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物理のシンプルな問題に見る、わかる事の難しさと論理の重要性

答はBで、物体には重力以外の力は加わりません。微細な空気抵抗や、もっと微細な電気的な力やその他の力を除けば。
正しい説明も非常にシンプルです。

力は加速度に比例する。
Aの場合は合力が0になるように見え、物体は等速直線運動を続ける。
Cの場合は合力が上向きであり、物体は上に加速して進んでいく。
A,B,Cの3つの中で選択するとすれば、その合力が加速度に比例する以上、B以外はありえない。

でも、これ、難しいですよね。
何が難しいって、正しい答えを選ぶ事以上に、適切に説明をするという事がとても難しいです。このツイートのツリーにぶら下がっている回答の"説明"には誤っているものが散見されます。
例えば、慣性の法則について言及しているもの。慣性の法則というのは、物体に力が加わらない場合の動きのことを具体的に述べ、また物体に力が加わる場合には等速直線運動にはならないという事を述べているだけで、慣性の法則から"直ちに"Bである事がわかるわけではありません。同様に慣性という言葉で説明しているものも誤りで、慣性というのは「力が加わっていない物質が等速直線運動を続ける性質」の事を言うのであって、力が加わったときの動きは慣性では全く説明ができないからです。(等速直線運動をしない、という事以外は。)
力という語を使って、運動量に言及しているコメントも説明としては誤りです。初等的な力学において、日本語で力と翻訳されてしまったForceという概念は加速度に比例するものの事であって、エネルギーEnergyやエネルギーを単位時間あたりに提供する能力Powerではないし、速度に比例する運動量Momentumでもないのです。
このノートでは、以下、「個人的にどうやってこのような誤りを防ぐか」という具体的な方法をテーマとして、初等的な物理がうまく伝えきれていない事について述べます。

真の物理法則には例外は無い

ニュートンの運動3法則というものがあって、そのうち第2法則と呼ばれるものがあります。いくつか同等な表現の言い換えがありますが、一般的に次のような内容になっています。

質点の加速度 a は、そのとき質点に作用する力 に比例し、質点の質量 mに反比例する。

wikipedia

この法則をご存知の方も少なくないと思いますが、この法則は
「ある物体に加わる力(合力)が加速度に比例する」
という事を、我々の身の周りのあらゆる物事について主張しているのです。(ただし、厳密にこの言い回しだけを根拠とするならば、その物体が「質点」として扱える場合に限って、ですが。)
この法則をご存知だった方、太字の部分を意識して考えた事はあったでしょうか?
この法則があらゆる物事に適用可能であるという事と、物体の位置・速度・加速度の間の関係性の2つの事を理解していれば、冒頭の問いにきちんと答えられるようになります。つまり、

・コインの加速度は、コインに加わる力の合計と比例する。
・コインの加速度は、速度の変化率を表す。
・もし力の合計が上向きであったとしたら、速度が上向きに増していくという事なので、他に何も力が加わらなければどんどん速度が増えて上に進んでいくことになる。
・もし力の合計が0であったとしたら、速度が変化しないという事なので、他に何も力が加わらなければ同じ速度で上に進んでいく。
・もし力の合計が下向きであったとしたら、速度は下向きに変化していくので、はじめ上向きだった速度がやがて下向きに変化することになる。

かつての自分を振り返ると、私は「他に何も力が加わらなければ」という部分をあまりきちんと理解できていませんでした。力学でなんとなく問題を解くとき、与えられた条件を公式に当てはめて解いていましたが、「もし物体Aの加速度が決まっていれば、対応する力(合力)も決まる」という事を概念として理解できていませんでした。
ここで、私が上で太字にした「我々の身の周りのあらゆる物事について」という箇所を少し思い出してください。ニュートンが示した運動法則はりんごにも地球にも、人体にもボールにも当てはまります。それは私もなんとなく分かったつもりでいましたが、それだけではありません。りんごとか地球とかの物質だけではなくて、力とか加速度というモノについても当てはまることなのです。
そのような意味で例外がない、ある意味で絶対的な法則であるということ。それが理解できていれば、冒頭の問題は答が一瞬で分かるもので、また正しい説明もすぐにできるのです。
しかし、一般的にはそうではないようです。冒頭の問題のツリーを見ればわかるように、答があっていても説明がちぐはぐなパターンというのが沢山あります。私が思うには、これには2つの問題点があります。一つは初等物理において概念をうまく伝えきれていないこと。もう一つは物理現象の説明に非論理的な推論を適用した結果、誤った結論を導き、それをそのまま他者への説明に用いてしまっていることです。

重要な概念をうまく伝えきれていない初等物理

まず、上記1つ目の問題点について。
物理学を学ぶことには、いろいろな意味があると思います。例えば、電気に関する単位や計算方法を理解することで、600Wの電子レンジと1500Wのドライヤーと1000Wのポットを同時に使うとブレーカーが落ちる可能性がある、というような一般生活に使える常識を身につけるという意味もあるでしょう。自動車学校で習う、速度が倍になると制動距離が二乗の4倍になる、という事も初等的な物理学で説明できます。
しかし、そういったレベルを超えて、「この世には万物が従う普遍的な法則が存在する(と思われる)」という世界観を伝えることにこそ、物理学を学ぶことの重要な意味があるように思います。
個人的には、今回の話題に関連する箇所でいうと、ニュートンの運動法則において力が加速度に比例するという"定義"の意味、つまり物体と物体の相互作用の本質は速度の交換ではなくて加速度の交換にあるという踏み込んだ思想まで高校で伝えきれるとよいと思っています。しかし、それは現実的には難しいと思うので、とりあえず第2法則の適用範囲や速度・加速度という基礎的な概念の関係性ぐらいは、もっとうまく伝えられるとよいのではないかな、と思っています。
これは、学ぶ人の姿勢とかとは別次元で、物事の教え方としてもう少し何か改善してほしいなあと思っています。元ネタがアメリカの大学なので、決して日本の教育固有の問題ではなくて、もっと深い問題だとは思いますが。

論理的な推論と非論理的な推論の区別

では、2つ目の問題点について。こちらは、物理の教育の問題という事ではなくて、個人としての振る舞いについてです。
冒頭で誤った説明をしている人は、この物理の問題について「何らかの根拠となる少数の法則から論理的な思考によって答を出した」のではなくて、「答そのものを暗記していた」か「論理的ではないがそれっぽく感じる、全く関係ない・誤った説明をもとに答を導いた」といった手法によって正解を導き出している事になります。
一般的な生活を送る上では、非論理的な推論というのは重要な推論方法ですが、今回の話題のように物理的な事実についての考察をする場合には、論理的に正しさを検証するという事が不可欠です。特に、(単に思いつきを記したという事ではなくて)他人にわかりやすくメカニズムや理由を説明しようという事であれば、論理的な検証を欠かすことはできません。今回の多くの誤った説明に関しては、論理的にきちんと考えれば妥当性がない事はすぐに分かるものだったので、そのような検証を自分で行うようにする習慣を身につける事が重要と思います。

賢人アリストテレスですらわからなかったこと

ところで、冒頭の問題が人間に対してどれぐらい難しいものであるか。
古代ギリシャの賢人とされるアリストテレスは、外力は速度と比例するものと考えました。この問題への回答に限れば、アリストテレスも7割強の側だったのですね。アリストテレス流で考えるならば、冒頭の図の時点では上向きの力が加わっていて、上にいくとだんだんと力そのものが小さくなっていき、いつしか下向きに力が加わり始める、という説明になるのです。
この力の概念と速度の概念の区別というのは、ガリレオやデカルトによって発想され、最終的にはニュートンによって力の"定義"として整理されました。
アリストテレスは、当時においては紛れもなく天才と呼ぶべき賢人であったのでしょうが、その彼にあってすら正しい理解には至らなかった。他方、我々は多くの先人の努力によって、正しい理解に至るまでの道筋が用意されています。しかし、その道筋も、論理を用いて正しく辿らなければ、冒頭で示したように誤った状態となってしまいます。

我々にできることは、75%が間違うという結果について一喜一憂することでも、自分がたまたま正解であったからといって"自己流で"誤った解説をすることでもなくて、本質的な難しさがどこにあるかを捉えようとしながら、論理的に考えを検証する事なのかな、と思いました。

「力」を巡る混乱と、概念を整理する難しさ

最後に一点、冒頭で触れていた以下の部分について。

初等的な力学において、日本語で力と翻訳されてしまったForceという概念は加速度に比例するものの事であって、エネルギーEnergyやエネルギーを単位時間あたりに提供する能力Powerではないし、速度に比例する運動量Momentumでもないのです。

我々が普段日本語で力と漠然というとき、物理学的にそれに対応する概念には様々なものがあります。例えば、2つの物体の運動において、よく知られたものとして「運動量保存の法則」というものがあります。具体的な事例としては、物体Aと物体Bが衝突するとき、その他の外力が加わっていない場合その衝突の前後で運動量の総和が保存するというものです。
物体Aを物体Bにぶつけるという事を考えると、物体Aの持っている運動量は、日常的な日本語でいう"力"のようなものであると考える事もできます。
また、それとは別にエネルギーという概念もあります。これは「反対方向に力が加わる場合に、どの距離だけ物を動かすことができるか」という概念を「仕事」と呼ぶことにして、どれだけの「仕事」ができるかという概念です。仕事はギリシャ語でergonと言い、このergを与えるものをen-erg-yと書き表すことにした、というのがエネルギーという名前の由来です。エネルギーもまた一種の"力"のようなものです。
さらに、このエネルギーを使って単位時間あたりにどれぐらい仕事ができるか、仕事率という概念もあります。これは英語ではPowerと言われていて、エンジンの馬力、馬何等分の"力"という単位はHorse powerとなっているのです。
運動量(力積)、エネルギー(仕事)、仕事率、力。世界を雑に捉えれば、ある意味で同じような概念ですが、少し細かく見ることにすると、これらはいずれも異なる概念です。それをきちんと整理して、区別して理解できるようになるまで、人類有史以来で数えても何千年とかかりました。混沌とした概念を整理するのは、それぐらい難しいことなのでしょう。
しかし、一度整理されてしまえば、多くの人間がそれを理解する事ができます。こうした知は大事にしたいものですね。

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