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捨てし詩文、燃えし思想、削除せし短歌雑片へのレクイエム(又、愛)(8/6,31)

8/6、31

死と生と虚無と愛とを闡明せんめいし夜と朝との境より踏む

天下りし煌めき、落つる星のごと輝きて手元へ天降あもりし幾多の詩編、思想的雑文、連星のごとき短歌。
吾がたなごころに遊び、吾が手に拠り消えて去った耿々こうこうたる光の粒、光の粒。一つは黄金こがね、一つはしろかね、一つはくろかね、あるは合金の赤黒き金色こんじき。一つとて偽金は無かったやもしれぬ、否、一つとて偽金は無かった。吾、自殺企図強かりしとき、進みて消えゆきし、一つ一つの光の命。つまり、それらは愛だった。
虚無、否、愛。愛、否、虚無。否、虚無、虚無。嗚呼、否、愛、愛。『我がもとむるは真の言葉。雨の中なる真言なり。』
嗚呼、

索めて得た。索めて得た。日々向上した、日々向上した。虚無よ、吾が槍の一撃、しかと受けよ。それ、愛なり。

令和五年八月六日 雨の窓辺にて記す。


八月三十一日、追記。
消し去った文章で、頭に焼き付いて離れない一文がある。「夜の焼却炉で美しく思想が燃えた」という一文である。消し去った文章群の中ですら、文章を消しているのだから、自分に呆れるしかないのだが、確かに、良文も悪文も火中の時が一番美しいというのは事実であった。だが、もう止める。ランボー気取りは止めだ。
残す。これは僕の愛である以上に、皆の愛だから。

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