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「アンチポデス」@新国立劇場小劇場 2022.04.24マチネ(千穐楽)

15日ソワレに引き続き、2度目の「アンチポデス(地球の反対側の意)」でした。約10日の間に随分と受ける印象が変わりましたね。全体的にテンポよく軽やかに喜劇的な面も表に出てきた感じでしょうか?
観客側と会議室の距離感(実際の距離ではなく対人的な距離感)も変わったように感じます。前回に比べて2~3歩?下がって、個人の話では無く「そういう人達」といったような寓話性を少し高めたことで、作品から受ける印象が変わったように感じました。
その辺りを千穐楽の観劇感想として書きたいと思います。


ちなみに、こちらが4月15日ソワレの観劇感想です。



4月15日の初見時は、(私だけかも?しれませんが)会議室に集まった人達、一人一人に心を寄せてしまったが故に、例えばダニーM2さんの場面などを拝見していると心が痛くなってきて、最後にドーンと沈む感じを受けたんですね。会議室で起こった各種のハラスメントの印象が強くて、観客も共にダメージを受けてしまう。それ故に、作品に対して拒否反応が起きたり、各種ハラスメントの先にあったであろう作品のテーマに気付きにくかったりしたのかも?しれませんね。

じゃあ、作品のテーマは何かな?って考えた時に。
私が15日の時点で思ったことは、↓です。

そんな社会を変える術こそ、物語(=想像力)なんじゃないか?
そして、想像力を育てるものが「演劇」なんじゃないか?
と劇作家に言われて、顔を見合わせながら頷いたような、そんな感じ

今回も、同じようなことを作品から感じました。
でも今回は、あえて、観客の心が会議室に集まった人個人個人に寄り添い過ぎないように、全体的にテンポよく、観客の意識を少し会議室から離すように芝居が調整されていたのかな?とも感じました。

例えば、「サンディー寄り派(ダニーM1、デイヴなど)」、「中間派(アダム、エレノアなど」、「相容れない派(ダニーM2)」のように考え方が似通った人達(何かが起こる度に目配せして状況を確認し合う人達)に分かれていて、そのグループがどういう反応をするか?という変化を通して作品を感じていくような。

そうすることで、共感し過ぎることなく、目の前の事故というよりはニュースを見るくらいの距離感で、今(会議室の中で)起こっていることを客観視できるようになったんじゃないかと。そうした距離感になることで、前回は感じ難かった喜劇性が表に出てきた、そういう効果もあったように思います。

会議室の中だけでなく、私達、他人様(ひとさま)の事なんて、よく解らないですよね?
まるで地球の反対側(アンチポデス)にいる生物みたいなもの。
それが何なのか?それを知る為に、互いに互いの物語を語ったり聞いたりするのかな?とも思うんです。
でも、その物語を聞く時や語る時に、より真意を伝える&伝わる為には「想像力」が必要で、その想像力を伸ばす為に「演劇」はあるんじゃないかな?という劇作家の言葉が聞こえてきたような気がしたんですよね。

勿論、作品の切り口によって、色々と見えてくるものが違うでしょうから、劇作家の他の言葉を聞いた方もいらっしゃったかもしれない。そうした時に、互いに「言葉」を通して伝えあうことで、新たな気付きが生まれたりするんじゃないかとも思いますし、そういう行為自体が面白いんじゃないかな?とも思うです。

15日の公演は公演で、作品の一つの在り方だと私は思います。
でも、より多くの観客と共有するには、あまりに心が痛む。
では、より多くの観客に心を開いて貰う為にはどうしたらいいか?
それが今回の印象の変化(寓話性、喜劇性)の意図かな?と思いました。


プレビュー公演や本公演の最初の方が公演中止になってしまったので、あまり反芻できる機会もなく、自分が感じたものに手応えみたいなもの?(笑)も無いんですが、こうやって考えること自体が好きだし面白いなとも思うので、また(民間の商業演劇では取り上げにくいような)演劇として面白い戯曲に出会える機会を楽しみにしております。