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ヴィパッサナー瞑想の実践者によるマインドフルネス、ヴィパッサナー瞑想入門


マインドフルネスとマインドレスネス


マインドフルネス。この言葉は多義的で巷では、瞑想という意味でも使われることがあるが、意味は大体、下記の通りだよ。

「評価や判断を加えることなく、今の体験に注意を向けること。」

マインドフルネスという言葉について理解する為に、まず、ほぼ反対の意味である、マインドレスネスという言葉について話しておきたい。

マインドレスネスとは、「無意識の状態、ぼーっとした状態」である。なんとなく行動していたり、何かをしながら、ひとつのことに集中せず、なんとなく半ば無意識の状態で動いているような状態である。具体的には、なんとなくぼーっとしながらスマホをいじっていたり、動画を見ながら、飲み物を味わうことなく飲んでいたり、ぼーっと考え事をしていたり、雑念で頭がいっぱいの状態であることを指す。

対して、マインドフルネスとは、今の五感の感覚にしっかり気づいており、意識的に行動している状態を指す。具体的に言えば、飲み物を味わって飲み、飲み物の味や、喉を通る感覚をしっかり感じ取りながら、今の五感の感覚にしっかり気づいている状態のことを言うんです。

もう少し説明しなければならない。未来のことを心配して不安になったり、過去の嫌な出来事を思い出して嫌な気分になったりすることはないだろうか。このような状態をマインドレスネスと呼ぶ。注意が今ではなく、未来や過去に向いている状態だ。ぼーっと考え事をしている時も注意は今の瞬間ではなく、今ここではないどこかに向いている。「心ここにあらず」な状態だ。

対して、マインドフルネスとは今に注意が向いている状態である。未来でも過去でもなく、今の瞬間に注意が向いている状態だ。

今の瞬間に注意を向けるにはどうすればよいか?五感の感覚に注意を向けることである。五感の感覚は今ここにしかない。未来の五感の感覚はまだないし、過去の五感の感覚は既に無い。今ここにしかない五感の感覚に注意を向けることにより、意識を今の瞬間に向けることが出来る。今ある五感の感覚に注意を向けることによって、心を今ここにあらしめる。

もう一度マインドレスネスの話に戻ろう。過去の嫌な出来事を第一の矢とすると、それを思い返して何度も反芻しているのは、第二の矢、第三の矢だ。マインドレスネスな状態である。このマインドレスネスな状態、過去のことを思い返して反芻している状態に気づくことによって、その思考を止める。思考に囚われたマインドレスネスな状態から抜け出す。第二、第三の矢が刺さらないようにする。今ある五感の感覚に注意を向けることによって、マインドフルな状態になり、反芻思考に囚われないようにする。マインドレスネスな状態にいち早く気づき、その状態から抜け出す。その為にマインドフルネスを高める。マインドフルネスは瞑想によって高めることが出来る。

ジョン・カバット・ジン博士の提唱したマインドフルネスストレス低減法は、禅やヴィパッサナー瞑想、ヨガといった様々なジャンルのものをブレンドしたものである。瞑想という意味でマインドフルネスと言う時、マインドフルネス低減法か、それに近いものであることがほとんどだろう。

マインドフルネスはパーリ語のサティの英訳で、日本語では「気づき」と訳される。パーリ語とはブッダが話していた言語のことだ。

メタ認知、脱同一化、対象化。


メタ認知とは自分を俯瞰して一歩引いたところから、客観的に見ることだよ。マインドフルネス瞑想によって高めることが出来る。マインドレスネスな状態では、自分の思考や感情とべったりくっついていて、一体化してしまっている。その自分を客観的に見ることにより、自分の意識と自分の思考や感情を切り離す。このように自分の意識と自分の思考や感情を切り離して、客観的に見ることを脱同一化と言う。脱同一化された状態では自分の思考や感情を対象化して見ている。自分の思考や感情を対象化し、脱同一化することで、ぐるぐる考えてしまう思考や感情に囚われないことが出来るよ。

執着を手放す。


対象に執着していると、対象についてぐるぐる考えたり、怒ったり、嫌悪したりして心が囚われてしまう。マインドレスネスな状態である。マインドフルネス瞑想を行うことで、執着を手放せるようになってくる。

色んな瞑想があるよ。


マインドフルネスで行われる瞑想にはサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想がある。サマタ瞑想は集中型の瞑想で、ヴィパッサナー瞑想は観察型の瞑想だ。マインドフルネスで行われるサマタ瞑想には呼吸に集中する瞑想や慈悲の瞑想がある。歩行瞑想や食べる瞑想は、ヴィパッサナー瞑想だ。「書く瞑想」と呼ばれるジャーナリングもある。

ヴィパッサナー瞑想は狭義の意味では、ブッダが行っていたヴィパッサナー瞑想そのものを指し、広義の意味ではヴィパッサナーバーバナーという清浄道を指す。ヴィパッサナーバーバナーはブッダが説いた原始仏教の悟りを開く為のシステムで、戒律を守り、瞑想修行を行い、悪を避け、善を為す、といった倫理的な側面を持っている。ヴィパッサナー瞑想の倫理的側面、戒律を排して、現代風にアレンジしたものが昨今、流行りの「マインドフルネス」だ。

サマタ瞑想

サマタ瞑想を行うのに誘導してくれる動画がyoutubeにありましたので、貼り付けておきます。この動画の林なつみさんという方は私の瞑想の先生の一人です。

慈悲の瞑想

慈悲の瞑想はサマタ瞑想の一種で、慈しみの気持ちを込めて、文言を心の中で唱えます。詳しくは動画を見て下さい。

ジャーナリング(書く瞑想)

ジャーナリング(書く瞑想)とは、紙にペンで自分の思考を書くことで、自分の思考を可視化し、客観視することの出来る瞑想だ。その結果、自分の思考の癖や思考パターンが明らかになることもある。

・ジャーナリングのやり方。

紙とペンを用意する。 頭に浮かんできたことをひたすら紙に書いていく。この際、ペンを走らせる手を止めないようにする。何も浮かんでこなくて、ペンを走らせる手が止まりそうになったら、「何も浮かんでこない」という意味のことを書く。 何分続けても良い。タイマーをセットするのも良い。書き終えたら、書いた文章を読んで、観察する。観察した結果、自分の思考と距離が取れたり、自分の思考の癖や思考パターンが明らかになったりする。ジャーナリング(書く瞑想)によって、「思考を可視化」する。「思考を可視化」することによって「思考を客観視」出来る。「思考を客観視」し、「観察する」ことで、思考と距離が取れたり、思考の癖や思考パターンに気づいたりする。

可視化 → 客観視 → 観察 → 観察結果

ネガティブな思考に囚われているマインドレスネスな状態では、思考と距離が取れておらず、思考とべったりくっついて、思考と一体化してしまっている。ジャーナリングによって思考を可視化し、客観視し、思考と距離を取り、マインドレスネスな状態から抜け出す。思考を客観的に観察し、その結果、先程述べたように思考の癖や思考パターンが明らかになることがある。書いている時、浮かんでくる思考をリアルタイムに客観的に観察しながら、マインドフルな状態になれる。更に思考は文字となり、可視化出来る状態となる。文字化された思考を読み返すことで、客観的に観察することが出来、自分の思考の癖や思考パターンが明らかになることがある。それらが明らかにならずとも、自分の思考を観察することにより、何か分かることがあり得る。

私はジャーナリングによって自分の思考の癖に気づくことが出来た。それを下記に記す。

・検証癖
これは私の心を21年に渡って苦しめていた思考の癖で、人から言われた悪口が事実かどうか、正しいかどうか、延々と検証してしまう癖である。この癖が明らかになってからは、何か考えている時にこの思考の癖が出ると、それに気づいて、考えて検証するのをやめることが出来た。 そのうちにこの思考の癖はだんだん出てくる頻度が減っていたのだが、 精神的に調子を崩すと、再びぶり返した。調子が戻ってくると、出てくる頻度は再び減った。

・結論が出るまで延々と考えてしまう思考の癖
これは何か気になることがあると、結論が出るまで、白黒つけるまで延々と考えてしまう思考の癖だ。考えてしまうことは、どうでもいいことから自分の関心の高いことまで様々である。関心の高い分野の「分からないこと」に対する「答え」が出るまで延々と考え続けていることもある。検証癖と同じで、気づいてからは考えるのをやめることが出来るようになった。 これらふたつの思考の癖は似たところがあり、根っこの部分では同じだと思われる。結論や答えが出るまで、考えても分からないことを延々と検証し続けてしまうのである。心のモヤモヤを解決しようとしているのである。マインドフルネスの世界でよく言われる「ネガティブ・ケイパビリティ」も役に立った。これは「不確実性に耐える力」というような意味だ。分からないことがあっても性急に答えを求めず、心がモヤモヤした状態に耐える力だ。白黒つかない状態、灰色の状態でいることに耐え、答えを保留しておく力である。 「分からないことを分からないままにしておく。」「分からないことを考えず保留にする」。「答えや結論を手放す。」「分からなくてもいいやあ。」「答えに対する執着を手放す。」 ジャーナリングで良かった体験をもうひとつシェアさせていただく。ヴィパッサナー瞑想をやっている人にしか分からない話だが、ある日、私は瞑想中に妄想に囚われてしまっていた。サティが入らなかった。ジャーナリングしてみると、サティが入らない自分を情けないと思っていることが分かった。

「サティ入らなくてもまあいっかあ」

私はサティが入らないことを受け入れた。すると自分のことを情けないとジャッジしなくなった。自己受容することが出来た。

また下記の体験もある。

いつも心のもやもやを解消しようとジャーナリングを行なっていた。だが、心のもやもやは晴れないことがほとんどだった。私はジャーナリングを行う動機が「心のもやもやを解消しようとしていること」だと気づいていなかった。だが、そのことに気づくと、心のもやもやが晴れた。

ヴィパッサナー瞑想 | 歩きの瞑想

本格的にヴィパッサナー瞑想を始めたい方にはこちらの動画をお勧めしたいと思います。私のヴィパッサナー瞑想の師である地橋秀雄先生による初心者講習の動画です。地橋秀雄先生はスマナサーラ長老に原始仏教を学んだり、タイに修行に行ったりした方です(すごいざっくりした説明)。

初心者講習に参加されたい方はこちらのホームページをご覧下さい。

マインドフルネスサロン | MELON

先ほどの動画の林なつみさんもインストラクターを務めている「マインドフルネスサロン | MELON」です。 2021年1月5日現在はオンラインのみですが、以前はリアル店舗もありました。

ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネスの本で良かったもの

ヴィパッサナー瞑想の入門書として、この2冊の本は有り難かった。

マインドフルネス瞑想の入門書として、この本は有り難かった。

おまけ1 ぐるぐる思考にサティを入れる。

過去の嫌な出来事を思い出して、第二の矢が刺さったら、サティを入れる。サティを入れてぐるぐる思考を止める。ぐるぐると思考に囚われている状態にいち早く気づき、ぐるぐる思考を止める。サティを入れないと第二、第三の矢が容赦なく突き刺さる。サティを入れることにより、第二、第三の矢が突き刺さらないようにする。

おまけ2 ジャッジせず、ありのままに見る。


瞑想中、「集中できない」と一抹の焦燥感を感じたことはないだろうか。これは「集中できないこと」に対しジャッジしているから起きる心の状態である。「集中できないこと」をジャッジせず、価値評価せず、嫌悪せず、ありのままに見る。呼吸から注意が逸れたり、心が今ここではないどこかに彷徨ったりしたら、そのことをジャッジせず、呼吸に注意を戻す。

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