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贅沢

今日、23歳にして私は昔からの夢を一つ叶えた。
“苺1パック全てを1人で食べる”という夢だ。

なぜこんな夢をもつようになったのか。
私は3人姉妹の長女で、1番下の妹とは6つ歳が離れている。
これまで、「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい。」と余ったお菓子はいつも妹たちに取られ、私がもらったものや自分で買ったものは、「え、いいなあ!私も欲しい!」と妹たちにねだられ、少しずつ分けさせられてきた。

いつか、いつか、私は私の好きなものを誰にも邪魔されず好きなだけ享受してみたい。
そんな思いを子どもの頃からずっと密かに抱いていたのだ。

なぜ苺なのか。
それは、ただ私が好きな果物だからである。
特に深い理由はない。

綿密に計画を立て、私は子どもの頃からの夢を叶えるために動き出した。
実行は平日の昼。
まだ学生の妹2人は学校。両親も仕事に行っている。
1人スーパーマーケットに向かい、ターゲットを探した。

苺1パック540円。

普段なら絶対手を伸ばさない。
そもそもうちはあまり裕福な家庭ではないので、フルーツなんていう高級品は滅多に出ない。
少し躊躇して、フルーツコーナーをうろうろした。
キウイにするか?それともいろんなフルーツが少しずつ入ったパックにするか?

否!私は今日、幼い頃からの自分の夢を叶えに来たのだ。
値段的にはスタバの新作を飲むようなもの。
なんならスタバより安い。
そう思ったら、一気にカゴに入れやすくなった。
苺1パックをカゴに入れ、レジへ向かった。

家に帰り、苺を一つ一つ丁寧に洗い、真っ白な皿に盛りつけた。
この皿の上全ての苺が、私のもの。
1人静かに興奮していた。

1人きりリビングで苺の山と対面した時の気持ちは、うまく言えないが、この世の全てを手に入れるってこんな気持ちなんだと、たかだか540円の苺で、世界を手にしたような誇らしげな気持ちになった。

苺についた水滴がキラキラ輝いている。
一つ手に取り口に入れた。
これ全部私のもの。
その感覚が更に美味しさを助長させ、口に広がる甘酸っぱさと共に幸福が全身に駆け巡った。
苺1パックでこんなにも幸せな気持ちになれるのかと驚いた。

食べ始めてみると、苺1パックは一瞬にして消え、1人で食べ切れるのかという心配は微塵も湧かなかった。
大人になったのだ私は。

しかし食べ終わった後、なんとも言えない虚しさを感じた。
苺がなくなったからではない。
食べ始めた時感じた感動や興奮は、食べ進めるにつれてだんだんと薄れ、最後には心に寂しさが滲んだ。

苺を準備する段階で、何度か妹たちの顔がよぎった。残しておいてあげたら、きっと喜ぶだろうなと思った。
もし、この苺を誰かと食べていたら、「おいしいね」と笑い合えたかもしれない。
一人で食べることはただの消費だが、誰かと食べることは幸せの生産になる。
今日私が1人で苺を食べたとき感じたのは、贅沢であって満足ではない。贅沢が幸せの根本になってしまっては、さぞさもしい人生になるだろうと思う。

また、苺買いに行こう。
真っ白な皿を洗いながらそう思った。



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