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26歳無職、自身の存在理由について考える

3度目の無職になり、早くも1か月が経過した。

流石に自分の人生についてもうちょっと真剣に向き合わなければマズイなと思い、5月の中旬あたりからバイトも含めて5社面接に応募したが全滅。情けない結果となった。

本当は「働きたくない」「出社したくない」「怖いおじさんと一緒の空間にいたくない」等、雇用労働に対してネガティブな気持ちは沢山ある。だが、現実はそんな気持ちでいる人間に対して甘くない。

今、ものすごい勢いで自分の貯金が減っている。ツイートはしなかったが、実は6月の末にまた瞼の手術をした。費用は移動費込みで約6万くらい。無職で収入が無い自分にとっては痛すぎる出費だ。さらに、追い打ちをかけるように住民税、自動車税の支払いも重なった。またさらに時間が経てば国保・年金の支払いもしなければならなくなるだろう。無職でいられる時間はあまり長くなさそうだ。

瞼の手術や税金の支払いを通して、自身の存在理由について考える事が多くなった。「いったい、何のために生きているんだろう?」と預金通帳の残高が減っていくたびに考えてしまう。

残念ながら、今の自分にはポジティブな生きる理由というか、働く理由みたいなものが見つからない。自分自身のやりたいこと、好きな事と社会が求める需要がマッチしていて、楽しく働けている人は良いと思う。でも自分が働かなければならないのは「税金の支払いに対応するため」とか「家計に貢献しないと家庭内の雰囲気が悪くなるため」など義務的な部分に追われて、やらざるを得ないだけだ。

今の時代は色々便利になったことも多いけれど、普通に生きるハードルはまだまだ高いと思う。物価も税金も一向に上がり続けるし、結婚とかも無理ゲーになりつつある。

何かしら希望というか、人生の目標みたいなものを持って前向きに働けれたら良いなと思うけれど、当分は義務に追われながら働くしかなさそうだ。
ただ、地味で憂鬱で退屈な社会人生活にまた戻ったとして、いったい何を頼りに生きていけばいいのか、分からない事ばかりだ。







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