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#112 愛すべき三名言(迷言?):僕が教わった英語の先生(その2)

一昨日に続いて、「この先生のおかげで世界が広がった」と思える先生のうち、二人目をご紹介します。読者の年齢層によっては、少し時代錯誤を感じる点があるかもしれませんが、まあお許しください。



二人目:高校3年間 岩尾政利先生(甲陽学院)

僕が学んでいた当時の甲陽学院では、通常は中1から高3まで、国語・英語・数学の3教科は同じ先生が6年間担当することになっていました。しかし前回紹介した井上良二先生は我々の学年が中学を卒業した年に、カナダへ移住なさいました。
 そんな経緯で、高校から岩尾先生に教わることになったというわけです。岩尾先生は大変残念ながら2016年にお亡くなりになりましたが、先生の英語は僕の中にしっかりと残っています。ちなみにニックネームは、「鬼の岩尾」。今でも、同窓会誌などではその名称で通っています(笑)

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井上先生からの警告

中学を卒業する時、カナダ移住を決めた井上先生から、我々が新しく英語を習うことになる先生が紹介されました。井上先生が次のようにおっしゃったのをはっきり覚えています。

おまえたちは、岩尾先生という先生に習うことになる。怖いぞ……

今でも昨日のことのように覚えている……

その噂は本当で、毎回の授業ではやんちゃ盛りの男子校の生徒たちが震え上がっていました。岩尾先生自身、

僕は、君たちとケンカするつもりで授業に来てるんだ!

とおっしゃっていました。しかし、自分を指すのに「俺」とも「先生」とも言わず常に「僕」で、「おまえたち」とは言わず「君たち」を使い、とにかくダンディでかっこいい先生でした。当時乗っていた車はガンメタリックのトヨタクラウン・ロイヤルサルーン(いつもピカピカだった)、イメージとしては「村上春樹の小説に出てくる、エリート男性」という感じでした。
 小説家の村上春樹さんのお父様は実は甲陽学院の教頭先生をなさっていたので(国語科の村上千秋先生)、ひょっとして岩尾先生のことをお父様経由で知っていて、こっそりモデルにしていたのかもしれない、と思います。長編小説『1Q84』の冒頭部に登場するタクシー運転手、どう考えても岩尾先生なんだよな……車の車種も、音楽の趣味も一致するし……

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使う言葉は3つ?

僕が教員として東京の私立中高一貫校で教え始めた時、英語科の同僚と「自分はどんな英語教育を受けてきたか」で盛り上がることがよくありました。そこで僕が話したのは専ら岩尾先生の授業スタイルで、飲み会の席では僕の同僚までもが岩尾先生のモノマネをしていたものです。
 それは、岩尾先生が授業中使っていた3つのフレーズがとても特徴的だったからです。このことを書くと先生には少し失礼かもしれませんが、まあ僕も英語教育に長年関わってきたということで、天国で笑って許していただきたいと思います。

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「次!」

岩尾先生の授業では、完全な予習が求められていました。授業では窓側最前列から順番に当たっていきます。その時により、教科書の和訳だったり文法問題だったりするわけですが、予習の成果が実って正解すると、「次!」と言われて事なきを得ます。「その通り」「よくできた」とは言われません。とにかく、「次!」を得るために、毎日2時間は英語の予習をしていたのを覚えています。

「そんな英語(日本語)はない!」

ちゃんと予習していても、間違えると容赦なく叱られます。英語部分を間違えると「そんな英語はない!」と言われ、日本語訳を間違えると「そんな日本語はない!」と言われます。「訳せるものは可能な限り訳す」主義だった岩尾先生は、ある生徒が「パスポート」と言うと、「そんな日本語はない!旅券だ!」と叱られ、「ジャケット」と言うと、「そんな日本語はない!上着だ!」と叱られたのが印象的でした。英語教師同士だと、この話題で一杯飲めます🍶

「立ってろ!」

そして、もし予習していないと、3つ目のフレーズの登場です。それは「立ってろ!」で、その授業の残り時間は立ってノートを取り、授業を受けることになります。今は、生徒を立たせるのは体罰あるいは授業を受ける権利の侵害とみなされるのでそんなことはないでしょうが、当時は「立たせられてなるものか」と思い、とにかく「次!」を得ようと必死に予習したものでした。なぜか、それで力がつきました。ギリギリ昭和が終わって平成に入った頃でしたが、若い人はこの授業スタイルをどう思うでしょうか?

実際には、有益な英語の説明をたくさんして下さったのだと思います。しかし残念ながら、岩尾先生の授業で思い出すのは、「次!」「そんな英語(日本語)はない!」「立ってろ!」の3つです。発音を間違えても「そんな英語はない!」を食らうので発音もちゃんと練習し、23歳の時に生まれて初めて海外へ行った時も、問題なく英語を話すことができました。

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日本のコリン・ファース

岩尾先生からはもちろん英語をたくさん習ったわけですが、それ以外にも多くのことを教えていただきました。それは「紳士のたしなみ」とでも言うべきものだったように思います。

先生は小物がお好きでした。特に、カフリンクスとタイバー。甲陽学院は男子校で生徒は全員男子なわけですが、週内は毎日違うスーツを着て、袖元をボタン留めしていることは見たことがありませんでした、必ずカフリンクスです。タイバーも、一般的なネクタイとシャツを挟む形のものではなく、宝石の付いたピンをネクタイ部に留め、ボタンにひっかける輪っかと鎖で繋がっているタイプのものをよく身につけていました。
 生徒同士、「女子校でもないのに、なんで毎日あんなにオシャレするの?」と不思議がっていたものです。僕も後に英語教師になった時は、週内は毎日違うスーツを着て、3つくらいのカフリンクスを交替でつけていくようになりました。岩尾先生の真似をして、これという大切な日につけるために、サファイアがついたタイピンも持っています。僕の場合は女子校だったので、これらの小物にはよく気づいてもらえました✨

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もう一つは先生の教養の高さでした。ある時、英語のリーディング教材でベートーベンの楽曲のことが書かれていました。ある生徒が適当に訳して進もうとすると、「ベートーベン、ピアノソナタ嬰ハ短調だ。それくらい知っておけ!」と一喝されました。嬰ハ短調ということは、月光ソナタの話題だったのだと思います。質問があって英語科準備室に行くと、大抵はクラシックピアノが静かな音でかかっていました。「オシャレな教養人」そのままで、やはり村上春樹作品に登場するのは岩尾先生に違いないような気がします。
 いつか村上春樹さんとお話しできる日が来たら、聞いてみようと思います。ちなみに、村上春樹さんはお父様の縁で甲陽学院のイベントに登壇されることもあり、ご本人は甲陽学院ではなく県立神戸高校で学ばれたのですが、我々甲陽生にとっては、先輩の一人のような気がしています。

高校卒業段階で英語教師になると決めていたわけではありませんが、「岩尾先生みたいな大人になりたい」と思ったのは確かでした。岩尾先生の英語の発音は特にアメリカ式、イギリス式どちらでもなかったように記憶していますが、全体的な雰囲気としては、イギリスの俳優、コリン・ファースのような感じでした。

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ここまでで高校卒業となりました。改めて思うのは、母校の甲陽学院は素晴らしい学校だったということです。最近、関西在住のある女性の友人が、「私は男に生まれていたら甲陽へ行きたかった」と言ってくれたのですが、それほど嬉しい言葉はありません。いつか10万円くらいは寄付できるように、研究がんばります。

今日もお読みくださって、ありがとうございました💎
(2024年3月8日)

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