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【着物コラム】着物をファッションにするとはどういうことか


こんばんは。着物コーディネータさとです。

「着物をファッションにしよう」
とよく私も発言するのですが、
最近、身近でこのスローガンのような一言を
よく耳にする気がします。

と、同時に少々疑問がわくことも。

「着物をファッションにする」ってどういう事でしょう?
今までこれが実現しなかったのはどうしてでしょう?

そもそも「ファッション」とはなんでしょう?

ウィキペディア先生によると、
”ファッション(英: fashion、英語発音: [ˈfæʃən] ファシャン。仏: mode、フランス語発音: [mɔd] モッド)とは、
ある時点において広く行われているスタイルや風習のことである。

との事です。詳細はこちら

「ある時点」で「広く行われている」
つまりこれって、時勢や社会と深い関わりがありますよね。

あくまで個人的な見解ですが、
私はファッションは社会だと考えています。



社会とファッションの関わり


海外にも日本国内にも言えることだと思うのですが、
近代に至るまでは女性に限らず男性も、
ファッションは身分=社会的ポジション
深い関わりがありましたよね。

日本に限って言えば、身分制度のあった江戸時代なんかは、
浮世絵のモデルが花魁だったのか芸者だったのか、
はたまた茶屋の看板娘だったのか、すぐに見て取れます。

身分=社会的ポジションに沿ったファッションをするのが当たり前だった訳です。

西洋のドレスも然りなのですが、
ドレスの歴史は私よりウィキペディア先生の方がお詳しいので割愛させていただきますね。
ご興味のある方はこちらをどうぞ。

リンク先の内容を踏まえた上で
世界中どこでも、もちろん現代でも、
ファッションは社会通念に沿っています。

「TPO」「ドレスコード」こういったファッションのルールも、
もちろん社会通念や、ルールができた時の時勢が反映されていますよね。

では、現代はどうでしょうか。




生き方の多様化とファッションの多様化


現代では身分階級のような
目に見えて分かる差は表面上はなくなり、
ファッションを見ただけでは、その人の社会的ポジションを明確に判断することはできなくなりましたよね。

なんとなーく
「あ、セレブだ」「この人は未婚だな」
等の判断は出来るけど、
職業や暮らしぶりまでは判断できかねますし、
相手のファッションを値踏みするのは「失礼」だと私は思っています。

身分制度がなくなったので、
社会的ポジションは明確なボーダーではなく
グラデーションになりました。

それは裏返せば「生き方の多様化」です。

現代は表向き、身分制度はありません。
その代わり、個人がどんな生き方をするかの選択肢がドンと広がりました。
それに伴い、ファッションの選択肢もドンと広がりましたよね。

現代のファッションは、
「グラデーションになった社会的ポジション」と
そのファッションをする人の「嗜好」で出来ている、と私は思います。




多様化の時代に着物をファッションにすることの意味


では、
「着物をファッションにする」
とはどういうことでしょう?

グラデーションになった社会的ポジションと嗜好。
そこに当てはめるには、現代の着物には
「人に合わせる」という事が圧倒的に不足しています。

(以前のコラムにも「人に合わせる」とはどういうことか、を書いたので
よろしければこちらをご覧ください。)

現代の着物は、圧倒的に選択肢が少ないです。
それは生き方が多様化している現代社会にはマッチしていません。
実際に好きになって着ていると解消できることもあるのですが、
外部の人にはそんなの伝わりませんよね。

着物という存在が解消するべきなのはこの
「現代社会とのミスマッチ」であって、
これを解消せずには着物が後世に残ることは大変難しいと思います。

ファッションは社会です。
社会という言葉はとても多義的ですが、
「人に合わせること」の実現なくしては
ファッションとしての着物は成立ないと、私は思っています。