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日記 2022年2月 「世界に必要なものは与えられる」それが邪悪なものであっても。

 2月某日

 深夜、散歩に出た。
 書こうと思っている小説の展開が行き詰ったのだ。
 朝3時過ぎだけれど、マスクをつけた。

 外は思ったより寒く、かけてた眼鏡が曇った。
 夜の住宅街はしんっと静かだった。
 20分も歩かない内に、人とすれ違った。ダウンジャケットを着た男性、ランニングをしている年配の女性。
 朝はまだ始まっていないけれど、動き始めている人はいる。

 更に歩いて40分か50分の末に、神社に辿り着いた。
 知らない神社だったけれど、持っていた小銭を使って参拝した。
 帰り道、すれ違う人が少し増えていて、親子で散歩している人たちや部活に向かうのだろう学生などがいた。
 空はまだ暗かったけれど、朝が訪れていた。

 2月末

 映画「永遠に僕のもの」を見る。

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 ネットで調べると「ルイス・オルテガ監督による2018年のアルゼンチン・スペインの伝記犯罪ドラマ映画。」とある。
 伝記犯罪だから、実際に起こったことがベースの映画だと分かる。

 見て、ふと思い出したのは「凶悪」という2013年の映画だった。

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 原作が「新潮45編集部編『凶悪 -ある死刑囚の告発-』」というノンフィクションで、こちらも実際に起こったことがベースの映画になっていた。

 この手の映画は一つ一つのエピソードが、現実にそうだったから、という事実なんだから仕方なくね? という説得力を持って作られている印象がある。
 そのせいか、全体的に「永遠に僕のもの」も「凶悪」も、語られるエピソードは酷い現実だなと思いながら、それ以上に思うことはない。

 この手の映画で僕が、おっと思うのは映画監督なのか脚本家が原作や元になった現実を、どう捉えたかが見えた瞬間だ。
凶悪」で言えば、スクープ誌の記者の主人公の母親が認知症で妻がその介護に疲弊していて、何度も施設に入れることを提案されながら、主人公はそれを良しと言えずにいるシーンだった。最後に、妻が実は主人公の母親に暴力を振るっていたことが明かされる。
 悪はなにも人を殺して埋めて、金を儲けすることだけじゃないし、暴力は対岸の火事でもない。

 そんな訳で「永遠に僕のもの」だけれど、これは主人公が途中から何の躊躇もなく、人を殺すようになって行き、警察に捕まっても脱走する。
 本当に、この主人公は目的がある時の発想力と実行力はすさまじものがある。けれど、その悪魔的な行動力が際立つほどに、主人公の両親に対する対応が不思議になってくる。

 この不思議さが、おそらく「永遠に僕のもの」の主人公を嫌いになれず、一本の映画として見ることができた力の源のように思う。
 銃に魅せられ、主人公は犯罪に手を染めて行くのだけれど、その銃を両親には向けないし、犯罪行為の為に拠点を転々としても最後には家に帰って、当たり前みたいに朝食を食べる。

 親はただそこに居るだけ。
 当然、心配するし、犯罪行為をしていると分かれば止めさせる為に動いたりもする。
 けれど、決して強制的な行動には出ない。
 ゆるく必要最低限の関わり合いに留める。

 そんな両親の関わり合い故に、主人公は目的達成に邪魔だったり、敵に対しては躊躇なく銃を撃てるのに両親にだけは、そう出来ない。
 主人公は両親に対してだけは自分の思い通りに動かそうとは決してしない。

 最後、刑務所から逃げ出し、空き家から母親に電話をする。電話越しに母親の様子がおかしいことを分かっていながら、助けを求める。
 母親のもとには大量の警官がいたことが視聴者には知らされる。主人公はそれを知らず、エンドロールに行く前、空き家を警察官に取り囲まれている中、一人で踊っている。

 この踊っている時間は母親が与えたものだと言って良い。
 そして、このラストの踊りのシーンが僕は狂おしいほどに好きだった。

 映画の冒頭で、主人公の語りの中で両親に触れている部分がある。引用したい。

 両親は善良で― 模範的な人々
 子供を欲しがる母に 医者は言った
“神に祈りなさい”
“世界に必要なものは与えられる”
 そして、僕は地上(ここ)へ
 天から下りてきた
 神の使者(スパイ)として

 つまり、主人公は自分の中で沸き立つ欲望は「世界に必要なもの」だと思っている。
 と同時にその根拠は両親から与えられている。母が欲しいと言ったから“僕”がいるのだ、という実感。
 それ故に、主人公の人生を終わらせる選択は母が与えるべきなのだ、という意思がラストには垣間見える。
 同時に終わりが訪れるその瞬間まで“僕”は好き勝手に踊っていれば良い。

 2月某日

 誕生日だった。
 三十一歳。
 当日と翌日、三日か四日経っても「おめでとう」の連絡をくれる人もいた。
 本当に有難い。

 とはいえ、誕生日はまん延防止の最中で、誰かとご飯と言う空気でもない。
 そんな訳で、当日の夜は安いステーキ肉を買って焼いて、久しぶりにお酒も飲んだ。

 翌日、ケーキを食べていないと気付いて、スーパーでチョコレートケーキを買った。二つ入って350円くらいだった。正直、一人で自分を祝うのだから、徹底的に安いもので良かった。
 一つは夜に食べ、もう一つは次の日の仕事へ行く前に朝食として食べた。
 朝にケーキを食べるって誕生日っぽい。

 今年の誕生日は二日に分割して祝ったような感じになった。
 来年は三日に分割して楽しもうと思う。
 一日目はお肉、二日目はお魚、三日目はケーキかな。
 と考えてみると、歳をとるのが楽しみになる。

 2月某日

スパイダーマン:スパイダーバース」という映画を見る。

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 2018年に公開されたアメリカのCGアニメ映画で、当時から評判もよく見たいと思っていた。
 今回、アマプラで公開されていたので見たのだけれど、映画やアニメを見る基準がアマプラにあるかどうか、になっていることに少し危機感を覚える。

 なんにしても「スパイダーマン:スパイダーバース」だ。

 あらすじは、

 スパイダーマンことピーターの訃報により、悲しみに包まれるニューヨーク。彼の役目を引き継いだ少年は、闇社会との戦いに不安を覚えていた。そんな中、彼は時空のゆがみによって並行する別の宇宙からやってきた中年のピーターと出会う。

 というもの。
 並行世界から色んなスパイダーマンが現れて敵と戦う、という点で、先日公開された「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」と似ている、というのも何かの記事で読んでいた。
 つまり、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」を撮る前に「スパイダーマン:スパイダーバース」でウケるかどうかを実験的に試したような作品とも言えそうだった。
 実際どうかは分からないけれど。

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 とはいえ、設定が似ているだけで本編としては、まったく異なった物語が語られる。
スパイダーマン:スパイダーバース」の優れた部分は、別の宇宙からやってきたピーターであるスパイダーマンが挫折して落ちぶれた中年という点。

 頼りがいがあって、爽やかなヒーローであるスパイダーマンは映画の最初(と言っても開始から28分後)で、敵に殺されてしまう。
 その爽やかなスパイダーマンの役割をひょんなことから引き継ぐことになった少年と、別の宇宙からきた挫折感を引きずっているスパイダーマンの二人が、今回の映画のメインになり、彼らの師弟関係は素晴しい。

 個人的にCGアニメ映画を見て来ていないせいか、アニメ映画と言うよりは、綺麗なゲームのムービーを全編見ているような気持ちにさせられた。

 2月某日

 友人と焼肉しようぜ、って話になる。
 平日に、お互い仕事終わりで僕の部屋で、という話でまとまる。仕事は僕の方が終わるのは早いので買い物は僕がした。
 普段では買えない肉を好きなだけカゴに入れて、角のウィスキーも瓶でカゴに入れた。

 21時過ぎくらいに友人が家に来た。
 乾杯してから、「これ誕生日プレゼント」と香水みたいなものを貰う。友人いわく、香水ではないらしい。
「香水って香りきついじゃん? これは女の子が好きな香りらしいんだよ」
 胡散臭いことこの上ない。

 長細い箱に入っていて、デザインはお洒落な感じ。説明蘭は英語と韓国語だった。まじで何か分からない。
 開けるとボトルが入っていて、スプレー式で香りをつけれるっぽい。

 せっかくだし、手首に吹きかけてみる。
 うーん、香りを表現する語彙を僕はあまり持ち合わせていないけれど、爽やかで、ちょっとだけ甘さがある香りだった。

「俺も買ってて、女の子と遊ぶ時はつけて行こうと思うんだけど、最近そういう予定全然ないんだよね」
「まぁ、まん防だしね」
 などと話ながら、肉を焼いた。
 野菜はキャベツとしいたけ。

 友人が翌日休みで、僕もだった為、朝まで飲むことになった。
 コンビニへ買い物へ出たのは覚えているが、それ以降は記憶が曖昧だった。
 翌日、微かに起きた時、友人が「じゃあ、また」と帰るところだった。あぁうん、と返しながら、体は重く動かなかった。
 普通に食べ過ぎの飲みすぎで、一日ずっと気持ち悪かった。
 はしゃぎ過ぎたと反省。

 更に、部屋は焼肉の独特の匂いに包まれていた。
 友人からもらった香りを部屋にふりまくのは、どうだろうかと一瞬考えたが、買い置きしていた消臭剤があったので、それを使った。

 2月某日

 最近、気づいたこと。
 市梨きみの「心中するまで、待っててね。」と一木けいの「1ミリの後悔もない、はずがない」を両方とも読んだのだけれど、感想を書くと長くなったので別の機会に譲る。
 ただ、一つ。
 どちらもラスト数ページはずっと泣いていた。

 最近、気づいたこと。
 今から書く小説にストーカーを出そうか考えていて、透洋子の「私はこしてストーカーに殺されずにすんだ」を読む。

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 内容は壮絶で、また透洋子の文章がパワーワードの連続で痺れた。
 また、大量のストーカー関連本を引用していて、あくまでストーカー被害者としての視点から語られてもいるのも好感が持てた。

「彼らのずるさ、卑劣さ、あきれるばかりの幼児性、妄想癖、身勝手、孤独、寂しさ、愛への強い欲求、劣等感、人一倍のプライド、傷つきやすさ、恨み、残酷さが私の興味を引いた」(荒木創造『ストーカーの心理』)

 とか、なるほどという感じだった。
 ただ透洋子の体験が元になっているので、現代のネットを駆使したストーカーの人たちは、また少し違ったステージにいるような印象もあった。

 最近、気づいたこと。
 第14回小説現代長編新人賞を受賞したパリュスあや子の「隣人X」を読み始める。冒頭の三ページほどは、大丈夫かな? と思うが、一章の「土留紗央の落し物」の語りから、上手さは感じられて良かった。
 女性の生きにくさを描きつつ、もっと広く現在の若者の生き難さを表現もしていた。続きも楽しく読んでいきたい。

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 2月某日

 ここから24日から始まったロシア軍がウクライナへ行った大規模な軍事侵攻について書きたいと思ったのだけれど、ずいぶん長い内容になるので、分割して別日に公開いたします。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。