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山小屋物語 15話 男の姑(おとこのこ)

男の娘と書いておとこのこと読む。女装好きな可愛い男子のことをそう呼ぶ文化がある。山の上には男の娘は見当たらなかったが、男の姑(おとこのこ)が居た。そう、読んで字の如く姑のような男子のことである。

山小屋バイト一年目のある日、長さんという四年目の男の先輩が登ってきた。
お盆の繁忙期で従業員数は35人を超えていた。ヘルプのバイトや業者、診療所のお医者さんなど入れ替わりが激しい時期なのだ。飯を食う人数と名前を毎朝毎夕正確に把握するのは厨房の役目。なので、ベテランの番頭が、厨房の新人の私の名前なぞ覚えているわけもないのだが、私の方は長さんのことがとても印象に残っている。

ある夕方のこと。9つのツアーが次々山小屋に到着し、客の夕飯も滞りなく準備されていた。滞りなくといっても、舞台裏の厨房は戦場のようであった。分刻み、いや秒刻みで調理・配膳が進んでいく。お客様にベストなタイミングで美味しいご飯を食べていただくために、逆算してカレーの寸胴鍋をあたため直したり、カレーが無くなったらその2秒後には次の鍋の蓋を開け、4秒後にはカレーをリズムよく白米に掛けなくてはならなかった。お玉を握る人間には、ロボになったかのようにカレーを一滴も余所に垂らすことなく40人前を盛り付けることが要求された。もちろん間違って垂らしてしまうことがあるのだが、その時はライスの皿がのったお盆を持つ番頭から「あーぁ」という声が漏れる。一度リズムを崩すとその後もタイミングが合わず、延々とカレーを撒き散らす沼に入ってしまう。皿に付いたカレーの染みをふきあげる番頭達が、キッチンペーパーの前に長蛇の列になってしまい、カレー役の女子は気まずい思いをするのだった。

厨房の子達は、カレーを垂らさないことに躍起になっていた。誰かが「のりちゃん、カレーの残りあとどれくらいあるん?」等と聞こうものなら「よしえちゃん、ちょっと今集中してるからしゃべりかけないで!」とキレ返される程、お玉に全集中である。

私はその時、カレー係の手前にいる【米係】だった。そこへ長さんが お客にカレーを出すためのお盆をもって現れた。
ボード(番頭のリーダー)が小窓を開けて言った。「じゃ、阪急のカレー出し、39名+添乗員1名 計40名でお願いします!」

全員が「はい!」と返事をする。その瞬間に私は保温ジャーの蓋を開け、しゃもじで素早く米を掬い上げ始めた。ジャーの横には秤。秤に載せた皿に160gの白米を形よく盛り付け、番頭が持つお盆の上に載せるまで大体6~7秒。私は秤が160g丁度を指したことを確認し、皿をつかんで長さんのお盆に載っけた。すると置いたか置かないかのところで長さんがこれ重すぎじゃない?と皿を返してきた。
えっと思ったが、再び秤に載せられたその皿は168gを指していた。さっきは皿が隣の秤に引っかかり、正確な重さを示していなかったようだった。
このくそ忙しいのにたった8gのことで仕事の流れを止めるなんて・・・と新人の私は思ったが、結局長さんの言うことは正しかった。その8gを見逃し続けて、ご飯が足りなくなる事態がその数日後、起こったのだ。
それを予言するかのように「しっかり確認して、ちりつもだよ」と冷静なトーンで注意された。

私は、真顔の長さんの顔をまじまじと見た。感情を表に出さない。
「この人・・・久し振りに山に登ってきたばかりというのに、秤を使わずご飯の重さを当てた。タダ者じゃない」
怖い。厳しい。気が付きすぎてちょっとキモい。とも思った。

そのあとも長さんは、厨房のここにあるゴミはなんなの?とか、カレー出しの動線がおかしいことを指摘してきたりとか、洗い物を瞬時に片付けないことを注意してきたりとか、厨房の仕事にかなり口を出してきて、しかも一つ一つ反論の余地も無く的を射ていて、もう女の先輩より一番面倒くさい姑だった。

昼はそんな感じでウザ怖く。夜は夜で一番長い羽織を纏って囲炉裏に陣取り、闇夜で瞳をギラつかせてお客の対応、或いは新人番頭を説教するなど、夜の帝王風を吹かせていた。
夜に女の子同士でキャッキャしてると睨まれるため、囲炉裏にいる長さんとは目を合わさず廁方面へ逃げておしゃべりするのが女の子達の夜の習慣になっていた。

☆☆☆☆☆☆

そんな怖~い長さんに、下界に降りてから1度だけ会った。それは従業員同士が結婚することになり、お祝いの席に呼ばれた際のこと。素敵な料亭に招かれて 緊張した面持ちで 席につくと、目の前に長さんがいた。

「ご無沙汰しています・・・!」と挨拶したが、長さんは「どうも」(こいつ誰だっけ?)と、不思議そうにしていた。私もベテランバイトになり、ふてぶてしい態度だったので、 あのご飯も満足によそえない新人と同一人物とは気付かなかったのだと思う。

結婚する二人を祝い、寄せ書きを渡したりプレゼントしたり。宴もたけなわで盛り上がっていたところ、誰かが「富士山が噴火する説」について話し始めた。私が「実際のところ、噴火するのかな。どうなんでしょうね」と、目の前にいた長さんに話を振ったところ、酒を飲んで気が大きくなっていたのもあろうが、
「あなたね、大丈夫?何年も山で働いてたのに噴火するとかいってんの?ちゃんと勉強してる?信じられないわ」とさもバカにつける薬はないというふうに呆れられた。
(やっぱりこの人は姑だ・・・、いや、男の姑だ・・・(# ゚Д゚))
と、ひとり帰る道で、悪態をついたものである。

なおその時同席した山小屋の若社長は、久し振りに見る私に「なんか綺麗になりましたね」と御世辞とはいえ褒めてくれたので、やはり人の上に立つ人は、女性従業員の心を掴むのがうまいのだ、と、人類不変の原理に気付く、もうオバサンにさしかかった私なのであった。





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