見出し画像

僕のかっこいいの教科書

鳥山明先生の訃報

あまりに突然過ぎて未だにドラゴンボールの作者がこの世にいないという現実が受け入れることが出来ない。

僕が初めてこの作品に触れたのは保育園の頃、毎週日曜日は仮面ライダーと共に夢中で画面にかじりついていた。

たぶん4歳の頃には悟空の着ている修行服の法被を着てお祭りに行くくらいには好きだった。

小学校の頃にはopとedどちらもfullで暗唱できるくらいにはYouTubeで聞いてたし、ドラゴンボールmadを見つけては学校の友達と共有して、かっこよさを共有したり、みんながやるであろう、かめはめ波の練習に勤しんでいた。

中学校でもやはりドラゴンボールは僕たちが話をする時の共通認識であって、あとはこの頃に僕たちが大好きなブロリーの新作映画があってよりドラゴンボール熱が再熱していた。

スマホゲームも中学から高校までやり続けて、好きなキャラはコンプするまでイベント周回を頑張っていた。

こんな感じで物心が着いた時から、ドラゴンボールが隣にいて、さらに未だに進化していく孫悟空を見て育ってきた僕にとって孫悟空の生みの親が亡くなることは想像もしていなかった。

ドラゴンボールに出てくるキャラクター達の生き様はまさしく僕の人生においての「かっこいよさ」を形成するに当たっての教科書であり、先生である。

一生懸命努力すれば、エリートを倒せるという言葉は挫折しそうな自分を励ましてくれたし、家族の大切さを思い知らせてくれたのもドラゴンボールだ。

弱きを助け、強きを挫く孫悟空の姿は空手や剣道を通して身につけた武道の教えにも通じ、人生においてのひとつの行動原理にもなっている。

鳥山明先生が亡くなっても、命を削って残した作品に込められた思いは、僕たちのような人間が後世にその精神として、作品と共に必ず受け継いで行くだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?