見出し画像

ワセジョの敵はワセジョ

早稲田大学の女性を「ワセジョ」と呼ぶことがある。ジェンダー議論が盛んな昨今、もうそんな差別的な見方はされていないのかもしれないが、わたしが在学していた10年前は「ワセジョは女じゃない」みたいな空気が確かにあった。

なぜか。

ワセジョは、飲み会で男性がするつまらない話に、にこにこと笑ってあげることがないからだ。かといって面白い話をされたら、悔しくて、自分も面白い話をしなくてはと力が入ってしまうからだ。

あるワセジョの友だちが言った。「わたしたちは悲しきピエロ」。そう、自分をネタにし、場を盛り上げ、道化を演じ続けることのが、ワセジョの性。そして矛盾しているが、それがわたしたちのプライドでもある。


数年前、わたしは大学の友人3人(いずれもワセジョ)と旅行をした。地方に転勤した、サークルの同期(こちらは男性)に会いに行くためだ。

5人が集合すると、なんだか懐かしい大学時代が戻ってきたようだった。さっそく、地元の喫茶店に入り、腰を落ち着けて他愛もない話をする。出会いの興奮がようやく収まると、少しだけ会話が停滞するような、間延びした空気があった。

いまだ。

ハンターのように機を伺っていたわたしは、心の中でそう思い、静かに話し始めた。「そういえば、この前さあ」

わたしの話はこう続く。

わたしの会社に、いじられキャラだが本人はいたって真面目な男性の先輩がいた。仮にその人を「サイトウさん」と呼ぶ。サイトウさんはすごく丁寧な人で、いろんな作業を丁寧にやりすぎて、よく時間がかかっていた。

わたしは当時、シフト制の勤務していたので、職場のメンバー全員と毎日顔を合わせるわけではなかった。当然、業務の引き継ぎもメールで行うことになる。

ある日、わたしが出勤すると、サイトウさんの担当のお客さんから依頼を受けた。その日はサイトウさんが不在だったため、共有のために、サイトウさんを宛先にし、職場のグループアドレスをccに入れてわたしはその内容をメールした。

次の日、出勤するとサイトウさんから返事が届いていた。


「ご連絡ありがとうございます。すごく助かりました。すみません。お手数なんですが、その方がどんなニャンスだったかだけ教えてもらえませんか。」

その方がどんなニャンス……? ん、ニャンス? いきなり猫? これタイプミス? 頭の中に「???」が去来する。すると、ちょうどそこに遅番のサイトウさんが出勤してきた。

「お疲れさまです。あの、すみませんサイトウさん。メールのニャンスって何ですか?」

わたしは尋ねる。

「ニャンスですけど......え?」
サイトウさんもよく分かっていないようだ。短い空白のあと、ふと思いついた。

「え? ええ! まさか、もしかして“ニュアンス”のこと・・・?」
「ニュアンス・・・」(サイトウさん赤面)

そうなのだ。サイトウさんは30数年生きてきて、ずっと「ニュアンス」のことを「ニャンス」だと思い続けていたのだ。

文字で書く機会がなかったんですね。確かに発音だけだと「ニャンス」と誤解しちゃう・・・わけあるかあ!

全員が入ったメールのやり取りだったため、それは職場みんなが知るところとなり、その後サイトウさんは「ニャンスサイトウ」と呼ばれ、みんなからいじられることになった。

〜終〜


話し終えて、周りを見渡すとみんな腹を抱えて笑っている。しめしめ。最近起こった中で、ピカイチのネタだ。この日のために話そうと準備していた。華麗にネタのゴールを決めたわたしは、爽やかな達成感に包まれていた。

ふふ、みんなまだ笑っている。自分が生み出した笑いの余韻に浸り、わたしもいい気分だ。

するとおもむろに「そういえば、うちもな」と誰かが言った。わたしたち5人のなかでも一際“しっかり者”の子だ。一体なんだというのだろう。

「うちも後輩がな〜、電話で『そのうま伝えてください』って言うから、何や? と思ったんや」

はい。

「そしたら、『そのうま』って『その旨』のことやってん! 確かに寿司とか『旨い(うまい)』って書くもんな。だけど『そのうま』て。」

え? そのうま??? なんですかそれ、さらっと言ったのに、めっちゃ面白いんですが。

わたしたちは再び笑いに包まれた。その笑いは、彼女の何気ない話し方も相まって、先ほどわたしが引き起こしたそれより、さらに大きく、長かった。


笑いながら、半分冷静なわたしは思った。これじゃあ、わたしの渾身のネタは、この話の前座じゃないか。

どんなに深い傷を負わせたとしても、最終的に敵将の首を取ったものが真の英雄になる。完全に飲み込まれてしまった。

思わぬところに伏兵は潜んでいる。そしてワセジョの敵は、やっぱりワセジョという話。

いただいたサポートは、本の購入費に充てたいと思います。よろしくお願いいたします。