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再仕込み醤油の歴史

愛知の発酵についてまとめ始めていたのに(笑)、再仕込み醤油講座の追加テキストを作ろうと調べていたらだいぶまとまったので、ここでも掲載しておこうかと。

そもそも再仕込み醤油とは?

醤油はJAS法によって5つに分類されています。濃口・淡口(うすくち)・たまり・白、そして再仕込み。
濃口醤油をはじめ、一般的に醤油の仕込みには食塩水を使いますが、再仕込み醤油では食塩水の代わりに生揚げ醤油(※1)を使う。生揚げ醤油でもう一度仕込むから「再仕込み」という名前がついている。

二度仕込むため、材料は濃い口醤油の倍。製造期間も倍の時間がかかる贅沢な醤油。

濃厚な香りとうま味、塩カドが取れたまろやかな口当たりで刺身醤油におススメ。

※1 生揚げ醤油とは、もろみを絞って圧搾し、火入れする前の醤油のこと。火入れをしていないので酵素が活性化している。多くのメーカーでは微生物ろ過をしているため、菌はいない。

再仕込み醤油の歴史

再仕込み醤油発祥の地・山口県柳井(やない)市は室町時代後期に中国貿易の基地として知られ、諸国から商人が集まる町だった。柳井津(現在は柳井市柳井津)は岩国藩の西端に位置し、中世から港町として発展。岩国藩の台所と称されていた。

赤枠が山口県柳井市

再仕込み醤油を発明したのは、柳井市で元々四十物商(※2)を営んでいた高田家(屋号:登茂屋)の4代目・高田伝兵衛。享保13年(1728年)に3代目吉兵衛が醤油製造業を始めたとされる。伝兵衛は父が始めた醤油の生産拡大と品質改善に努め、二段階で仕込むという技法によりまろやかな口当たり、濃厚な香りとうま味の再仕込み醤油を作り出した。高田家は以降、昭和初期まで醤油醸造を行っている(※3)。

再仕込み醤油は開発以来、柳井津商人の活躍もあって瀬戸内の浦々に販路を拡大していった。この影響によって愛媛県や小豆島でも再仕込みが製造されていると考えられる。(小豆島で再仕込み醤油を作っているヤマロク醤油さんは、木桶職人復活プロジェクトを手掛けています↓↓。)

販路拡大とともに生産量も増加し、再仕込み醤油は安政元年(1854年)に幕府から課税を命じられていることから、その隆盛ぶりがうかがえる。柳井津商人は柳井港から廻船でさらに全国各地に販路を広げ、明治41年(1908年)にはハワイ・韓国・旧満州・台湾方面への輸出も実現させた。

9代目高田伝兵衛は、ハワイ経由でアメリカ本土にも輸出を実現させた。

※2 四十物商…四十物(あいもの)とは、鮮魚と干物(乾物)の間にある海産物のこと。完全に乾燥した干物ではなく、少しでも生魚に近い味を残すために塩や乾燥期間を少なくしたもの。サンマやアジの開きのような干物魚を刺し、四十種類ほどあったことからこの漢字があてられたと言われている。相物・間物とも書かれる。
四十物商はそれらを取り扱っていた商人。
※3 現在、高田家は直接醤油業を営んでいないが、重枝醤油、佐川醤油などには何らかの関係があり、甘露醤油の伝統は確実に受け継がれている。(「日本釀造協會雜誌」第71巻  第2号より) 

「甘露醤油」でも甘味は入ってない?-名前の由来

再仕込み醤油は別名「甘露醤油」とも呼ばれている。甘露とは甘味を指すが、再仕込み醤油の原材料は、大豆と小麦の麹+塩水。砂糖などの甘味料が入っているわけではない。(九州地方で好まれる「甘口醤油」には甘味料が含まれています。)

では、なぜ「甘露醤油」と呼ばれるのか?

天明年間(1781~1789年)(※4)には岩国藩主・吉川(きっかわ)公が「柳井津に美味なる醤油あり」とその噂を聞き、これを所望。高田伝兵衛が吉川公に献上したところ「甘露、甘露(おいしい、おいしい)」と賞されたことから「甘露醤油」と呼ばれるようになった。

明治に入り鉄道が開通し、1900年に出版された鉄道唱歌には「柳井津」や「甘露醤油」が歌われていて、地名とともに甘露醤油も全国的にかなり知れ渡っていたと考えられる。

風に糸よる
柳井津
港にひびく産物の
甘露醤油に柳井縞
辛き浮世の塩の味
(鉄道唱歌第二集/大和田建樹 作)

再仕込み醤油に甘味料は入っていないけれど、濃口醤油などと比べて、熟成期間が長い分、塩カドが取れて甘味を感じやすいのはある。

※4 寛政年間(1789~1801年)の説もあり。

なぜ柳井市で再仕込み醤油が発展したか?

1. 立地:原材料の手に入りやすさ

① 塩:瀬戸内海には入浜式の塩田が多く、塩が手に入れやすかった。
② 大豆:近隣の村々や肥後(熊本県)、豊後(大分県)、壹州(長崎県壱岐市)などから手に入った。
③ 小麦:領内の岩国産他、豊後、島原(長崎県)などから手に入った。

2. 経済力:瀬戸内屈指の港町

開運を通じて菜種油や和ろうそく、塩、その他農産物の集積地となり、瀬戸内屈指の港町として繁栄していた。裕福な地域となり、原材料を2倍使用するという贅沢な仕込み方ができた。

3. 時代背景:「甘味」の普及

甘露醤油発明と時期を同じくして、長崎ではオランダとの交易で砂糖が輸入されるようになった。また、8代将軍徳川吉宗により、国内で政党奨励策がとられると山口県でも宝暦元年(1751年)に製糖業が開始。
再仕込み醤油に甘味料は入っていないが、濃口醤油などと比べて、熟成期間が長い分、塩カドが取れて甘味を感じやすい。
「甘味」=おいしい、という食文化が拡がりつつある中で甘露醤油(再仕込み醤油)も世の中に受け入れられていったのだろう。

4. 食文化:白身魚を好む

山口・九州地域は、フグやヒラメなどの白身魚が食べられることが多い。白身魚は赤身魚に比べてアミノ酸量が少ない。赤身魚は数日間寝かせてアミノ酸量を増やして食すことがあるが、白身魚はぷりぷりとした食感を楽しむために活け締めをして食す。そのため、うま味や甘味がしっかりした再仕込み醤油や甘口醤油が好まれる。

参照サイト

「山口と九州の甘いしょうゆの形成要因」FOODCULTURE No.29
「日本釀造協會雜誌」第71巻 第2号(1976年)
柳井図書館
「山口・九州地方における甘いしょうゆの歴史としょうゆと砂糖の関係」農畜産業振興機構

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