章はいう-人びとに属する!そして、自発的なレファレンダムで、具体的に行使できるようになる。自然に憲法の範囲内で」。なぜ「自然に」なのか自問した。主権とは最後の言葉をもつことを意味し、それは憲法を変えることができることを意味する。
この目的は、私たちの意見では、ダイレクトデモクラシーの列車を逃さないためにイタリアが取るべき一歩だ。

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