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息子が不登校中に私がやっていたこと(13/90)

以前の投稿にも書いたように、私は息子が不登校になり、「ありがとう」と唱えることをやっていました。

それ以外では、こんなことをしていましたと言うのを紹介していきたいと思います。

①息子にこうなって欲しいなということを想像して、その時の感情や使っている物などを先取りしてみる。

例えば、息子が元気に高校へ通って欲しいなと思っていたので、朝玄関でいってらっしゃい!と笑顔で声をかけるイメージをしたり、その時に使っているであろうお弁当箱や水筒を買って、実際にお昼ごはんをお弁当にしてみたり。

小学生の頃から、わが家の子ども達は、夏休みのお昼ごはんとか、お弁当にするとすごく喜んでくれていたので、その気分で息子も喜んでいました。

あくまで私が勝手にやっていたことなので、息子は全く知りません。

そもそも、その時点で、本人が高校進学を望んでいたかも分からないし、正直、高校へ行って欲しいと私が願うことが正しいのか、これって私の本心なのかも分かりませんでした。

ただ、このまま引きこもってしまったらどうしようとか不安に思うぐらいなら、明るい未来を想像していた方がいいなと思ってやっていました。

②息子のやりたいことをなるべく叶えてあげる。

学校へ行かなくなり、自分の部屋にいることの多かった息子。当初は会話もほとんどなく、何をしているか、何をしたいのかが全く分かりませんでした。

生活のリズムも不規則で、昼夜逆転まではしていませんでしたが、ご飯も食べたり食べなかったり、お風呂も何日も入らなかったりしていました。

そんな中で、旦那さんが読んだ本に、とにかくやって欲しいと言われたことはやってあげるいいと書いてありました。

それによって、学校へ行っていない自分でも受け入れてもらえていると思えて、親の愛情を感じ、家庭が安心安全な場所となり、段々と本人が今の自分を受け入れられるようになるそうです。

わが家の場合、少しづつ活動できるようになってきて、ほぼ毎日ランニングを日課としていました。これは、中学の担当してくれていた先生に勧められて始めたことです。(何もかもありがたい先生でした)

走る場所まで毎日決まった時間に車で送ってあげる。この時間を確保するために、他の用事を断ったり、こちらに時間を合わせてもらったり、周りの方にも協力してもらっていました。

ランニングに限らず、とにかく規則正しく、時間ごとにやることが決まっていたので、ご飯の時間、図書館に行く時間、お風呂の時間、家族が時間を合わせて生活していました。

だから、遠出しても、一緒に出かけない息子のご飯の時間に合わせて帰ってくるというようなことをしていました。

融通がきかず、わがままに捉えられるかもしれませんが、息子自身がそういう生活をする事で、気持ちを保っていたことを知っていたので、とにかくやってあげていました。

これはあくまで、わが家の場合です。それぞれ、家庭環境やその子によって違うと思うので、参考にはならないかも知れません。

でも、基本的には今できることを一生懸命やっていたように思います。意識は未来に向けていたとは思いますが実際の行動は「今ここ」を大切にしていました。

今も、過去に出来事に振り回されイライラし、未来を思い不安になることが多い息子ですが、そんな時ほど、今の自分が今やれることに集中だよと声をかけ続けています。

今日も読んでいただきありがとうございました。


ひとりごと

ゴールデンウィークでも、
それぞれ予定があるわが家。

子どもが小さい頃は、計画立てて楽しみにしていて
それはそれで楽しい時間だったけど。

今は今で、それぞれが自分の時間を過ごせるようになりおかげで、私も自分の時間が持てている。

何もなくても、幸せな気持ちでいられるのは
嬉しいこと。

数年前は考えられなかったから。
ありがたいありがたい。




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