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眠れないので自分の中の「死にたさ」と向き合ってみる。


眠れません。案の上。

こんにちは、佐藤です。

八王子の暑さと、容赦ないクーラーの寒さに加え
SNSや世間のニュース、加えてちょっと会社のことで
「身も心も不安定な状態」で安定しております。

皆様はいかがお過ごしでしょうか。

この記事を書くことで、何が変わるとは思ってないのですが
「死にたみ」と共存している人間の心の中を開示することで
誰かの何かになればいいなと思いつつ自分勝手に書いていきたいと思います。

僕の中に「死にたみさん」が初めてやってきたのは高校生の頃。
それまでは性別のことで悩んでも「どうやって生きていこう」と生きることにベクトルが向いていましたが
高校生になって「どうやって死のうか」にシフトして以来16年ほど、僕の心に住み着いています。
優良物件すぎるんだよなあ。

「死にたみさん」と出会ってから5.6年くらいはそれをコントロールすることも上手く付き合うこともできず
心に体を支配されて、行動にうつしてしまいそうになったことも何度もありました。
たくさん薬を飲んでみたり、自分を物理的に傷つけてみたり、高いビルの屋上に立ってみたり、電車にgoしそうになったり。でも僕はお金にがめつい人間なので「待って、処理代親に払わせるの?申し訳なくない?」と思うと
最後の一歩は踏み出せずに、いや、踏み出さずに済んだ、の方が正しいのかな。
とにかく今生きているってのはそういうことです。

ただ、僕はラッキーなことに「死にたみさんがいる生活」に適応してきておりまして
今も心の中でずーっと「おう、お前今日も生きてるんか」と言われつつ、はいはいどーもと思いながら呼吸をしています。

そんなの僕の「自分」に対する死生観みたいなものは人とかなりずれている様でして、例えば
・自死は寂しいけれど悲しくはない。その人がその道を選んだのなら、それもその人だと思う。
・この世に未練はそんなにない。親が悲しむから先に死なないようにしよう、くらい。
・あなたの代わりはいない、というのは多分突き詰めれば親だけで、他は何とかなる。
・例えば今日が楽しくても、明日以降に楽しみがあっても、それが死なない理由にはならない。
・僕の中での自死は絶望じゃなくて諦め。
・「本当は生きていたい」の感覚はあまりよくわからない。
・他人に必要以上の迷惑はかけたくないから、もし僕が死を選んでも「自分のせい」とか「あの時自分が相談に乗ってれば」とか思わないでほしい。ちょっとめんどくさいそれ。
・誰かに引き留めてほしい思いはない。
・自分がいてもいなくても、世界はそんなに変わらない。

という感じです。

何度も言うけれど、だからと言って今すぐ死にたいぜうおーーーーーと言う感情は無くて
そういう自分、と向き合いながら親とワンピと鬼滅の最終回を見届けるために生きておるのです。

そして、死にたみと夢はまた別でして。
夢は叶ったらいいなと思うしそのための努力はしたい。
だから仕事も頑張るし、お金も稼いで楽しいことのために使ってる。
ただだからといって「死にたみさん」がいなくなることはない。です。
今はちゃんと共存してるし、死にたみさんのことも蔑ろにはせず
「今日は生きる方に舵きってるんで君は休んでてええで」的に甘やかしています。

こんなふうに生きている人間もいるのです。

さて、外が明るくなってきたので、そろそろ寝ます。


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