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何故「肥えた土地」を耕さないのか?

「価値」があるかないかは、その人によって異なる、ってことは良くある話です。
身近な話でいくと、親にとっては「ゴミ」だと思うけど、子供にしてみたら何故か「宝物」って話は各家庭にはつきものではないでしょうか。

少し次元が異なりますが、そのような「価値」判断が、ある1つのことで大きく異なるとしたら?


そして、その後に影響を与えるとしたら、皆さんはどうするでしょうか。
一つの事例を紹介したいと思います。

森林を避けて生活したゴール人

昔、まだ北ヨーロッパが未開だった頃、そこに住んでいたゴール人は「森林」を避けて生活をしていました。

ですが、その後、ローマ人が来て、その「森林」を耕作地に代えてしまいました。実は「森林」の下は「肥えた土壌」だったのです。


森林が拓かれた直後に訪れたギリシア人の歴史家ポリュビオスは、「ローマ人の潤沢な生活ぶり」と「ゴール人の貧窮した生活ぶり」を対照的に描いています。

真逆の生活ぶりの違いの理由は?

ゴール人からすると、森林を持て余す存在でした。森林を耕作地に代える「技術」をもっていなかったからです。
その「技術」があれば、きっと森林の下の土壌が「肥えた土地」であるかどうかは必ず確認したはずです。


<まとめ>

今、「技術」がどんどん進化して来ています。今回の事例のように、その「技術」を活かすことを知っているかどうかは大きな違いとなる可能性が十分にあります。


そのような意味では、「技術」に関する情報をどんどん収集して、取り入れるかどうかを常時行っていくことは、或る意味「宝物探し」なのかもしれませんね。

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