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「vitalsigns」@サンモールスタジオ 2021.12.25ソワレ

パラドックス定数さんとの出会いは前回の「プライベート・ジョーク」からなので、ごく最近。その時点で「次回新作が予定されています」とのお話があったので、今回の公演(新作)を楽しみに伺わせて頂きました。私は今回の戯曲もとても面白かったですし、舞台自体も楽しませて頂いて、今も戯曲を読み返しながら色々と考えていたりします。
私は「あらすじ」とか「配役」とか資料的な部分を書くのが面倒なwタイプの人間なので、以下はいきなり「観たことに対する感想」から始まります。なので、実際にサンモールスタジオで御覧になった方々じゃないと下記をお読みになっても(何のこっちゃ?)かと思います。なお、個人の感想です。


動物としての人類と、人道的に人を人たらしめてるもの、その違いはどこにあるのか?』そう、戯曲を通して問われたように思う。

「人」という生き物は、地球上に生きる生物の中でも、とても自分勝手だ。
そもそも、地球で生きる生物の中で、自分達「人間」が一番優れていると勝手に思っている。
しかも、人間は基本、自分が大好きで、自分に近いもの、例えば同族(仲間)意識を持てるものが好きだし、自分と自分の好きなものだけが大切にしがちだ。一部の人間たちは、そうした人間の特性が「差別」や「偏見」の元になっていると指摘し改善が必要だと唱えているけれど、少なくとも「歴史」というものが残されるようになってから数千年経つけれど、大きな進歩や改善が見られた形跡はない。もしかしたら、そうした傾向は「種の保存に近い本能的な部分」なのかも?しれない。

本能だから、後天的に得た知識や理性で「(未知の者も)受け入れるべきだ」とは思っても、やはり自分と違うものが苦手だし、自分の理解を超えるものはもっと苦手・・・というより知ろうと努力しないで嫌ってしまう。嫌いというよりは「理解出来ないもの」自体が怖い、のかも?しれない。
怖い。その恐怖心が、自分が理解できないもの、未知のものを、排除しようとしてしまう。そして最終的には相手へ攻撃を行う。「保身の為」という自己弁護で自らの行動を「正当化」しながら。

しかし、そうした人間という生き物の中からも、その「正当化」された「他者への攻撃」はおかしいのではないか?という疑問を持つ者が現れる。

人間が本来誰でも持っている能力である「想像力」を使い、「未知の者達のの考えを想像してみる」ことで、「自分と違うもの」を理解しようとし、「未知の者達」との共存を図ろうとする。

自分が理解出来ない者達を排除する側が多いのか?
それとも、理解する努力によって共存の道を探る側が多いのか?

結果は「多数派の方向に進むという数の論理」になってしまうのかもしれないけれど、それでも「数の論理」よりも、もっと「人として大切なもの」によって結論を導きだそうとする「ヒトが持つ良心」を信じる時、その未来には「互いの理解と共存」が生まれるという可能性があり、人は、未来におけるその可能性を「希望」と呼ぶのだろうか。

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自分自身、それなりの年齢になってきて、自分の努力で何とか出来ることが増えてきた半面、自分自身の力ではどうにもならない事(未知数な部分)に遭遇することが起きて、「自分の未来」に悲観的な予測を抱いて心が疲れてしまっていた時期だったんですね、ちょうど観劇していた時が。
でも、未来における未知数な部分は「未来への希望」でもあるのだと、この作品を拝見した後に思えるようになって。作品に「希望を持とうよ」と励まして頂いたような気持にもなったんですね。(感謝)

深海から地上に上がるという「自分を取り巻く世界の大きな変化」。それは、100年に一度と呼ばれているパンデミックが起きている『今、私達が生きている「現在」』も、そうした「大きな変化」を迎えてる時期なのかもしれませんね。その中で、私達は「大きな変化」に適応する為に自身も「変化」しようとしているのでしょうか?

「変化しようとして変化する」のか?
それとも
「結果的に変化していた」ことが後から判るのか?

それは後の歴史が検証することで、今、変化の過程の中にいる自分達にはわからないことなのかもしれません。
でも、既に起こり始めている「大きな変化」ならば、未来への可能性である「希望」を信じ、一歩を踏み出したいですよね。

それは、「演劇」という「人間の想像力を養うもの」を創り続けている方々も、劇場で「演劇」にふれることで「未知のものを知り、想像し、共存の道を探そう」とて考え続けている観客達も、環境の「大きな変化」の中で、互いに未来における可能性という「希望」を信じ、変化に適応しようと一歩を踏み出していることに違いはないのではないでしょうか?

今。
それぞれが、それぞれの立場で頑張っていることが
無駄ではないと信じたいじゃないですか。

「人は変わる」
「未来は変わる」
その可能性を信じられなきゃ、未来に「希望」なんて抱けない。
少なくとも、自分も皆も、今まで変わってきたし
だからこそ、「人は変われる」「未来も変わる」って信じられる・・・と言うより「信じたい」と願っちゃうんですよね。

そう勇気づけられる作品でありました@私にとって。
また近い未来で、パラドックス定数さんの舞台を拝見出来ますように ♪