久しぶりの発達外来 ノンジャッジメンタル

こんにちはTO-JIBAのひろみです。
不登校の娘の定期診察のため、発達外来に行きました。
困っていることはありません。
娘は「何のために行くんだ?」と言っています。
半ば、私の心の安定のためでしょうか?笑
困っていない、とはいえ、少数派につきこれで大丈夫なのかなぁ、と思うこともあります。
そんな心に寄り添ってくれる先生がいます。
(やっぱり私のためなのか?笑)

娘について話せば話す程、おもしろい子だなぁ、と思います。
医師から、娘が「じぶん自身をジャッジしていないところがすごい」と言われました。

ノンジャッジメンタル

確かに、娘は一切評価をしません。
私って、こういう人だから、とか。
何をやったから、すごいとかダメがない。

学校に行っていないから 
友達と遊ばないから 
ジャージを着ないから
運動会で走らないから 
合唱には参加しないから

だから、何?って感じ。
そんなことで、じぶんの価値が上げ下げしない。

できていることに関しても同じです。

じぶん、というものを彩り、時には守るための、自虐、謙遜、自慢がない。
何ができていようといまいと、誰になんと言われようと関係なく、「私」がいることに、外側の理由を求めていません。

じぶんの子ども時代から考えると、すごいこと。
あの頃は人からの評価が「じぶんの存在意義」だと思っていました。
大人の顔色を見て、評価されるように行動し、がんばれ、って言われたら、何の疑問を持たずに努力する。
何ができているのか、どう見られているか気にしていたなぁ。
心の中で、何度ともなくジャッジを繰り返す毎日。

大人になってから、マインドフルネスでじぶんのBeingを取り戻す、という体験をしました。

テストの点数がじぶんの価値なのか?

医師に言われて、思い出したことがあります。
今年の夏休み、娘に模試を自宅受験したい、と言われ戸惑いました。
学校で授業は受けていないし、私もほとんど勉強を見てあげていません。
家での学習内容も、一日中数独をしていたり、明らかに偏っている。

もし、全然解けなくて、勉強が嫌いになったら?
勉強は嫌いになってもいい。
そのことによって、私ってダメね、と自己肯定感が下がったら?

でも、子どもがテストを受けたいと言っているのに、断るのもおかしな話です。逆ならわかるけど。笑
心配しつつも承諾しました。

そんな心配は、杞憂でした。
淡々と丸つけをし、解き直し。
自己分析をしています。

何点なのか聞いたら、点数に関心がないから、計算していないとのこと。
先程の心配を伝えたら、意味がわからないというような顔をされ、ひと言。

そんな嫌な思いするために、わざわざお金払う人なんている?

良い点数も悪い点数も、じぶんという存在には関係のないもの。
確かにそうです。
サラっと書いたけれども、自分事となると、なかなかそうは思えない。痛感します!

DoとBeは別個のもの

Doing(やっていること)に対しての評価とBeing(存在自体)がイコールではない。

私は後天的に知り、身につけたものです。
なので、やはり馴染みがある、昔の価値観がチラリと顔をのぞかせる日があります。

ちょっと失敗すると、無意識にじぶんの存在そのものにダメ出しをする声が聞こえます。

またお前か!

あまりのしつこさに、突っ込みたくなります。
過去、影響力の強い人に言われたことがあるから、そう思うのでしょう。
でも、そんなことはもはや関係ない。
その考えを選択しているのは、私。
じぶんかけた呪いのをほどくのは、じぶんしかいません。

医師には「お母さんが余計な評価をしないから、このように育ったのでは?」とおっしゃってくださいましたが、とんでもない。
娘が超次元すぎて、私のちいさなモノサシでは全く測れなかっただけのこと。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も良い一日でありますように!

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