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【コラム】大正ロマンと大正時代、社会とファッションの関係性


こんにちは。宮寺理美です。

先日、カメラマンの伴貞良さんのワークショップにお招きいただき、
インタビューを想定した撮影をしていただきました。
その際、素敵な写真をたくさん撮っていただきましたので、noteで記事を書かせていただくことにいたしました。
諸般の都合で、文章のみ同じ内容の記事を3部アップ致します。
ご覧頂く皆様にはご不便をおかけしてしまいますが、よろしければお付き合い下さい。


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今回は明治時代後期~大正時代のファッションについての資料をお持ちしました。
大正時代と言えば、袴を履いて大きなリボンをつけた「はいからさん」や、
洋装にショートカットヘアの「モダンガール」を思い起こす方も多いかもしれません。
では、実際の大正時代の女性達はどうだったのか、少々お話させていただきますね。

実際の大正時代ってどんな時代だったのか、
という興味を持つ人は意外に少ないかも知れません。
大正時代設定のアニメや漫画は数あれど、それを見たら満足ですものね。


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大正時代は1912年~1926年、15年弱で幕を閉じました。
ちなみに、同年の中国では中華民国が樹立しました。
中華民国の時代のファッションを説明する時に、私はよく「中国版大正ロマン」と説明しています。
先日、中華民国時代の旗袍(チャイナドレス)をオーダーしたばかりです。


大正時代に華やかなイメージを持つ人も多いのですが、
実際には決して平穏な時代ではなかった事も書き添えておきたいと思います。

ベトナムでは大正時代が同時期に、民族運動が活発化します。
共和制国家の樹立を目指して1912年に発足、1925年まで活動した秘密結社ベトナム光復会は、
1911年に起こった辛亥革命に影響を受けたといわれています。
1912年はタイタニック号が沈没した年でもあります。
他には、主にヨーロッパを戦火に包んだ第一次世界大戦は1914年に開戦します。
それまでの工業の中心地はヨーロッパでしたが、結果的に日本には大量の注文が舞い込み、日本の産業革命が一気に進んだ形になります。
産業の発展の恩恵は一般の人々の手に届き始めたのも大正時代以降でしょう。


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私がこの時代のファッションの特徴だと感じるのは、
「型」の部分は日本の物で、そこに取り入れられる「要素」が西洋の物だという点です。
着物の柄がやけにヨーロッパ風だったり、
畳の家で使える蓄音機を「お座敷デンチク」と呼んだり。笑
大正時代は確かに和洋折衷文化ではあったのですが、
年号が変わったからと言って急に家を建て直したり、服をすべて捨てて買い直す訳ではありませんよね。
今まで続いていた生活に急速に新しい文化が流入した結果、
よく言われているような「和洋折衷」の文化が誕生したのだと思います。


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私は普段よく着物を着ています。
「アンティーク着物」と呼ばれるような昔風の着物が特に好きです。
現代の日本社会には、着物で生活し易い、畳の部屋のある家や天井の低い家も少ないです。
着物は礼装に特化しているので、面倒なマナーもたくさんあります。
でも、大正時代の着物スタイルは、
そんなマナーができるよりずっと以前からあった物が、近代化していく日本にあわせて変化していた時代の服なんですよね。
私は大正時代の着物スタイルって、意外に現代の日本社会に合っているような気がするんです。



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宮寺理美 プロフィール
民族衣装カワイイ活動家。東アジア各所で行われる民族衣装の再定義について、民間交流を通して様々な媒体で発信。2018年より中国版Twitter「微博」を開始、中国SNSフォロワー累計14万人を突破、微博ブログは累計PV数100万を突破。2019年上海で単独で物販&交流イベントを開催。
日本の文化事業紹介等の執筆・メディア出演・民間交流等、精力的に活動中。

【出典】
学校制服の文化史ー日本近代における女子生徒服装の変遷(創元社)
世界史リブレット人 081.ファン・ボイ・チャウ 民族独立を追い求めた開明的志士(山川出版社)
日本の産業革命 日清・日露戦争から考える (講談社学術文庫)

撮影:伴貞良