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【着物コラム】誰にも会わない日の着物から感じた「自由」と「責任感」の関係


こんにちは、着物コーディネーターさとです。

新型コロナウィルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言以降、
私は外出自粛生活を送っているのですが、相変わらず着物は着ています。
もう習慣だというのもあるのですが、
パジャマでダラダラする日が少し続くと「あ、着物着たい」って思うんですよね。
そういう時は誰に会わずとも化粧して着物を着たりしています。
ダラダラしている日も結構あります。笑


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外出することが前提の服とそうではない服


さて、外出しない日も、着物を着たら自撮りしてSNSにアップしているのですが、
(もはや習慣です…)
段々「家から出ないからいいや」という気持ちが働くようになってきました。
「誰にも会わないし」と思うと、いつもよりはっちゃけるもんなんでしょうね。笑
普段はしないコーディネートに手を伸ばすようになりました。


祖父の着物を陰干しするついでに着てみたのですが、
個人的には「外出する時にはやらない」コーディネートです。
ユニセックスな着こなしも大好きですよ!
人が着ているのを見るのは好きだけど、自分は着ないなぁ、という意味です。



(まだ平和だった時期に撮っていただいた写真です…)
私は着物の外形が好きなので、普段はあまり型を破らないです。


さて、私は「誰かの評価を得たい」という目的で着物を着ているわけではないのですが、
着物を選ぶ指標には「他人から見た時にどう見えるか」、
平たく言えば「変な人に見えないか」というのも確実に存在しています。
着物を着て自撮りしかしない生活で感じたのですが、
公共性の捉え方って、その人が選ぶ服に結構モロに影響しているんですよね。
「自分が楽しい」を最優先した自宅ファッションショーの着物、
外出する時に選ぶかな?と考えると、正直ちょっと微妙です。笑


もちろん、自分が着たい服を選ぶ自由があるのが大前提です。
しかし、白か黒かだけではなく、物事には必ずグレーの部分が存在しています。
「どんな服を着ても個人の自由」「他人から見たときにおかしくない」
の間の服を、いつも私は無意識に選んでいたんですよね。
ある種の「責任感」みたいなものなのかもしれません。

きっと、この感情が強い人ほど、保守的な服を選ぶ傾向が強いのだと思います。
着物以外のファッションにも同じ事が言えると思いますし、
保守的な服を選ぶのも、もちろん自由です。



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外出自粛生活で「誰にも会わない」状態で着物と向き合ってみて、
自分が意外と他人の事も気にしていた事に気づき、笑
型を崩す、従来のルールを守らない=自由ではないなぁ、と改めて感じました。

勿論、私が自意識過剰な部分も多々あると思います。
でも誰かに会うときって、相手の事や周囲の事を一切気にしないわけにはいきませんからね。
こういう「グラデーション」「グレー」の部分も着物の楽しみのひとつなんだと感じました。


昨年こんなコラムも書いたのですが、
着物はどうしても「ルール守れよ」的な圧の方が強いので、
守らなくてもいいんだよ!という主張が強くなってしまいがちだと思います。
が、あくまで「自己決定の自由」がある事が大前提です。
上品で保守的な着こなしだって自由のひとつですし、
ちょっとはっちゃけ服を着て自宅でファッションショーするのも自由のひとつだと思います。笑