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人のためにしか生きられないからこそ自分のために生きる

僕は人のために行動した時にしか喜びを感じられません。
美味しいご飯を作るのも、いい振り付けを作るのも、嬉しい瞬間はいつも誰かが喜んでいる時です。
自分のためだけに作るご飯は適当すぎて何か足りないものばかり。やる気が入っていないのがすぐにわかります。

僕は舞台上で踊るのが全然好きじゃありません。「ダンスが上手だったね」
「かっこよかったよ」
は褒め言葉でもなんでもなく、報告くらいにしか受け取れません。
それよりも、
「今日は見にきてよかった」
「この作品に出られてよかった」
と本人たちが受け取ったものや変化を感じられる反応を見ると本当に嬉しい気持ちになります。

これに気づいたのは高校生の時です。さらにその思いは年々加速し、自分のために生きていてなんになるんだろうかと思ってしまう毎日。
僕は案外論理的なものや哲学的な考え方が好きなので、この人生の先に何があるのかと考えながら生きています。

先日こんなことを言われました。
「自分を大事にすればするほど周りも大事にできるようになるんだよ」
僕は自己犠牲を払いがちなので、その考えを取り入れたいと思いました。
その考え方なら、自分も周りも大切にハッピーにできるんじゃないか、と。

最近愛とはなんだろう。とも思います。繋がりであり、救いであり、喜びであるというのが僕の考え。
僕の今後のイメージは、白い大きな羽で高いところまで登っていくということ。
高く登った世界には、悪口も、蹴落とす考えも、怒りも存在しません。
そして慰めもないんじゃないかと思います。それは救いではなく同調だと思うから。
それが僕の思う愛です。

自分を大切に扱い、白い大きな羽で高いところまで飛び、世界を愛する。
薄々そんな感じの未来は思い描いていましたが、最近そういうビジョンがバシバシ見えるので、その方向性でいこうかと思います。

とりあえず、何か受け取ったもの、僕の行動が役にたった時はぜひ教えてください。
それが僕の力になり、また世界のために動きたいと思えるから。

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