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言葉と人の気持ち

「丁寧に生きていきたい」
最近とても強くそう思うようになってきた。
そう思う中で, ”言葉”と”人の気持ち”についてよく考えている。

なぜ, ”言葉”と”人の気持ち”について考えるようになったのか。
元々僕は人の考えを気にして, 過剰に推測してそればかり考えていた。
でも, どんなに考えたところで, 空気を読んだところで,
他人が考えていることや思っていることはわからない, 
という考えに行き着いた。
だから, 他人が何を思いどう考えているかを考える事をやめた。
「こういう事を言うと相手は傷つくかもしれない」
という事を考えないと言う事ではなく。

一方で, 自分の考えを周りにきちんと伝えることの大切さを感じている。
他人が何を考えているか僕がわからないと前記したように, 
他人も僕が何を考えているかは分からない。
だからこそ, 言葉や文字にしてきちんと伝えなければならない, 
と思うようになった。

「空気を読む」「行間を読む」などという言葉があるが, 
そのような事を”期待”してしまうことで, ストレスを感じると僕は思う。

自分の思いや考えを伝えることは大事だけれど,
伝え方もとても大切だと思う。
同じ事を伝えるにしても, 言い方が違うだけで受ける印象は大きく変化する。

日本語は特に繊細だと感じている。
例えば「そこがいい」と「そこでいい」を比べてみる。
前者は「自分は数ある中でそこを強く希望する」
後者は「強い希望はないけれどとりあえず不満はない」
という印象を受けとることができ, 後者の方が若干惰性的に感じる。
もちろんこれは僕の主観なので, 人それぞれ感じ方は異なると思う。
ここで言いたいのは, “が”と”で”を変えるだけで,
発信した言葉が人に与える印象が変わってくる, と言うこと。

また, 「売り言葉に買い言葉」という言葉があるように, 
伝え方によってその後の展開が変わると考えている。
「なぜそういう事をするんですか」
「そういうことはやめてください」
と言うのと
「そういう事をされると困ってしまいます」
「できればこうして欲しいです」
と言うのでは, 同じような事を伝えているのに受ける印象が違う。
前者は高圧的に感じるので反論したくなってしまうけれど,
後者は柔らかい感じがするから反省の気持ちが出てくる。
これも僕の主観だけれど。

だからこそ, 最近は書くことも話すことも, できるだけ丁寧にして, 
きちんと自分が伝えたいことを, お互いネガティブな感情にならないように,伝えることを心がけている。

これまでは仕事に忙殺されて, 過剰に人と関わってきたことで, 
言葉に対して丁寧になるということなど考えたこともなかったし, 
そんな余裕もなかった。
自分が話している言葉を理解できないというか,
今何を話しているのかわからなくなってしまったことはよくあった。
どれだけ早く返信するか, ということに重きを置いていた時期もあった。
前記したような相手に与える印象も, ここまで深く考えてこなかった。
(相手の反応を気にし過ぎて, 言葉選びを必要以上に慎重にはなっていたけれど)
結果的に, 発信内容を後悔したということは少なくない。

今は仕事に追われず, 周囲のノイズもだいぶ減ってきたので, 
自分の言葉の意味を意識しながら発言することができるようにもなった。
メールなどの文章を書く際にも何度も読み直して,
自分の意図が正確に相手に伝わるかどうかを確認してから,  発信している。

多くの人が(全ての人と言ってもいいんじゃないかと思う), 
丁寧な言葉に対して怒りや不満を覚えることは無いと考えている。
それに加えてもちろん丁寧な態度も伴うけれど。
だからこそ, これからも丁寧な”言葉”を使って,
相手に気持ちを伝える事をしていきたい。
少なくとも自分の周りは平和で幸せでありたいので。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

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