フェアネスの本質。
Quoraで、面白いスポーツ記事の紹介を拝読しました。
マラソンでトップを走っていたケニア人選手がゴール直前で、マーシャルが振ったフラッグ(もうすぐゴールという意味)を見た瞬間、自分がもうゴールしたものと勘違いをしてゴール前に停止してしまった、というアクシデントが発生しました。
ところが、すぐ後ろを追いかけていた二位のスペイン人選手、イヴァン・フェルナンデスは、その状況に驚きケニア人選手に「走り続けろ!」と怒鳴ったものの相手はスペイン語を理解できない。状況を察した彼は、ケニア人選手の背を押し先にゴールさせた、というものです。
通常であれば、スペイン人選手はそのまま相手を抜き去りゴールすれば良かった。しかし、彼の心の中のフェアネスがそれを許さなかったようです。
ゴールして優勝をすることよりも、フェアネスを発揮したことによる名声を選んだ、と後に彼は、インタビュアーにはっきりとそう答えたそう。
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概ねが、美談だ、と評価をしているようなのですが、彼はスポーツをやめた方がいいんじゃないか、というのが僕の考えです。彼につくコーチも随分と怒っていたよう。
そんなアホなケニア人など突き飛ばし何が何でも先んじてゴールしろ、という意味ではなく、彼にはそのまま相手を抜き去って優勝し「全く満足できない結果だ」と不満を述べることもできたし、他のプロ選手はみなそうしただろう、ということです。
当時の状況としては、そういうアクシデントでもなければ彼の二位はほぼ確定だったようですが、結果が重要なスポーツの世界で、自身が最後まで全力を発揮することを放棄し、優勝まで放棄した。とんでもない甘ちゃんです。プロ失格。スポーツなめてんのか。シューズ脱いで田舎に帰って牛の乳でもいじくってろ。
けれど、人としては憎めない。
すごくいい奴ですよね。
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今度は別の観点から。
マラソンで、トップを走るケニア人選手の背中を必死に追いながら、しかしどう考えても逆転は不可能だ、もう負けだ二位だと絶望していた彼が、ゴール直前で相手が突如立ち止まったのを見た瞬間の心境を考察してみましょう。
……たぶん、こういうことを考えたのでしょう。
いやアホとか結婚してとかは考えてなかったでしょうが、純粋なフェアネス精神だけでなくこのような打算も働いていた可能性はある。
とはいえ、普通に考えると甘えが透けて見える。
本当に、真剣に勝負をしている者なら、例え相手がゴール直前で不可思議に立ち止まろうが勝てるチャンスは絶対に逃さないはず。もし相手が心臓麻痺で倒れてたら、その場で心臓マッサージでも始める気なのか。
だから僕は、打算であってほしい、とも思います。
彼は、さほど重要な勝負では無かったから、とも言ったそうです。
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そして以降、彼の成績は芳しくないまま現在に至っています。
Twitterを確認すると、彼は今も、この事件の写真をアイコンに使っていました。
勝負の世界でのフェアネスは、勝者こそ誇ることができるもの。
敗者は、ただの負け惜しみにしかならないのです。
現在の彼が、別の評価軸で幸福であることを祈っています。( ˘ω˘ )
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