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音楽劇「ある馬の物語」@世田谷パブリックシアター 観劇感想・第3弾(作品のまとめ&2023.07.05~07.09に想ったこと)

東京や兵庫で観劇なさった皆様、作品『ある馬の物語』から、御土産、受け取られました? え?何?そんなもの無かったよね?と思われた方々へ、受け取ったよという方々へ、そして大事に大事に御土産を育てて客席へ渡して下さった創作側の全ての方々へ、御土産について書きました。それでは、第1弾、第2弾に引き続きの、第3弾。観劇感想の最終版です。

以下、個人の感想です。


今までの観劇感想は ↓ こちらです。
作品の概要やキャスト&スタッフ情報・あらすじ、人間と所有の歴史などについては「第1弾」を、作品のテーマ(問い)について書いているのは「第2弾」です。こちらの第3弾を読まれる前に、御時間ありましたら、観劇感想の第1弾⇒第2弾⇒第3弾と読み進めて頂けると、何となく、書こうとしていることが伝わりやすいかも?しれません(^^;
各観劇感想の記事は下のアイコンから御覧いただけます。

観劇感想・第1弾(2023.06.21~23)

観劇感想・第2弾(2023.06.28~07.01)


はい、そしてここから、第三弾の観劇感想。

先ずは、無事に大千穐楽まで完走できて本当に良かったですね。関わられた全ての皆様、おめでとうございました!おかげさまで(東京公演しか拝見出来ませんでしたが)とっても楽しかったです♪ 東京公演中、何度、追い馬券をポチったことか・・・(笑)1階は前方・後方、中央・壁際、エトセトラそれに2階や3階など色々な場所から拝見しましたが、何処から拝見しても(作品として、演劇として)面白い。それだけの強さがあった作品になられたんじゃないかと思います。気が早いですが、お馬さん達がお馬さんになれる間にw、是非、再演して頂けたらと最後に願いつつ。この作品の最後の感想である観劇感想「第3弾」を書かせて頂きました。

この第3弾は、7月5日~9日(千穐楽)まで辺りの事や、作品から受け取ったものの総括(まとめ)、その他細々想ったことなどを。
(1)御土産って何?と気になる皆様へ
(2)その他いろいろ想ったことや反省
   1:サックスは木管楽器だそうです
   2:建築足場は未完な状態が持つ可能性の象徴?
   3:いくつもの三角関係
   4:一番好きかも?と思う場面
   5:手拍子が入ってた!
   6:ミュージシャンの方々も、大活躍!
   7:所有という認識や社会制度について
   8:白井さんの演出


(1)御土産って何?と気になる皆様へ


「ある馬の物語」を作品として立ち上げた全ての皆様から観客の皆様への大切な御土産。それは、ホルストメールと公爵の死後が語られた、その後の沈黙の中に込められたもの。作品を立ち上げた方々や舞台上の皆様から「(作品を通して)観客の皆様に届けたかった想い」ではないでしょうか?

その日、その劇場の中で、舞台の上も下も関係なく一体となって、共有された沈黙と、無形だけれと、そっと手渡されたような『作品を通して伝えられた想い』。
その想いを受取り御土産として持ち帰って、考えてみる。考え続けてみる。その過程の中で紡ぎ出されたものは、その後の人生の中で、自分と並走するかのように寄り添い続けて下さるんじゃないかと思います。
では、東京公演の間に、私は何を受け取ったのかなぁ・・・と考えた時。

寓話のように語られた、二つの命の最後。その後の沈黙。
二つの命の最後を思い浮かべ、自分はどうかなぁ・・・(どう死ぬのかなぁ・・・)と頭の中に思い浮かべた瞬間、自分の死が訪れるまで、どう生きたいのかなぁ・・・という自分への問い掛けに変わりました。
私が望んでいることは、本業の中で成就出来ることでもなく、自分一人では出来ないし自分の一生の中で成果が出るようなものでもなくて、身も蓋もない言い方をすると、どんなに頑張っても徒労に終わっちゃうかもしれないことなんですが、それでも、自分の中で大切過ぎて何もせずにはいられない、そういう想いが強くて、でも、殆どの方々に理解されなかったり報われないかもしれない未来に腰が引けたり心が疲れちゃったりして、自分でも覚悟が足りないというか中途半端だなぁ・・・と思っていた時期だっただけに、御土産として頂いた「問い」が、心にずーーーん、と沁み込みました。

今回の観劇御土産である「問い(=これから自分の死を迎えるまで、その時間を、どう生きたいですか?)」に対する考えや想いは、一人一人、違いますよね。でも、自分自身の人生・生き方を見つめるチャンスなんて、日常の中にそうそう無いですし(無いですよね?)、劇場の中で、命を終える人や馬の生身を目の前に感じるからこそ、自分はどうなんだろう?と思えるんだろうと思います。

初めて御覧になられた方々は、演じてる馬役の方々がかなり馬なので(笑)その凄さに驚かれたり引き込まれたりなさったかと思うんですが、全ては作品の最後の「問い」の為の、布石なんですよね。同じ時間を劇場で共有して、最後に大切な御土産である「問い」を観客の皆様に受け取って頂く為に、(馬もまた血が通う同じ命であることが)必要だったから。沢山の創意工夫だったり、創っては壊しが重ねられて実った果実のような部分を私達は楽しませて頂いているんだとも思います。実るまで、大変でしたよね?きっと。(お疲れ様でした凄かったです)

だからこそ、この大切な御土産を、忘れないで頂きたいなと、私などは思うのです。特に、東京の千穐楽や、兵庫での千穐楽もそうだったようですが、1幕最後の曲に乗って、皆様、客席も含めて、終演後に盛り上がった楽しい時間を過ごされたかと思いますが、とても楽しかったが故に(私自身も東京でそうだったんですが)作品の最後に受け取った御土産の存在が、余韻の記憶と共に頭の中から抜け落ちちゃう・・・なんてことが起きやすかったのかも???しれません(私だけかな?)。
もし、御土産をどこかに置き忘れてきちゃった方がいらっしゃいましたら、これからでも遅くはありません。作品を想い出して、最後の沈黙を反芻すれは、そこにまた、御土産で受け取った作品の「問い」が自分の中に見つかるはず。どうぞ、大切な御土産である作品の「問い」を、見つけてあげて下さい。
そして、毎日の中で疲れちゃったり苦しくなっちゃった時があったら、御土産を想い出して、自分にとって何が大切なのか、自分の中からだったり、自分の外からだったり、芝居を観るかのように自分自身を観察してみたりして、何か違うものが見えたり気付けたりしたら。そんな風に演劇が人生と共に在ったらいいんじゃないかなぁ・・・豊かな人生になるんじゃないかなぁ・・・と思います。どうですかね?


(2)その他いろいろ想ったことや反省

その1:サックスは木管楽器だそうです(間違えてました ^^;)

以前書いた観劇感想の第2弾の方で、サックスを金管だと(先入観で)思い込み、金管金管と書き連ね(今は修正してあります 冷汗)、大変失礼致しました。楽器の区分的には、本体が金属でもリードを使う楽器は木管楽器に区分されるそうです(凄く大雑把な説明で、すみません)。
今回、部分的に打楽器の音なども聴こえたような?(マチエを追う場面の冒頭など)気がしますが、基本はサックス4本。ロシアで上演された時の音楽と、今回、国広さんが新たに作曲し追加された曲の両方があるそうですが(トークショーより)、どの曲が元々で、どの曲が国広さんの作曲だったのか?私などは今でも判りませんし、それぐらい、作品に馴染んでらっしゃのかと思います。劇場で音源を販売なさってたら買ってましたね(^^)
(今からでも遅くないのでオンライン販売なさいませんか・・・???)

その2:建築足場は未完な状態が持つ可能性の象徴?

世田谷のトークショーの時だったかな?と思いますが、演出の白井さんは、当初の上演予定だった2020年にKAAT(当時、白井さんはKAATの芸術監督でいらっしゃいました)で「ある馬の物語」の打合せをなさっていて、偶々、打合せしていた場所から見えた隣のホテルが修繕工事中で建築足場が組まれていたらしく、そこから今回の美術のイメージが浮かばれたそうです。
ここから先は私の勝手な想像ですが。
工事途中の建物は、当然ながら未完で、未完ということは、これから良くなっていく可能性がある存在の象徴なのかなぁ・・・と、世田谷パブリックシアターの袖舞台を全開にした迫力ある建築足場を見上げながら想像していました。(余談ですが、世田パブの舞台両袖&奥、凄い迫力ですね)
人は誰もが未完で、誰もが変化していく可能性がある。
そう思ったら、ワクワクしますよね?(しません?)
誰もが、自分の人生の中で今日が一番若いんですから、思い立ったが吉日という言葉もあるし、やってみてだめだったら、また創り直せばいい、そんな風にも思える美術で私はとても好きでした。

その3:いくつもの三角関係

「ある馬の物語」の中で、ホルストメールを中心に、いくつかの三角関係がありますよね。例えば、下記の3つの三角関係。
①公爵・馭者・ホルストメール
②ミールイ・ヴャゾプリハ・ホルストメール
③厩頭・馬番・ホルストメール

これらの三角関係を上手く使って、トルストイが象徴的に語ってることがあるように感じました(劇中、何度となくトルストイが語ってるように思えたんですよね)。
例えば・・・
①は、権力や暴力ではない、理想的な所有する側される側の関係
②は、容姿(美馬か斑か)や性別での差別(ある種の所有)や支配欲の関係
③は、権力や暴力で、より弱い立場を支配(所有)しようとする関係
特に①と③を対比して描くことで、この世に生きる上で逃げようのない「所有」というものと、特に社会の中で、どう付き合ったら互いに幸せな人生を生きられるのか?という見本のように①の三角関係をトルストイが描いたんじゃないかな?とも思います。
ただ、一見、模範的な所有者と思われた公爵でさえ、自分の所有欲が満たされないと判った時に今までの鷹揚さを失い、自分勝手になっていく。そう在り続けることの難しさも同時に語っているのかな・・・とも思いました。
その様子(=関係性の変化)を的確にみせて下さっていたのが、後ろで佇んでいるフェオファンの変化で、限界ぎりぎりまで走ってるホルストメールになおも鞭打たせる公爵の姿に(この人も他の貴族と同じなのか・・・)と顔が強張り、限界を超えて倒れてしまったホルストメールに更に鞭打つ、その容赦のない姿に心が完全に離れてしまった、その表情で幸せだった二人&馬の幸せな三角関係が完全に崩壊したことが察せられました。後方だし、無言だし、手前に(泡を吹いたように)倒れたホルストメールはいるし公爵は激怒なさってるし、目が3つくらいないとフェオファンの変化に追いついていけなかったりするかもしれませんが、トルストイが所有というものについて語りたかったことを伝えてる大切な役柄だったように感じました。

その4:一番好きかも?と思う場面

好きな場面が沢山あった作品なので「ここが一番好き!」と決めるのは難しいんですが、他の場面の「好き」とは違う、何とも引き込まれる場面がありまして、それは、処分されてしまったホルストメールが「人間ほど・・・」という歌詞の中で、馬でもなく人でもなく、元・命だったもの・・・魂と言ったらいいのでしょうか・・・、無言で正面に向かってきて観客側と相対する場面です。
魂そのものは無言なのに、とても雄弁なように感じられて。
馬として生を受けて、偶々、斑だっただけのことで、世界一の歩幅を持つ駿馬だったのに、不条理な差別と人間の身勝手で命まで奪われた。この魂を見てるお前たち(=観客ですね)は、俺ほどの運命を背負わされていないのに、ちゃんと生きてるのか?と見透かされているようにも思えて、背筋がゾワっとした時があった場面でした。

その5:手拍子が入ってた!

偶々、タイミングが合っただけかと思いますが、こちらの観劇感想の第2弾の中で「ここで手拍子したいけど・・・(歌があるし御迷惑になってもと思い自粛中)」と書いた1幕最後のソリの場面(シーソーって書いた方が伝わりやすいかも?笑)。
あの、徐々にアップテンポになって躍動感が増してくる感じが何とも楽しくて、描写的にもロシアの雪が積もった街の中を公爵の素敵なソリが颯爽と走り抜け、それを見掛けた街中の人達が歓声を送るようなシーンでしたから、丁度、その街中の歓声のように手拍子が入ったら場面的に似合うんじゃないかなぁ・・・と思ってたんですけど、如何せん、手拍子の場合は最初の一人になるのって、結構、勇気がいりますよね(笑)
その観劇感想を公開したのが7月3日(休演日)で、4日は私、観てないんですが、5日のソワレを拝見しに伺ったら、1幕ラストのその場面で1階の後方から手拍子が。(わ~~~!手拍子入るようになったんだ~!)と驚きつつ、さっそく共に手拍子させて頂きました(やっぱり手拍子があったほうが楽しい!ですよね ♪)
あの曲調ですしね、それから手拍子なさる方々が増えて、東京の千穐楽までは、多分毎回、手拍子が起こって、舞台上のソリ御一行の皆様と一緒にロシアの街の中に居たような気がします。こちらも楽しい場面でしたよね。公爵様の「休憩~」も併せて(笑)

その6:ミュージシャンの方々も、大活躍!

もちろん、演者の皆さんも、スタッフさんも(特に後ろでシーソーを上下して下さっていた方、本当に御疲れ様でした!)大活躍でしたが、ミュージシャンの方々も大活躍でしたよね(^^) 2幕冒頭は客席からと舞台上からの2方向からサックスの音が重なり合って劇場内一体化!(^^)
そして私、バリトンサックスの音だったり楽器の形状だったり、初めてまじまじと拝見&拝聴したかも?しれません。テナーサックスとかアルトサックスは比較的お目にかかる機会がありますが、バリトン!さすがバリトン!の重低音(お~!)
音楽劇と冠する「ある馬の物語」に音楽の魅力を存分に注ぎ込んで下さった作曲の国広さんとミュージシャンの方々にも感謝を ♪ (楽しかったです!音に、曲に、とてもワクワクしてました ^^)

その7:所有という認識や社会制度について

人が物や生き物を所有したり
人が人を所有したりする(奴隷制度なんて正にそれでしたよね)

際限の無い所有欲や支配欲の先にあるのが、植民地化による奴隷制度だったり、戦争などによる侵略だったり、しますよね(今、正に、世界がそうなってしまっていますが・・・)

身近なところでは家父長制度だったり、夫婦同姓が主流だったり。
未だ、ガラスの天井と以前から言われているような無言の性差別が続いていますし、家族の中にだって、そうした無意識の不公平が根強く残ってるかもしれませんよね(世代によっても、随分と違うでしょうが・・・)

「ある馬の物語」は、馬が馬だったとか、馬が凄かったとか(確かに凄かったけど)、でも、トルストイが話したかったのは恐らくそうしたことの方じゃなくて、生きるもの同士が、自分以外の誰かを自分のものだと思う、その不遜な考えの方で、良好な三角関係(公爵・馭者・ホルストメールの幸せだった2年間)でも、互いに互いを思いやらなければ簡単にそうした関係は壊れて不幸になってしまう、そうした事だったように思います。

歴史的に、家父長制度に代表されるような「誰かの支配下」と捉えられがちな社会制度が残ってしまっていますが、それは、そうした制度があった方がが社会全体が幸せになれるからじゃなくて、単に、政府などが(税金や戸籍などの為に)管理しやすいだけのことなんですよね(会社などの組織と一緒)。

以前から、そうした弊害が表面化し続けているけれど、一方で、既得権益を持っている側(家父長制なら当主、会社組織なら上層部)はそのことの是非さえ疑問にも思わないし、社会通念上、支配される側に立たされている人達の立場に立って考えてみようとはしない方々の方が、まだ、圧倒的に多いですよね。
そういう(支配側の)方々にこそ、この「ある馬の物語」を見ていただいて、この物語の中を通して、他者を暴力や権力で押さえつけたりすることが、どれだけ人として醜いか?少しでも気付くきっかけになったらいいなと思うし、そうした小さなことの積み重ねで、ひいては社会そのものが変わっていったらいいのになと思います。

その8:白井さんの演出

東京の初日に拝見した時、終演後、心の中の第一声はこれでした。
(白井さん、チャレンジャーな演出なさったなぁ~~~~驚)
稽古場や、劇場での舞台稽古では、決して作品が立ち上がらない。
何故なら、観客の想像力ありきでの演出(ソリの場面なんて、正にそれですよね)だったり、この作品の「問い」を観客が受け取ってくれるだろう・・・という前提での演出(2幕のラストが正にそれかと)だと感じたからです。
初日の幕が開いて、観客が入って、初めて作品が立ち上がり始める。
そうした意図を感じた時、ほんと、チャレンジャーだと思いました。
同時に、その日、その日に訪れる観客の皆様を信頼して作品を託して下さったのかな・・・(ですかね?)とも思えて。
それならば、どうにか、観客の一人として応えたいじゃないですか。この初夏の東京の中で、雪が積もったロシアの街中を、世界一の歩幅を持つホルストメールが大好きな公爵や馭者と疾走する幸せな光景を、舞台上と客席で共に描きたいじゃないですか。
ちょっとだけ時間がかかりましたけど、描けたんじゃないかな、と思います。劇場にいらっしゃる皆で、一緒になって、互いの脳内に。演劇でしか出来ない、楽しい時間でしたよね。ありがとうございました。



東京の世田谷パブリックシアターで18公演、兵庫の県立芸術文化センター(中ホール)で2公演、全部で20公演。
特に馬役をなさった皆様は肉体的にもハードだったかと思いますし、ちょっとしたことが事故につながりかねない作品でもあったように見受けられたので、誰一人欠けることなく上演することが出来て、本当に良かったなと思いますし、それを支えて下さっていたスタッフの皆様にも深く感謝申し上げます。
東京のトークショーの時だったでしょうか、この作品を気に入った方は追いチケで・・・なんて御話も出てたのですが、観れば観るほど楽しくて、追いチケならぬ「追い馬券」をポチポチ、ポチポチ、しちゃいました(笑)
この作品、ほんと、どこから見ても楽しいんですよね、それぞれの良さもあって。個人的に予想外に面白かったのは1階後方の壁側の御席でして、2本通路の出入り全て両隣の方の御迷惑を考えることなく全部拝見できて、堪能させて頂きました(^^)

兵庫は残念ながら伺えなかったのですが、東京で皆様の完走を願いつつ、こんなものを。3枚のレモンのように、公爵と馭者とホルストメールだったり、ミールイとヴャゾプリハとホルストメールが、ずっと仲良く過ごせたら良かったのに・・・と思うと切なくて。

完走祈願のウマウマ旗

世田谷パブリックシアターさんの主催公演ですと、再演が頻繁に行われる・・・という印象があまり無いのですが、この作品は、これから社会に出る学生さん達にもうってつけですし、どの世代の方が御覧になられても面白いと思いますので、是非、今回馬を演じられた皆様が馬でいられる内に(^^;、もう一度、「ある馬の物語」に出会いたいなと、願っております。

最後に、再演を願って、公式さんが公開して下さったトレーラーです。