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自分はADHDだと思っていた。①

 高校生のころ自分は本当にADHDなのではないかと思って母親に「病院に行きたい」と泣きついたことがある。結論としては、病院には行かなかったし、私はたぶんADHDではなかった。きっと今も。近年ADHDという言葉が広く知られるようになり、そしてその障害特性が多くの人に当てはまることから「自分もADHDでは?」と思っている人が多くいると思う。そんな人たちにとって何か足がかりになればいいなと思って書いています。

私は中学と高校の6年間、とにかく「確認」「記憶」ができませんでした。具体的例に親からハンコをもらう提出物があるとしましょう。するとほぼ毎回以下の状態にサイクルになってしまうのです。

親からハンコをもらう提出物を期限通りに提出するには
①配られた時点で提出期限があることを確認する。→確認したところで家に着くまでには忘れている。
②親に書類を渡す。→渡さない。そもそも忘れている。
 親に渡す。→自分の手元にはないので書類の存在は忘れている。
③提出書類をがあることを思い出し、親に催促して期限内に出そう、出そうと思う。→学校では「家に帰ったら親に言うぞ」と思っていても家に帰ったころには忘れている。
親がサインをして置いといてくれても毎回家に忘れる。
④何回も忘れるので、手に書く。紙に書く。→手に書いていることも、紙に書いていることも忘れている。
⑤提出期限を過ぎてる。→その時にはじめて提出物があったことを思い出す。OR「確認しよう」と何度も思っていたのにどうして毎回確認を忘れるのか私にもわからない。

これを延々と繰り返していました。「親にハンコをもらって提出する」一言で説明できる非常に単純な、難しくない行為も私にとっては非常に難しく、
中学から高校の間で提出期限に余裕をもって提出できたものは極めて少なかったと思います。

一見、この具体例だけだ「とただ忘れっぽいだけでは?」と思うかもしれません。しかしこの「忘れてしまう」という行為は「確認不足」が要因です。そもそも提出書類を(期限の有無とはずとにかく)提出するためには「書類をちゃんと確認する」ができていないといけません。

「ちゃんと確認する」ということは

・提出期限はあるのか?
・その書類は記入に時間がかかるのか?(たとえばアンケートだったり)
・親はすでにハンコを押しているか?
数秒にしか満たないこの「確認行為」が私にはできませんでした。

「今回こそは確認しよう。」と思ってもその「確認しよう。」という意気込みごと忘れてしまいます。配られたときに確認すればよいのですが運よく他にやることがなく先生の話を聞いていれればその場で確認することができますが、他にもやることがあったり、「あとでこれやりたいな」など目先のことを考えていればその場で確認するという選択肢は出てきません。選択肢として挙がっても来ないのです。またその場で確認してもそれを家に帰って伝えるということはできませんでした。なぜなら帰りの道中で友達とおしゃべりしながら帰っていれば提出書類のことなどは記憶の遠い彼方に放り投げられてしまうからです。「メモしておけばいいじゃん」と言われますが、メモすること自体を忘れたり、メモしていることを忘れたりとにかく学校にいる時は「確認しよう。」と思っていても別のことを思い出すとそれで頭一杯になり、少し前のことは忘れてしまいます。

こんなことがずっと続きます。「なぜ私は忘れてしまうのか。」「確認ができないのか。」「気を付けていても忘れてしまうのか。」手を尽くしても改善されない状況、頑張っているのに忘れてしまう状況、理由もわからず解決策も分からない。同じような失敗が何度も続くので高校生の時にはついに泣いてしまいました。「私はどうして確認ができないんだろう。」「頑張っても忘れちゃうんだろう。」それが辛くて死にたいと思っていました。たかが提出物ひとつで思われるかもしれませんが周りの人が当たり前に、さも当然のようにできていることができない、特別ではない普通のことができない、できない理由も分からないという状況は思っている以上に辛く心が折れるような日々でした。

それだけではありません。私は中学、高校と他にもこんな悩みがありました。
・多動・多弁→直前までは落ち着いて話そう、今日こそはおとなしく、と思っていても話始めれば忘れてしまう。
・空想・考え事を自分の意志でやめられない。→授業に集中したくても気づいたときには別のことを考えている。ずっと頭が稼働しているので夜は眠くても無音では寝れない。ラジオや音楽を聴いて考える隙を与えないようにしないと寝れない。
・時間管理・計画の遂行ができない→「先を見通して考える」ができない。
・脈絡ない会話を展開してしまう→自分の頭の中で話していたことをその続きとして人に喋るので相手は「えっ、どういうこと?」となる。

ネットで検索したらよく出てくるADHDの特徴をすべて網羅したような人間でした。そんななのでADHDの障害特性を知った時はこれで自分がADHDだと分かれば自分が何をしても直せなかったことに納得がいくかもしれない。と自分が障害を持っているかもしれないという可能性がとても希望の光に見えました。社会的には不利な立場になるかもしれない状況にも関わらず救われた気がしました。

続く

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