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119代光格天皇と皇位継承問題

写真は天明の大飢饉(1783-1788)に困窮した民衆が、幕府は頼りにならないと京都御所にお参りする天明七年(1787)の御所御千度参りの絵です。最初は10-20名だったものが、同年6月11日には5万人あまりに膨れ上がり、光格天皇を神に見立て神社の様に御所に賽銭を投げ入れる者が跡を絶たなかったそうです。御所からも切飯、お茶、りんご3万個がふるまわれたといいます。
この御千度参りの結末は光格天皇が幕府に蔵にある米を出すように要請し、それを幕府が受入れ、天皇は政治介入してはならないと言う禁中並公家諸法度を破る先例を作り、幕末に於ける尊王思想の先駆けとも言える出来事になりました。

さて、現在の上皇陛下は光格天皇以来の約200年ぶりの上皇と騒がれましたが、その光格天皇が即位する前には、皇統断絶の危機に有り、新井白石が創設した閑院宮家の光格天皇によって辛うじて皇統を繋ぎ、その後の仁孝、孝明、明治、大正、昭和、平成、今上(現在の天皇)は光格天皇系という言い方も出来るでしょう。

現在、皇位継承問題について議論が喧しくなりそうな2022年1月ですが、皇位継承のやり方として、必ずしも直系でない、この様な先例があった事を、多くの皆さんが認知した上で議論して欲しいですね。

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