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冬の思い出

年末実家に帰省して、浴室の汚さに驚いた。タイルの目地には黒々としたカビが、脱衣所と浴室の間のドアのガラスには石鹸垢が広がっていた。

実家を出て5年以上経つが、住んでいたときもこうだったのだろうか。それとも、私が出てから父と祖母が手入れをしなくなったのか。近すぎると見えず、離れて初めて気がつく、ということは往々にしてあるから、実際のところどちらなのかはわからない。

久しぶりにまじまじと見た我が家が、まるで、過疎が進む街を映し出すドキュメンタリー番組に登場する住人を失った家のように見え、あんな賑やかで温かかった実家が、知らぬ間に現役を退いたかのようで寂しく感じた。

実家は私が生まれたときに建てられたから築30年以上。お風呂場といえば、幼稚園時代、2つ歳の離れた弟と一緒に、いまは亡き母に水鉄砲などの手遊びを教えてもらった思い出が残る場所。

幼い子どもにとって、お風呂場は遊び場だった。

小学校中学年の夏の夜、心霊現象を扱うテレビ番組を観たあと、ひとりでがらんとした浴室を背を向けるのが怖くて、背中を壁に寄せながら頭を洗ったこと。

18歳のとき、途中で倒れたら危険だからと、ひとりで入浴できなくなった闘病中の母を見守る意味も含め、しばらくぶりに一緒にお風呂に入り、初めて恋人からもらった指輪を見せながらした女同士の秘密の会話。

カビだらけの浴室を見て、これではいかんとカビキラー片手に黙々と目地や排水溝をこすっていると、お風呂にまつわる小さな小さな思い出がぽつんぽつんと浮かんできた。

床や壁は、いまや多数派を占める樹脂製ではなくタイルだし、風呂釜はステンレスだ。冬の浴室は一年でもっとも無機質で、スケートリンクに立ったときのようにひんやりとしている。

5年前、確実にそこにいたはずなのに、いまでは遠い存在になってしまったもの。間にぽっかりとできた空洞を消し去るかのように、私は泡のついたブラシで壁をゴシゴシこすり続けていた。

「まさかお前が風呂場の掃除をする日がくるとはな」

ズボンの裾を濡らしながら一心不乱に掃除をする私に、散歩から帰ってきた父がひとこと。

結局、カビも石鹸垢も完全には取りきれなくて、実家には一揃えしかない冬着も濡れてしまったけれど、あぁ、これが代替わりなんだと思った。

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