あっこ

我是绘画课老师。现在住在东京。 I am a drawing teacher.Tokyo

あっこ

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マガジン

  • 上海

    上海に住んでいた2年間の徒然話

  • 道後温泉物語

    2002年頃の愛媛は松山、道後温泉。元花街にひなびたコンパニオン派遣事務所があった。18歳の主人公は事務所から派遣されて、地元の若者に混じってケンブンの宴会場で働く。ある日、人手が足りないということでマドンナの格好をして結婚式でコンパニオンをすることになり…?!

  • 山小屋バイト物語

    2002~8年頃の富士山の山小屋を舞台に繰り広げられる青春エッセイの下書き。事実を元にしたフィクションです。 そのうち編集します。

  • 旅漫画

    旅漫画です

  • あやふやな国のあやふやな味のアイス

    アイスは1日三個まで。それが青春の掟。 上海 上海 台湾 スペイン・コルドバ また上海 ときて、次はどこのアイス?!

最近の記事

そんなこと

    • 上海の日々

      土曜出勤した帰り路。 お昼時だしご飯いこー。と、数人でタクシーに乗り合い、浦東のケリーホテルへ向かった。目当ては低層階のレストラン。5つ星ホテルといってもまだ上海の物価が安い時代。小洒落たエスニック料理屋でも1000円もあればお腹いっぱいになれた。 バリ風のでかい観葉植物やトーテムポールの置かれた店内。まったりした雰囲気の中、アイスコーヒーを啜りながら、主任が少年のようなニシシ笑いで、話を切り出す。 「ねぇねぇ、聞いた話なんだけどさァ、政府のスパイって普通にその辺にいるらし

      • Going back to Mt.Fuji 2002

        19〜24歳、夏は富士山にいた。 標高3100㍍にある山小屋の厨房で働いていた。 巨大なリュックを担ぎ、4時間かけて登った初日。霧雨を全身に浴びて、ビショビショだった。 緊張して挨拶した山小屋の親父さん(社長)はキツネの尻尾のついたロシア帽子をかぶって、いかにも山男といった風情。手を付いて「よろしくお願いします」と言うと、ぶっきらぼうに「おう」と言ったきり他の従業員の所へ行ってしまった。 「あっこさん、あなた沢庵もまともに切れないわけ?」 厳しい先輩達にしごかれる日々

        • 此処より何処かへ

           鳥の苗族【とりのミャオぞく】と呼ばれる部族が居た。  鳥というのはあの空を飛ぶ鳥のことだ。車では到達できぬ高山に住み、暮らす部族だ。 13年に一度の大祭・鼓藏节(guzangjie)では、飼っている水牛の首を全て切り落とし生贄として捧げ、家紋を染め抜いた高い高いのぼりを、神がよく見えるようにと空に掲げる。  村の男たちは妻や母が1年も掛かって刺繍した着物を身に着け、藍色のろうけつ染めのターバンを頭に巻き、鳥の風切羽で腰回りを装飾し…鳳凰に見まごう程に壮麗に着飾って、祈りをさ

        そんなこと

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        • 上海
          7本
        • 道後温泉物語
          4本
        • 山小屋バイト物語
          16本
        • 旅漫画
          6本
        • あやふやな国のあやふやな味のアイス
          5本

        記事

          道後温泉物語 4話 阿婆擦れ

          道後温泉の裏には花街がある。温泉本館の側道をゆるゆる登っていくと、左手に上人坂なる路が現れる。さらに登ると、一遍上人の宝厳寺に辿り着く。上人坂は昭和の時代にはネオン坂と呼ばれバーやパブが軒を連ねていた。私もここの【バー姉妹】といううらぶれた看板と、宝厳寺の大銀杏のおかしな取り合わせを、上人坂下から見上げたスケッチとして描いた覚えがある。 それくらい、かつての道後は、俗世間と聖なるものが分け隔てなく共存し、そのカオスぶりが旅人の目を惹き付けたものだった。 さらに遡り明治時代に

          道後温泉物語 4話 阿婆擦れ

          光の街

          池尻大橋駅の地上出口付近が通学路だった。 国道246号線とクロスする目黒川の橋の上を歩いて、高校に通った。スーパーマルショウ手前の橋に立つ。南には有名な桜並木、北西には三宿の住宅街。その場所から見えるのはなんでもない街の風景だったが、なぜだか私の心を惹きつけた。 下校時、午後四時くらいに橋の西側に見えるのは、水色やうすオレンジの色彩が棚引く空。遠くのマンションや公園の木々が、ホワイトアウトしそうなまばゆい背景の中でノスタルジックに輝いて見えたものだった。 あの街に住む人々は、

          光の街

          星月夜

          1月4日。初レッスンを終えバタバタと長机を畳んだりしていると、あっという間にあたりは墨汁を撒いたような暗闇に包まれる。絵画教室のアシスタントの男の子が、ふと雑巾がけの手を止めた。 「あのー先生、紅白観ましたか?」「観たよ」 「なんかすごく変わった人いたんだけど、なんか、赤い袈裟みたいの着て歌ってた人…名前なんだったっけ…ふじい…ふじい…」「「ふじい かぜ」」 声がダブった。「あの人、死ぬのがいいわ、みたいなこと歌ってて印象的だったー」「www」 で、その場でググったら、風さん

          27歳のショートトリップ京都大阪編

          東京育ちの私はいつからか大阪が好きになっていた。兄が(元)奥さんの地元·大阪へ移り住んだのだが、下手くそな大阪弁を喋り、天王寺の風景に馴染んでいく兄を見て、それが羨ましかった。当時はまっていた『大阪ハムレット』(森下由美·著)という漫画の影響もあり、派手さともの哀しさ表裏一体の人情の街というイメージを持っていた。 目黒の新築オール電化の白い家に住んでいた私は、ずっと京都に憧れていた。古い寺社や御神木、黒黒と磨き上げられた木造の店屋。聖護院八ツ橋の硬さと都路里の抹茶パフェの苦

          27歳のショートトリップ京都大阪編

          道後温泉物語 3話 ツーフィンガー

          リーダーの声が響く「いらっしゃいませ!」 続いて他の者が声を揃えて言う「いらっしゃいませ!!!」 料飲部のスタッフが勢揃いで、広間に等間隔に立ち、お客様を出迎える。お辞儀の角度は90度。頭を下げている時間はたっぷり10秒。この仰々しいお出迎えを見たお客様に自分は王様か、姫様か、と感じてもらえればパーティーの間の気分は上々…。 我々給仕人は待機するときは右手を左手で軽くにぎる。これは、「利き手を抑えることで、私はあなたに逆らいませんよ」という主従関係をはっきりさせる仕草なんよ、

          道後温泉物語 3話 ツーフィンガー

          道後温泉物語 2話 冷静と情熱のあいだに

          道後商店街の黄ばんだアーケードを抜け、農協の脇の小路に入る。澄んだ水が流れる側溝沿いに歩くと、左手に巨大な四角い建造物が見えてくる。建物の手前で、バイトリーダーのタケウチさん(推定20歳)がくるりと私の方を振り向いた。日本人形みたいな顔立ちだ。やたらと目の上が青く唇が紅い。「新人さんこれが【ケンブン】、今日の派遣先よ」ケンブンってなんのことや?と思いつつ、ついていく。通用口の脇にでっかく【愛媛県民文化会館】と看板があった。ああ〜ケンブンね。略して言われてもわからんわ笑。 警備

          道後温泉物語 2話 冷静と情熱のあいだに

          道後温泉物語 1話 口紅

          10代の終わり、桜が散る季節だった。プータローになった私は、四国は道後温泉の、とある事務所に履歴書を持参して面接を受けていた。 黒い合皮が所々破れたソファーに、3人が向かい合って座る。 「あっこ、18歳、高卒か。就職せんかったん?」 明るい茶髪の30歳くらいの美女が、細い指に煙草をはさみながら、残りの指で履歴書のシワを伸ばし、こちらを見てきた。 高卒、という言葉にドキッとしつつ、そりゃそうだ当たり前だ、私は現に高卒だ。と心のなかで唱えながら 「はい。美大目指して浪人中でして

          道後温泉物語 1話 口紅

          けーちゃんに会いに

          朝七時「今日、けーちゃんに会ってくるから。あんたが学校から帰ってくるまでには戻ってくるから」と息子に声を掛けた すると 「えーっけーちゃんて、あの?何に乗っていくの?僕も行きたかった、ずるい」などと言うので 「中央線だよ(当たり前だろ)。てゆうか何言ってんのよ、ママだって小学校6年間一回だってズル休みせず通ってんのよ。あなたも義務教育を卒業したら、都合つけて遊びに行きなさい」 と言うと それにかぶせるように はいはい、行ってきまーす! と、出ていった。

          けーちゃんに会いに

          常陽銀行

          常陽銀行の口座を解約してきたの!と すっきりした顔で 当時24歳の先輩は言った。 なんて判断の速い人だろう、と感心した。 確かに卒業したら学費を納めることもなく、 茨城で就職したわけでもなく。 地元に帰れば使うこともないであろう口座。 しかし私は 大学から雀の涙の給与を貰っているし、退職してからも、もしかしたらまた使うかもしれないと解約することもなく…というより忘れていて…気付けば口座を作ってから19年も経っていた。 預けていても管理手数料やら数百円引かれたりする、世知辛

          常陽銀行

          ぱり日記

          2010.12.31 ○羽田で綾戸智恵が‘テネシー・ワルツ’を歌っていた。この会場のどこかにカメラが?と、きょろきょろしていたら、横に居た金沢人に『自分何きょろきょろしとんがん。綾戸さんの歌ちゃんと聞かんか?』と、言われる。よくみたら隣の女こと・K子だった。 2011.1.1 ○シャルルドゴール空港に着く。1月1日は国鉄・メトロが無料と聞いてだんぜん電車を待つが・・・、待つが…、待つが…、来ない。5:45から8:30まで寒い屋外ホームでじっとしていた。さすが魔の鉄道RER。

          ぱり日記

          秘密の流星群ウォッチ

          高校三年生だった。寒さも本格的になってきた11月。しし座流星群が観られるというニュースを聞いた私たち三年美術科の生徒数名は、夜中の学校に集まることにした。センター試験も目前に迫り、受験勉強をしなければならなかったのだが、国立大最難関の1つである藝術大学を受験予定だった私は、実質倍率26倍という数字を見て「もーダメでしょ、これ」と早くから達観(浪人覚悟の意)していた。他の皆もほぼほぼ同じ雰囲気を漂わせていたように思う 。 真夜中の学校にどうやって侵入したのか。詳細は忘れたのだ

          秘密の流星群ウォッチ

          マイントピア別子の針金細工師

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