7割くらいの人は知らない中国の話 #4 中国経済発展の礎〜毛沢東から鄧小平へ〜

一年がもう半年過ぎましたって言ってくる人多すぎですよね、暦見ればわかります。やぎです。

少し前ですが、6月4日は天安門事件の日でしたね。
天安門事件は、中国の学生が民主化運動を行ったもののそれを共産党が弾圧、最終的には軍も出動し多数の死傷者まで出た事件です。
男性が戦車の列に立ち向かってる写真が有名ですね。

天安門事件は、中国ではその名前をネット検索すると規制がかかるようになっています。
なので8の2乗とか 5月35日とか呼ばれているそうですよ。
以下はスマホのカメラ性能比較(拾い画です)

天安門事件ってその日だけに民主化運動が起こっていた訳ではなく、1989年の4月半ばあたりから天安門に学生が集まるようになっていたみたいです。それで、その運動を弾圧するよう指示していたのが鄧小平という人物であります。

鄧小平は民主化を弾圧する独裁者か?

鄧小平=とうしょうへい 中国語では、DengXiaoping と読むそうです。

鄧小平は当時の中国共産党のトップです。
彼の話をするには毛沢東時代からの歴史を知っておかなければなりません。

1945年、第二次世界対戦が終戦し、中国は戦勝国として終戦を迎えました。が、中国国内では内戦が依然として行われていました。内戦の状況としては、毛沢東vs 蒋介石、共産党vs国民党
といった感じです。
1949年、この戦いに毛沢東が勝利し、中華人民共和国の建国を宣言します。

その後は毛沢東が共産党のトップとして政権を握りますが、大躍進政策、文化大革命の失敗など毛沢東時代の中国が発展することをありませんでした。

鄧小平はこの毛沢東時代の共産党の幹部でした。長年、共産党幹部として活躍していましたが、文化大革命時に毛沢東によって失脚させられてしまったため、毛沢東が亡くなるまで彼は平の党員として過ごすことになります。
毛沢東の死後は、再び共産党トップとしてその腕を振るって行きます。
経済特区を設け外国企業を誘致、技術と資本を確保。市場主義経済を導入し、国が生産を取り決めることはなくなりました。
鄧小平の活躍は現在の中国発展の礎となっていることは間違いありません。

そんな彼ですが、民主化への転換には反対でした。中国が民主化するにはまだ時期尚早で、共産党主導で国を発展させるべきと考えていたからです。決して民主化に断固反対というわけではなかったようです。

天安門事件という裏には鄧小平という優れたリーダーの存在があったわけですね。以上、7割くらいの人が知らない中国の話#4でした。

#経済 #中国 #天安門事件 #毛沢東 #鄧小平