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たいせつな言葉で読む、たいせつな物語:『星の王子さま』広東語版 【シリーズ 香港広東語文学の世界】

広東語文学というものがあるのであれば、広東語翻訳文学というものもあっていいはずだけど、実際には海外文学が広東語に翻訳されるということはまずない。

その理由は簡単で、わざわざそんなことをする必要がないからだ。漫画にせよ、学問書にせよ、広東語ではなく標準的な中国語の書き言葉に訳してしまえば、香港の人は、大人でも子供でも基本的に問題なく読める。

むしろ標準語に訳したほうが、他の中国語圏でも、少なくとも同じ「繁体字」をつかっている台湾では、そのまま売れるので都合がいい(実際には台湾で翻訳された本が香港で売られていることの方が多い)。

だから、文学をあえて広東語に訳すということは、商業的な打算以上に、この言語に対する特別な「思い」が込められることになる。

そんな思いのこもった訳業のひとつに、2017年に出版された『星の王子さま』の広東語版『小王子 廣東話版』がある。

広東語版と銘打つだけあって、中身は当然、地の文も含めて全部、香港の人々が話すような広東語で訳されている。

たとえば、冒頭、主人公の「ぼく」が王子に出会い、「羊を描いてよ」とお願いされるシーン。

「唔該,幫我畫隻綿羊仔吖。」(お願い、ぼくに羊を描いてよ)
「咩話?」(なんだって?)
「幫我畫隻綿羊仔吖……」(ぼくに羊を描いてよ)

依頼を示す「唔該」(むこーい)といい、わからなかった言葉を聞き返す「咩話」(めーわー?)といい、正真正銘のしゃべるままの広東語だ。

ちなみに有名な「たいせつなことは、目に見えない」の部分は、こう訳されている。

 「再見喇。」佢話。(「じゃあね」、彼が言った)
 「再見喇。」狐狸都話。「我話你知個秘密啦。其實好簡單:只有用心先至可以睇得清楚。最重要嘅嘢都係無形於雙眼。」
 (「じゃあね」、狐も言う。「きみに秘密をおしえてあげよう。簡単なことさ。心でみてこそ、よく見えるってこと。いちばんたいせつなものは、目にはみえない」)
「最重要嘅嘢都係無形於雙眼。」小王子重複咗一次,好好噉記住佢。(「いちばんたいせつなものは、目にはみえない」王子はくり返して、この言葉をしっかりおぼえた)
(pp.101-102)

フランスの作家、サン=テグジュペリの言わずと知れた名作『星の王子さま』(Le Petit Prince)は、世界中の200を越えるともいわれる言語に翻訳されていて、世界中に各言語版だけを集めているコレクターもいる。中にはラテン語訳やエスペラント語訳のような古代語や人工言語の訳もあるし、方言訳もすでに多くある。中国語の方言の中でもすでに客家語版が2000年に出版されている。

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(なぜか読めも喋れもしないのに持ってる客家語版。
台湾で客家語教育用教材として翻訳されたもの。)

だけど忘れてはいけないのが、その無数にある翻訳のひとつひとつが、その言葉を母語にする人にとっては唯一無二で特別なものであることだ。

この広東語版の巻末にはコレクター向けのメモがつけられていて、広東語といわゆる「中国語」がいかに違うかが英語で解説されている。

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冒頭にかかれた序文にも、この翻訳に携わった人々の様々な想いがつづられている。

香港中文大学翻訳専攻の准教授である葉嘉は、この広東語版が、「広東語を文学作品の翻訳にもちいることが本当にできるのだ」と示した偉大な実験、だったと書いている(p.4)。この文学作品の翻訳は、これまで劇の翻案や、アニメ映画の吹き替えなどの様々な分野で行われてきた広東語翻訳の歴史に連なるものであり、「我々の母語が、話せるし、書けるし、継承することができる言語なのだという証明しようとする」作品の一つなのだ、と(p.5)。

「継承」という点では、この作品が、子ども向けの文学であるということも重要なのだと思う。この翻訳の発案者ひとりである林慧雯は、カナダで広東語を教えるようになって、子ども向けの広東語教材の少なかったことに気づいたことが、本書の誕生のきっかけであったと書いている。

言語の継承という点からみても、話すのと同じ言葉で物語を読みきかせることができることの意義はとても大きいだろう。

もしあなた自身が広東語を話せるなら、ぜひいつかこの本を大声で朗読してみてほしい。『大人ってほんとにヘンだ』(啲大人真係好奇怪)と『大人ってほんっとにヘンだ』(啲大人真係好鬼奇怪)の微妙な差異を感じて欲しい。子どもがいるなら、ぜひとも読み聞かせてあげてほしい。彼らもいつか、『たいせつなものは、目には見えない』という言葉の意味が、わかる日が来るだろうから(p.6)

「大人って」のくだりは、自分の星を旅立った王子様が、他の星のいろいろな大人たちを目にして、「やっぱり大人はヘンだ」とつぶやくシーンからとられている。王様の星、うぬぼれ屋の星、大酒飲みの星などを転々としていくにつれて、王子はだんだん強い言葉で、「大人はヘンだ」とつぶやいていく。広東語版ではこれを、形容詞の前に「鬼」という言葉をつける広東語独自の強調表現などを用いてあらわしている(「鬼可愛い」みたいな新語じゃなくて、ちゃんと昔からある表現だ)。

訳者たちが伝えたかった、目に見えない「たいせつなもの」とはいったいなんだろう。

原作では、この「たいせつなものは、目には見えない」というセリフは、王子さまとバラとの関係を象徴する言葉だった。

王子さまの星には一輪のバラが咲いていて、彼はこれをたいせつに育てていた。けれどある日、口うるさく高飛車なバラの態度に嫌気がさして、星を飛び出して来てしまう。数々の「ヘンな大人」たちの星を渡り歩いたのちに地球にたどりついた王子さまは、バラがあちこちにさいているのをみて、あの自分のバラもありふれた花の一輪でしかないのだ、と悲しい気持ちになる。

しかし、そこにあらわれたキツネが、「絆をつくる」ことの意味について、「なつかせる」(apprivoiser)という独特な言葉をつかって説明する。

きみはぼくにとって、まだほかの何千何万もの男の子とおんなじ、ひとりの男の子でしかない。(…)きみにとってぼくは、ただの何千何万ものキツネとおんなじ、一匹のキツネでしかない。でも、きみがぼくを"なつかせた"ら、ぼくらはお互いを必要とするようになる。ぼくにとって、きみは世界で唯一無二になる。きみにとって、ぼくは世界で唯一無二になる。(對我嚟講,你將會係世上獨一無二。對你嚟講,我將會係世上獨一無二。)(p.94)

この言葉をきいたあと、王子さまが再びバラたちを見に行ってみると、自分の星のバラとは全く違って見える。

そしてふたたび戻ってきた王子さまにキツネが言うのが「たいせつなものは、目には見えない」という言葉だ。それからキツネはつづけて、「きみのバラをそんなにもたいせつにしたのは、きみがあのバラのために費やした時間だよ」(令你朵玫瑰花變得咁重要嘅,係你花喺你朵玫瑰花度嘅時間。)と語る(p.100)

『星の王子さま』のなかでも最も印象深いこのやりとりを使って、広東語版の訳者である蔡偉泉は自身の序文をこう締めくくっている。

この『星の王子さま 広東語版』は、計画がはじまってから本当に出版されるまでに6年ほどかかった。この6年間ずっと、ぼくには、この願いを叶えられるかが、気がかりで仕方がなかった。それがついに叶った今となっては、ぼくは、この『星の王子さま』に、広東語でこう言ってあげたい:「きみはほかのどんな『星の王子さま』とも違うんだ。きみのためにぼくが費やした時間が、きみを唯一無二のものに変えたんだよ!」(你同所有其他嘅《小王子》都唔同,因為我花喺你身上嘅時間,已經令你變得獨一無二!)(p.9)

それは、母語として、人生の長い時間をかけて、広東語と関わってきたほかの読者にとってもきっと同じだろう。彼らにとって、この広東語版の『星の王子さま』は、ほかのどんな翻訳とも違うはずだし、同じように、広東語という言葉そのものも、彼らにとっては決して「ただの方言」ではない。

標準語を重視する国家の政策のなかでも、あるいは言語の「実用性」ばかりを重視する教育界の潮流のなかでも、この言葉と「絆を結び」、それを無数の言語の中で唯一無二なものだと考える人たちがいるかぎり、きっと、世界から広東語が消えてなくなることはないだろう。

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