短編小説 ウォーターサーバーになった親友

              峰岸トオル

動画を見たり、音楽を聴いたり、ラジオを聴いたりすることで自分の脳にたくさん情報を与えて、「今日は充実した日だったよ」って騙しながら生活する。脳が見てる世界がこの世界の全てなら私のやり方も理には適ってる。そんな自分で演出した騒音ばかりの生活を送っている私の孤島のような日常にも、ふと沈黙の瞬間はおとづれる。
そしてその時私はいつも自然と昔のことを思い出すようにプログラムされている。

けんちゃんは小3の時、一番遊んでいた友達だった。習い事がない日はほとんどけんちゃんの家まで行って、その近所で遊んでいた。けんちゃんは運動がなんでもできて、わたしはいつもけんちゃんがなんなく電柱を上っていくのを見させられた。けんちゃんは電柱に登ったままで、自分は登ることができないから下から話しかけたりしてそれだけで1日が終わったような日もあった。そのくらい電柱の上とその麓という関係が二人の定位置になっていた。しかもけんちゃんは、自分は高所恐怖症だと言っているのにだ。
わたしがいつもけんちゃんが電柱から降りてきて
「今日「ホツ」のところまで行けたね」と電柱に書いてある落書きや標識の文字を軸にして新記録が出たら教えたりすると、けんちゃんは
「おれ高所恐怖症やのにやねんで。」と私が何を喋ろうがこのセリフで返してくるのがけんちゃんのお気に入りのくだりだった。
「トオルはみねちゃん別に高所恐怖症じゃないんやろ?」
「うん。」
「じゃあなんで俺いけんねやろうな。」
「なんかもうめっちゃすごいことなんじゃない?」
「・・・」
けんちゃんは褒められると返す言葉を失う。
私は高所恐怖症の診断とかもどこでされるかもわからなかったから自分が高所恐怖症かどうかはわからないが、特に高所恐怖症だと人に言われたわけではないので、高所恐怖症ではないということにしているが、けんちゃんはどこかでそういうふうに診断されたのであろう。

けんちゃんと私の関係は結構排他的であんまり他にこの友達を誘おうということにはならなかった。
強いて、二人以外の友達がいたとすれば、けんちゃんの家の近くに住んでいる一個上の一虎くんがたまに遊んでいたくらいだろうか。
一虎くんもけんちゃんのように電柱に登ることができて、けんちゃんは私との接触時間のほうが明らかに長いけど、一虎くんとの方が接触期間が長いせいか絆はあるというか、「おれのライバル」的なニュアンスさせも感じさせるようなことをよく言う。
私には家の近所に小さい頃から遊んでいるような友人はいなかったので二人の「今からの時間では取り返せないような関係」が羨ましかったのを覚えている。

いつもの生活としては、学校から帰ってしばらくするとけんちゃんが家にピンポンしにきて、二人でけんちゃんの家の近くまで行く。
そして17時まで「遊ぶ」以外にはタイトルのつかない名もなき時間を過ごして、帰る。これが何ヶ月にもわたって続く。

このように、ふとした沈黙がおとづれた時にはけんちゃんのことを思い出すようにしている。
私が一度でもけんちゃんを忘れてしまうと、もう何も思い出すきっかけがなくなってしまいそうだからだ。

僕がけんちゃんを見なくなったのは小学3年生の9月1日。夏休みの終わりかけの、9月なのに1日が土曜日になっていることで夏休みが自然と延長された日だった。
いつものようにけんちゃんと二人で遊んでいると、母がそこにやってきた。
「トオル、歯医者の時間やで。」
その日は歯医者の予約が入っていたのだ。
私は電柱の上にいるけんちゃんに
「ごめん。今日歯医者行かなあかんのやったわ。」と伝えて、お母さんと歯医者に向かおうとすると、
「俺もついていっていいですか。」とけんちゃんが電柱からスルスルと降りてきながら母に聞く。
「待合室でおらせることになるだけやけどええんかな。」
母は決してけんちゃんを無視するわけではないが、けんちゃんに直接応答するのではなく、できるだけ私を通してから息子の友達とコミュニケーションをとるタイプの人間なので、この時も私を通してけんちゃんが歯医者についてくることを許容した。
けんちゃんは自転車のカゴに入れてあった、2リットルの天然水だけ持って母の車に乗り込んだ。
母は歯医者まで二人を送ってくれたあとは、
「歯医者が終わったらまた連絡して。」と私たち二人を置いて母は一度帰る。
もっと昔なら母は待合室で一緒に待っていたが、歯医者の待ち時間があまりに長いため、「終わったら連絡して」の制度に変わったのだ。

今日は土曜日ということもあり、歯医者の待合室が座る席がないくらい混んでいた。
「峰ちゃん、いっつもここいってんねやな。俺行ってるところはなんかわけわからんすごい器具とか使うところやねん。」
けんちゃんはよくマウントを取ってると勘違いされがちだが、私だけは理解していた。
けんちゃんは決してマウントを取るのがクセになってるわけではなく、
自分が一番特徴的に、目立つような存在であれるように物事を語る節があるだけなのだ。
 私が学校の授業で描いた絵を
「なんか戦後の写真みたいになってるわ。」と自分の絵の特徴を掴みなんとなくのイメージで卑下することでクラスメイトから笑いを取っていた時も、けんちゃんはその輪に入ってきて、
「いや、戦後やったらマシやん。おれなんか戦時中やで。」と
本当に自分が目立つためだけみたいな言動をとる。
この例に近しいことをけんちゃんは普段言っていて、この例からもわかるように、マイナスの方向へのマウントもきちんと取ることから、主人公的な目立ち方がしたいだけなのである。


やっと、看板の上での営業時間が終わりかける頃には僕たちも座れるようになる。
けんちゃんはすぐさま2リットルの水をおもむろに傾けて飲み出す。
「いやーずっと立ってたから、飲まれんかったけどやっと飲めるわ。」
「この歯医者ウォーターサーバーあるで。持ってこようか?」
「いや、いいよ。」
この歯医者にはトイレの近くにウォーターサーバーがある。ちょうど私たちが座っている角度からは、観葉植物のせいで半分も見えてない。
この位置にあるせいかウォーターサーバーの水を飲みにいく人を私は見たことがなかった。
よくよく考えると利用者いないということはあの紙コップもいつからかずっと変えられていないのだろう。
17:00になった。看板上での営業時間が終わった。ここから新しく入ってくる患者さんはいない。
待合室に沈黙がおとづれた。
私はこの時の沈黙を完璧に脳内で再生できるほどに覚えている。
ウォーターサーバーがボコっボコっと音を立て、機械しか音を発していなこの状況が沈黙であることをより一層引き立たせる。
少し間をおいて、ウォーターサーバーのボコっという音に喉の枯渇を刺激されたのか、けんちゃんは無言で、あさっての方向を向きながら大きなペットボトルを傾けて水を飲み出した。
その様子は、喋らずにちゃんと恵方巻きを食べるタイプの人が恵方巻きを食べる時のような感じだった。
けんちゃんのペットボトルからもボコっいう音がけんちゃんのまだ喉仏の出ていない喉の動きとともに鳴る。
すると、ウォーターサーバーからもボコっボコっと音が鳴り出して、どんどんペースが上がっていく。水が少なくなってきているのだ。
お風呂のお湯を抜く時のように、水の残りが少なくなればなるほど減っていく時の音はどんどんとペースが上がっていく。
ボコっボコっという通常運転のウォーターサーバーの呼吸がどんどん荒くなっていき、ボコボコボコっと鳴り出していく。
けんちゃんもそれに呼応して、ごくごく息注ぐことなく飲んでいく、けんちゃんのペットボトルから鳴る水の音のボコっボコっという音は、私の耳には明らかにウォーターサーバーの呼吸音と違うことがわかった。だけど、その音もどんどんウォーターサーバーのそれに近づいていく。わたしの耳がついに、けんちゃんのペットボトル音とウォーターサーバーの呼吸音の聞き分けられなくなった時に、私は突如として恐怖を感じ、
「けんちゃんずっと飲んでるやん。」と話しかけたが、けんちゃんは聞く耳を持たず、ペットボトルを持つ角度もどんどん90度に近くなっていく。
なにか得体の知れない恐怖を感じながらも何もできずにいると
「峰岸トオルさん!2番までどうぞ!」と呼ばれてしまった。
子供だった私は、けんちゃんの得体の知れない緊急事態をうまく伝えることもできないし、大人の呼びかけに「ちょっとまってください」なんていうこともできなかった。ペットボトルをくわえたままのけんちゃんに「行ってくるわ。」と伝えて、待合室を後にした。
歯科衛生士さんが器具を用意してる間のただ座ってる時間もそのことで頭がいっぱいだった。
検査を終えて、使用済み歯ブラシをつかんだまま待合室に戻るとけんちゃんの姿はなかった。
そしてその代わりに、けんちゃんが先程まで座っていた位置にウォーターサーバーが置いてあったのだ。
周りの人は何も起きてないような顔をしている。私はそのウォーターサーバーの横の椅子に座ってじっと見て、触ってみると熱を帯びていた。けどもその熱は、電化製品が作動しているがゆえに帯びている熱でしかなかった。
私は彼の名前を忘れていた。
けど、このことに危機感を感じて、絶対に覚えておこうと思って必死で急激なスピードで脳から抜け落ちていきそうな記憶を引き戻していく。
その子を「けんちゃん」と仮に呼ぶという方法を用いるとなんとか忘れかけてたもののほとんどを取り戻すことができた。
私はこの異常事態に対して、待合室の中で騒ぐこともできず、ウォーターサーバーに水を汲みにきた老人の動作を見つめることしかできなかった。

母が迎えにきてからもほとんど会話はなかった。一人で外に出てきた時も何も聞かれなかったし、私も「けんちゃん」としか名前を呼ぶことができないから話を切り出すこともできなかった。

それから夏休み明けた教室には「けんちゃん」の席はなく、
「けんちゃん」の話をしようにも、
周りの友達からは
「峰ちゃんやっぱり変わってるよね。」とか
「峰ちゃんそれで小説とか書いてよ」とか
「また峰ちゃんワールドだぁ」だとか
そういうことを言われるだけで本気にはしてもらえない。
もしかしたらそういうパラレルワールドとかの話?という方向に考えてくれる人すらいなかった。

あれから、1ヶ月後くらいに「けんちゃん」の家にを通ることがあって、少し近づいてみた。(正確には「けんちゃん」の家を通った時に思い出したのだ。)
ちょうど2階のベランダで「けんちゃん」のお母さんが洗濯物を干していたので、
「お久しぶりです。遊びに来ました。」とだけ伝えた。「けんちゃん」の名前はわからないけれど、いつもならこれだけで「ちょっと呼んでくるわ。」となってくれるはずだが、
「けんちゃん」のお母さんは私の方に睨みをきかせて無視した。

それ以来、私は他人に預けることができない記憶を抱えたまま生きることになった。
物理の授業のどの単元でもこの現象を説明するような原理の説明はなかった。
私だけが目撃して、知覚することができた物理法則。
この世界の秘密だった。






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