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坂本龍馬と近江商人

近江商人という言葉は知っている方も多いでしょう。三方よしを旨とし、天秤棒を担いで行商に出ているイメージです。

近江の物産を関東東北で売り、関東の物産を京都で売ります。売り手と買い手と地域社会の発展に貢献すると言う三方よしを旨としました。

近江商人の中でも五個荘、日野、八幡出身が多くそれぞれ活動範囲や取り扱い商品が異なりました。

意外と知られていないのが、函館、小樽、札幌は近江商人によって開かれたといっても過言では無いそうです。近江商人によってもたらされたニシン、鱈、昆布は京都料理にも影響して京都のニシンそばはこれに由来しているそうです。

そういえば福井駅の立ち食い蕎麦屋でニシンそばを売ってたのを思い出しました。何で福井でニシン何だろう、ちょっと思ったりもしましたが、福井は京都とも近いですし、近江商人が介在したのかも知れません。


坂本龍馬大好きの武田鉄矢さんが指摘していたのですが、坂本家の家紋は桔梗紋で近江坂本城を居城としていた明智光秀と同じ。つまり坂本家は近江商人と繋がりがあると言う説です。

1863年の池田屋事件で憤死した土佐藩出身の北添佶磨は蝦夷地を視察していますが、これは坂本龍馬の指示だとも言われています。武田鉄矢さんは昆布を買い付けに行ったのではないか?という説を唱えています。

幕末、薩摩藩は北海道の昆布などの産物を買い付けそれを琉球、支那に売って大儲けをしました。このシステムに坂本龍馬の海援隊も組み込まれて行ったのではないでしょうか。

それが出来たのも坂本龍馬が近江商人と繋がっていたからではないでしょうか。この辺は司馬遼太郎さんも指摘してなかった様です。
#日本史 #歴史 #坂本龍馬 #幕末


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