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【小説】西日の中でワルツを踊れ⑥ サガンが『悲しみよ こんにちは』を書いたのが十八歳だった。

前回

あらすじ。
記憶を失っている西野ナツキ。川田元幸という男を探す紗雪。公園を待ち合わせした二人は岩田屋の町を歩き出し、たどり着いたのは長い階段のある神社だった。そこで紗雪の使者に対する力をナツキは知った。

「おかえりなさい、ナツキさん」

 同室の少年、空野有が困惑気味な感情を残しつつ笑った。
「ただいま、有くん。山本さん、またやっているの?」
「ええ、そうです。僕からすると助かりましたけど」
「昼、熱烈にアプローチを受けていたじゃないか」
「困りました」
 言って、有は本当に困ったように眉を寄せた。

 ぼくが公園で缶をゴミ箱に投げ捨てようとした時、背後にいた少年少女は有と今ベッドの上でポーズを取っているかの子だった。
「同級生なの? 友達?」
 と有にかの子との関係を尋ねた。

 有は正確に言葉を探すように、少し黙ってから
「同じクラスらしいです。ただ、ぼくは一度も学校に登校したことがないので、今日が初対面でした」
 と言った。
「へぇ。にしては、好かれていたね」
「それは、その……。学校の担任の先生の勧めで読書感想文を書いたんです。確か、夏休みの宿題の一環だったんですけど。それで、その読書感想文が市のコンクールに出されていて、僕のが受賞したんです」
「おぉ、おめでとう」
「ありがとうございます」
 と言った有は本当に嬉しそうに頬を緩めていた。
 そんな歓びの表情のまま続けた。

「それで、その担任の先生が皆の前で大袈裟に僕の感想文を褒めたらしいんです。将来文学者になれるとか、なんとか」
「ふむ」
「で、田宮さんは何を思ったのか、僕が将来凄い人になるから、あたしと恋人になってって」
「飛躍したねぇ」
 かの子の名字は田宮というらしい。
「本当に」
「ちなみに、有くんは読書感想文は何の本を選んだの?」
「『悲しみよ こんにちは』です」
 ん? すぐにはピンと来ずに、僕は殆ど空っぽの頭の中を探しまわってみた。
「サガン?」
「そうです。フランスの作家さんですね」
「十歳の少年が読むには少し重たいというか、普通なら手に取らない小説だよね?」

 確か自由奔放な父を持った少女が、父の再婚相手の教育に戸惑いつつ恋人を作る話だった。
「はい。記憶を失っていても、知識はやっぱりちゃんと残っているんですね」
「っぽいね。いつ読んだかなんてのは、まったく思い出せないけど」
「そうですか」
 と有は頷いてから「僕が『悲しみよ こんにちは』を読んだのは父の影響です。父の本棚にあったんです」と言った。
「なるほど」
 有の父は数年前に病気で亡くなった。
 有の父は有と同じ病気を患っていて、それを案じてか彼は息子へ宛てた手紙を大量に残した、らしい。
 有が母から聞いた限りで、その手紙は千通を超えていた。
 そして、その手紙は毎週月曜日に「JK」という人物から送られてきた。

 有のベッドの隣にある棚の引き出しには綺麗に並べられた手紙を、ぼくは何度か見かけたし、有は時間があれば慎重な手つきで手紙を開いてはそれを読んでいた。
 その姿を見ると、有が亡くなった父をどれだけ慕っているのかが伺えた。

「思い出す限り『悲しみよ こんにちは』は十七歳の女の子の話だよね?」
「そうですね」
「じゃあ、有くんが十七歳の時にサガンの話が手紙であるのかも知れないね。お父さんの本棚にサガンがあった訳だし」
「それなんですよね」
 と有が困ったような笑みを浮かべた。
「サガンが『悲しみよ こんにちは』を書いたのが十八歳だったんです。だから、多分十七歳か十八歳の頃に、そういう話を手紙にしているはずなんです。先取りしちゃったなぁって今、後悔してます」
「十歳とは思えない物言いだなぁ」
 素直な感想だった。
「そうですか?」
 と有がぼくを見た。

 言ってみて、ぼくは十歳の正しい成熟具合に考えがある訳ではなかった。
 有のような十歳が居ても良いのだろう。
 毎日ベッドの上で一人で過ごさなければならないのだから。
 普通とズレるのは、むしろ当然なことだった。

「じゃあ、かの子ちゃんっ! スカートの端を摘まんで、ちょっと上げてみようかぁ!」
 カメラを構える山本とベッドの上でポーズを取るかの子に対し有は背を向けたので、ぼくは彼らに向かって口を開いた。
「山本さん。それ以上は、マジで犯罪ですよ」

「ん? やぁ、ナツキくん。いや、これは芸術と言ってだね!」
「そんなこと言って、看護婦さんに回し蹴りされたのを忘れたんですか」
「むしろ、望むところだねっ」
「小学生女子に、それを望まないで下さい」
 言って、山本の手にしたカメラを下へ向けさせる。
 そんな仕草を見て、かの子がやや怒りの籠った目でぼくを見た。

「ちょっと、止めにくるのが遅いんじゃないの?」
「いや、えっと。かの子ちゃんも、嫌なら嫌って言わなきゃ駄目ですよ?」
「嫌? そんな訳ないじゃないのよ。あたしの美貌を後世に残したいって言うんだから」

 かの子の言葉に山本を睨むが、彼はわざとらしく顔をそむけて撮った写真の確認をはじめた。
 ぼくはため息を漏らしたが、かの子は怒り足りないのか、ベッドを下りてスリッパを引っ掛けると近づいてきた。
「だいたい、さっきの公園でも、そーよ。あれくらいの距離のゴミ箱には缶を入れなさいよっ!」
 昼の公園のベンチに座っていたのが、ぼくだとかの子は気づいていたようだ。
 それもそうか。
 服装は昼から変わっていない。

「すみません、怪我をした後なもので」
「なに? また喧嘩をした訳? お兄様のパシリなんだから、もう少し鍛えなさいよ、この役立たず」
 ん?
 かの子の言葉に聞き逃せない台詞があった。
「ちょっと、聞いているの? ねぇって?」
「聞いてる。けど、ちょっと待って。え? かの子ちゃん、ぼくのことを知ってるの?」

 かの子は訳が分からないという顔で言う。
「知ってるも何も、お兄様のパシリでしょ? 何度か家にも来たじゃない? 忘れたの?」
 忘れてるんだよ。
 声が震えるのを我慢して、慎重に口を開く。
「ねぇ、かの子ちゃん。ぼくは君のお兄さんのパシリだったの?」
「そうでしょ。あたしのお兄様はいずれ家業を継ぐ、立派な人だからね。あんたみたいなのを何人も引き連れてたじゃない」
「かの子ちゃんの家の家業って?」

「え? 知ってるでしょ? やくざよ!」

 ぼくの口もとが変な方向に曲がり、有が素っ頓狂な声をあげた。
 あぁ良かった。
 空き缶をゴミ箱から外して本当に良かった。

 有をやくざの娘の恋人にするところだった。

つづく


最近、気になっている本は宮島末奈の「成瀬は天下を取りにいく」と大塚ひかり「ヤバいBL日本史」です。村上春樹の新刊は言わずもなが。


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