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千種忠顕と高杉晋作

千種忠顕(ちくさ ただあき)
鎌倉時代末期〜南北朝時代に活躍した公家。
後醍醐天皇に付き従い、倒幕運動に貢献した。
高杉晋作(たかすぎ しんさく)
江戸時代末期に活躍した長州藩士。
長州藩を倒幕に導いた。

⚠︎以下、妄想です。

一次史料ではなく小説やドラマなどを見ていると、この2人なんとなく似ているなーと思ったので、理由を考えてみました。

①裕福な環境で甘やかされて育つ

 公家と武家という違いはありますが、忠顕の父はスピード出世した中納言、高杉家は代々毛利家に仕えた名家であり(父は官僚、高杉さん自身も小姓として出仕)、金銭的にも恵まれていました。

 また、忠顕は兄弟が多かったこともあり後継ぎとしてのプレッシャーなどは無いまま伸び伸びと育ったそうです。

 高杉さんは逆に唯一の男児だったことから、親だけでなく親戚まで"おぼっちゃま"と大事にされ、幼い頃から好き勝手していたとか。

②親に勘当される

千種忠顕(この頃は六条忠顕):
父の政敵である後醍醐天皇の味方についたため。

高杉晋作:
晋作が賊軍になる可能性があったため、家を守るために父から廃嫡される。

③でも、やっぱりなんだかんだ親は甘い

 忠顕は勘当された後、父から新しく領地をもらい、その地が千種という名前だった頃から千種忠顕と名乗ります。

 高杉さんも廃嫡されたものの、高杉の家を出たあとは谷家を創設。その後は幕府軍との戦に勝ち、父・高杉小忠太の育(はぐくみ)となって援助を受ける。

 親からすると、やっぱり自分の子供は見捨てられなかったのでしょうか。

④山陰・山陽で活躍

 千種忠顕:倒幕する際後醍醐天皇により山陽・山陰の総司令官に命じられ、連勝し京都に着くまでに味方を次々と増やします。

高杉さん:言うまでもなく長州・萩の出身で、活躍した四境戦争は山口、広島、島根が主な戦地でした。

④若くして亡くなる

 千種忠顕:正確な生年月日は分かっていないが佐藤進一氏の説によると24歳(足利直義と戦って討死)

 高杉さん:27歳(結核により)

 ちなみに大河ドラマ『太平記』には本木雅弘さん演じる千種忠顕が登場します。

 ただ、討死するシーンはないどころかナレーションでも説明されず、いつの間にかいなくなっていました・・・。いつか千種忠顕さんの退場までを見てみたいです。


また、性格的な面も含めると・・・

・勉強が好きではない
・酒好き、宴好き
・派手な服、派手なパフォーマンスが好き

 2人とも勉強サボりがち。勉強そっち抜けで犬追物(鏑矢で犬を射た数を競う弓の鍛錬法)に精を出す忠顕、藩校を休んで剣術に生きるなんて言い出す高杉さん。(松下村塾入門前)

 忠顕は上に加えて"博打が好き"ということも含まれるのですが、これらを忠顕が勘当された原因だという説もあるくらい、ひどかったようですね。

 また忠顕は太平記の作者に好かれておらず、『国の凶賊』『外道』とボロクソに言われています。

 でも現代で言うとまだ大学生の年齢。若気の至りもあったんじゃないかな?

 カリスマ・後醍醐天皇の忠顕に対する期待度を信じて、
「もう少し生きていたら高杉さんみたいに藩論をひっくり返すような活躍をしたかもしれないじゃないか!」
と忠顕が好きな私は思ってしまいます...。

 2人ともすごく活躍した人なのに、人間くさい部分ばかり書いてしまった。でもそんな2人が好きです。

独り言でした🙏

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