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日記 2023年△月 仏の顔も三度までは四度目にはちゃんとキレろって意味?

△月某日

 最近、結束バンドを聴いている。アニメ「ぼっち・ざ・ろっく」で組まれたバンドの曲で、アニメ「けいおん!」と異なる巧さで売れていったコンテンツの印象がある。

けいおん!」と「ぼっち・ざ・ろっく」の時代の違いはサブスクの日常化で、「けいおん!」はCD(とDVD)を買ってもらうっていう戦略で動いていて、「ぼっち・ざ・ろっく」はサブスクで無限再生してくれればいい、って戦略を取っていた印象がある。
 もちろん、CDの戦略も取っているけれど、オタクたちの日常に溶け込むことを第一目標にしていた気がする。

 その結果、「ぼっち・ざ・ろっく」の戦略はキャラクターたちが織り成す世界観(関係性と言ってもいい)を如何に伝えるか、っていうことに終始している。
 オタクで音楽やっていた(最近は趣味がナンパになった)友人が「ぼっち・ざ・ろっく」にハマっていて、楽曲的には普通なんだけど、アニメの演出が入ると神になると言っていた。
 僕はこれが全てだと思う。
 結束バンドの曲単体を聞いた人は普通とか、まぁ良いとか言うくらいだけれど、アニメを見た人はエモいとか神とか言うようにコントロールされている、そういうコンテンツが「ぼっち・ざ・ろっく」。

 ※あくまで個人的な感想です。

 なーんて、「ぼっち・ざ・ろっく」の話をしても仕方ない。とりあえず、コーヒーが濃い。苦い。
 あと、腹を下してる。
 今日から、ダイエットメニューを片っ端から夜は作っていくぜ期間に入るんだけど、なんか上手くいかない。
 作ったのは、ナスと鶏ひき肉のピリ辛炒めと大根とキャベツとこんにゃくの味噌汁、あと納豆にキムチをぶち込んだやつだったんだけど……。
 何が悪かったんだろうか。

△月某日

カクヨムWeb小説短編賞2022』なるものが発表されていた。
 今福シノ「殺し屋と宝石とシュトーレン
 五色ひいらぎ「笑顔のベリーソース
 の二つを読んだ。

 感想を軽く書くと、「殺し屋と~」はラノベというか、アニメ的で「BUMP OF CHICKEN」の曲にありそうな感じというか、童話っぽさを取り入れてみたって言うかって感じだった。

「笑顔の~」はBLの文脈で読み解いて面白さが分かる作品って感じ。BLとしては見せ場がちゃんとあったし、食戟のソーマっぽいキーワードを使いつつ、食戟のソーマより良いシーンを作っていたと思う。
 ただ、神の舌かぁ。

 五色ひいらぎに関しては、カクヨムに載せている公募やコンテンストに対する戦略を粛々と説明していくエッセイが面白かった。

 あと、
 黒雪ゆきは「極めて傲慢たる悪役貴族の所業
 を少しずつ読んでいるけれど、やりたいことは分かるし、読まれるのも分かるけど、ずーっとコレじゃない感がすごい。カクヨムのランキング上位に上がってくる作品を僕は楽しめる感性を持っていないんだろう。

 今日の夕飯は照り大根と鶏肉の煮物と、豆腐の照り焼きだった。今レシピ見ると、照りマヨってなってるけど、かけてない。
 次回はマヨネーズをかけてリベンジしたい。

△月某日

 今日ヤフーニュースなんかを見ていると、夜活動する人はダラダラする癖がある。朝に活動するように変更すべきだ、みたいな内容を読んだ。
 ツイッターの奢られるのが仕事の人も「全ての悪は夜にある」「私を殺すのは鬱でも私でも社会でもなく『夜に考える』という習慣」だと言う人に奢られたと書いていた。
 結論は人が立ち直る為には『敵の認定』だと言うことだった。
 習慣を変えるって三十歳超えてまじで大事だと思うようになった。何かを変える時、最初に変えるべきことはなにか? って考えると絶対に習慣だと思う。

 それが最初の一歩で、そこを変えずに進もうとしても、一歩目をしくじっているから、つまずく。
 あくまで印象だけど、そんな気がする。

 今日食べたものは厚揚げと茄子のとろとろみぞれ煮と茄子としめじ(あと何かいろいろ入った)味噌汁、で昨日の残りの大根と鶏肉の煮物。
 美味しかった。
 お米なし、パスタ、うどんなし。ダイエットレシピにある食材で~という縛りは意外と良い。
 ゲームの攻略みたいな気分で楽しい。

△月某日

岸辺露伴 ルーヴルへ行く」を友人と仕事終わりに観に行った。

 今回の映画はまず、ドラマ版(岸辺露伴は動かない)があって、その続編として「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」はある。だから、ドラマ版を見ていないと分からないのか、と言うとそんな感じもしなかったし、映画は映画と言う制作人の意識は感じた。

 個人的にドラマ版ではなかった、高橋一生の語りが文学的で良い。作品全体に漂う空気も日本文学の歴史を踏まえたような感じがあって、中上健次や村上春樹が好きな人は面白がれる気がした。

 話としては露伴がルーヴルへ行く理由のみで引っ張って良かったのに、編集者の女の子にもルーヴルへ行く理由を混ぜていて、上手いとなった。

 岸辺露伴の魅力は人間の力では及ばない場(今回で言うルーヴル)の再確認と人間は一つのことに執着してしまい、時にそれによって人間を超えてしまうこと。
 露伴も執着する人間なのだけれど、狂わないで済んでいるのは漫画という確かな着地点を持っているから、かな? と思った。
 そういう意味で、何かに執着する時、それが執着して良いものかという判断は冷静におこなうべきだろうけれど、現代ではその問いは軽視されている。

△月某日

 昔、朝井リョウが「二十代、三十代で決断することが正しいことなんて多くないんだから」と言っていた。
 そりゃあそうかな? と思う。

 けれど、同時に誰もが他人はそうだろうけれど自分は常に正しい選択をしていると考えている気がする。単純に外側から見ると、そう見えるってだけかも知れない。
 同時に感じるのは一つ何かを間違えると、自分の人生そのものを諦めてしまう人も見かける。
 俺/私の人生は(失敗したから)もう駄目なんだよね、と。

 いや、けど、まだこの先、四十、五十と年を重ねて生きて行くのだから、シニカルに笑って達観した風に語っていないで、人生を立て直して地味なところから一つずつやっていけばいいじゃん、と僕は思ったりする。
 してるのかも知れないけれど、そういう人たちを見ているとしているようには見えない。ただ、虎視眈々と一発逆転はしたいってスタンスは持ってる。
 そうじゃなくて、地味な努力を重ねた方が確実じゃない?と思ってしまう。

 僕個人の話にすると、僕は最初からずっと成功し続けられると言う人生設計をせずに来た気がする。何かを間違っても、それを将来的に正しいことに転じられるようにコツコツと積み上げていく。
 失敗も成功もどっちもする。
 どっちかだけずっと続く人生なんてない。

 あるとすれば、失敗した時に地の底まで落ちないようにネットを張っているか、成功した時にもっと大きなものに飛躍させられるか、だと思う。
 この平均を常に保っていられるよう意識していた。
 という意味では非常に地味な人生を歩んでいる。

 そんな地味な人生だけれど、本をいっぱい読んでおいたのは、良かったなと思う。本は経験だから時間もかかるし、読んでしまえば誰かに奪われることはない。
 人は死んだ後にお金や物を持って、あの世へは行けないと言うけれど、本を読んだ経験や知識は持っていける。

 本を読めば読むだけ蓄積されていく。記憶を辿ることさえできれば退屈はしない。
 なんて考えていた為に、僕は本を読んできたし、これを人生の失敗と誰かに指摘されたりもしない。人生全体で考えた時、本を読むって言うのは失敗とは言えないし、何か成功した時に本を読んだおかげなんて言うこともできる。
 非常に便利なツールだったりする。
 なのに、誰も本を読んでいないから勿体ないなぁと最近はとくに思ったりする。

 とはいえ、みんな本を読まないから読んでいるって言うと珍しがられたりするので、僕としては有難いしかないのだけれど。

△月某日

 仕事が終わった19時、外に出ると雨が降っていた。
 同じオフィスで働くまったく別の部署の女の子(名前も知らない)が傘もささず、駅へ向かう。
 僕は折りたたみの傘をさして、伊集院光のラジオを聴きながら駅へ向かう。オフィスではカーディガンを羽織っていたけれど、帰り支度の中で脱いでしまった。
 外は肌寒くてすぐに後悔した。

 地下鉄の中でもラジオを聴いていた。
 乗り換えて、JRの車内で「だが、情熱はある」の9話を見た。途中からで、2008年のM-1の敗者復活が描かれていた。

 最寄駅に降りる頃から、オードリーのネタがはじまった。
 本人じゃないし、お笑い芸人でもないのに、そこで描かれたネタは完璧だった。

 完璧すぎた。
 見るのを止められなくて、歩きながら続きを見た。
 そして、泣いた。雨が降っていて良かったと思った。
 傘で、顔を隠せるから。
 僕はずっと、ずっと、ずっと泣いた。
 意味分からないくらい、泣いた。

 ドラマの中の若林が「俺は無視されてきた若林だ」と言った。そんな彼が敗者復活戦で見事に勝利し、世界に認められた。
 そして、春日が、ずっと春日をすると決めていた。
 こんなの、こんなの泣くに決まってるじゃないか。

 部屋に帰っても僕は泣いていた。イヤホンから聞こえる声は伊集院光になっていたのに、僕の涙は止まらなかった。
 意味が分からない。

 夕飯は手羽元にして、レシピ通りに煮込んだ。そうすると、30分かかると分かって、その間にお風呂と筋トレをすました。
 昨日、弁当で使ったお米が残っていたのでおにぎりを作り、茄子の甘辛焼きも作った。
 やるべきことは全部終わってから、ハイボールを二缶飲んだ。その間、「騙し絵の牙」という映画を流した。
 面白い。

 寝る前にツイッターを見ると、「子供産まなくて良かったです、マジで」なる文章が話題になっていた。
 内容をポンデベッキオが要約していて、いわく「ロスジェネ独身子供部屋おばさんのお気持ち表明、長いけど書いてる内容は『1人って自由で最高!同じ独身仲間もいるし年取ってからなんとかなるでしょ。親ももう結婚しろって言わなくなったし気楽。でも恋は楽しいからずっとしていたいな!あと10億円宝くじ当たったら好きな仕事したい!』って内容でした」とのこと。
 自分が良ければ、それでオッケー。
 今が楽しければ、それで良いんでしょ?
 という意見に僕は共感できない。

 終始自分しかいない世界って、つまり他人が介在しない世界(正確には自分の都合の悪い他人が介在しない世界)な訳で、そんな人たちが「だが、情熱はある」の9話を見て泣くのかな? 
 今の僕は枯れるほど泣いた後だから思うだけかも知れないけど、あれは全人類が泣くしかない名作じゃないの?

 主語が大きいな。あくまで僕はって話で、僕は他人と関わっていきたいし、他人も僕に関わっていてほしい。更に言えば、誰かを幸せにする為に頑張りたいし、今が楽しくない日々でも頑張りたい。
 そんな日々の中で「だが、情熱はある」みたいなコンテンツで死ぬほど泣きたい。

△月某日

 仏の顔も三度まで。
 という言葉があるけれど、あれって三度までは失礼なことをしても良いって話ではなくて、失礼なことをしてくる人間を許すのは三度までにしておけ、ってことなんじゃないか? と突然思った。
 だって、三度以上許してしまうと、それが当たり前ってことになってしまう。嫌なことは嫌って言わなければ、ずっと続く。
 嫌なら四度目でちゃんとキレろ。
 ブチギレて、何が嫌かをちゃんと説明しろ。そこで説明しないと自分が何が嫌だったかも忘れちゃうんじゃないかな。

 なんて話は関係なくて、今日。
 朝から雨が降るという話だったので、昨日洗濯物を終わらせて、弁当のおかずも買ってきておいた。準備しておいて良かった。
 弁当を作りながら、角ハイボールを飲む。
 少し酔っ払った頭でパソコンの前に座って、今回の日記を書いていく。毎日書いている日記の内容は脈略がなく、そのままは使えない。
 仕方なく書きなおしていく。
 読みやすいものになった感じはしないけれど、最近の僕の日常は伝わるんじゃないかな? と思う。
 僕の日常なんて伝えたって仕方ないんだけれど。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。