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カフェ店員として新生活を生きる準備をしている。

 追い詰められていた訳ではない。
 ただ、このままじゃ駄目なんだろうなと理解していた。
 そういう瞬間は人生の折々で訪れる気がしている。

 一年前の夏、僕は三十一歳で朝の四時まで眠れないことが続いていた。布団に入って二時間から三時間、眠れずにああでもないこうでもないともの思いに耽ってしまう。
 答えの出ない漠然とした不安にとらわれるようになって、根本的な解決を大雑把におこなおうと決めた。

 その一環として、朝活をはじめた。
 僕の朝活は職場近くのカフェで三時間働いて、本業に出勤するというもの。これによって夜は十時に寝て朝は四時に起き、一日十一時間働くこととなった。
 夜も朝も忙しい日々は、漠然とした不安を感じる隙間を与えず、ベッドに入れば自然と眠れるようになった。

 大雑把な解決策はそれなりに有効だった。
 ただ、そんな日々を半年以上続けた頃に体力の限界がきた。更に、小説を読んだり映画を見る時間も上手く作れなくなった。

 僕は小説やエッセイに取り組むのに、ゆとりのある生活が必要らしかった。最初から分かっていたような気もするけど、改めて実感することが僕にとっては大事だった。

 そんな訳で今月、朝活を辞めた。十一ヶ月の勤務だった。
 今は十一ヶ月前の不安や追いつめられる感じはない。
 朝活をしようと思って始めて、続けて、自分の身体とか心の余裕とかと相談して終わりを決めた。
 働きながらでも、何かをしようと思えばできる。
 と、これまた最初から分かっていたような気もするけれど、行動して改めて実感できた。多分、これも僕にとっては大事なことだった。
 さっぱりとした気持ちで今の僕はいる。

 さて、そんな気持ちの中、今回のエッセイで何を書くべきか悩む。最近、あったことで言うと、京都市京セラ美術館で「ルーブル美術館展 愛を描く」を見に行ったり、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」を見たりした。
 あと、大阪にある文学バー「リズール」で三浦しをんのトークショーを見てきたし、京都みなみ会館で「札束と温泉」という映画を見てパンフレットに監督と演者からサインをもらった。

 どれも面白かったし、色々考えたのだけれど、久しぶりのエッセイということもあって、この手の感想を書く方法を僕自身が忘れてしまっている気がする。
 切り口として朝活から入ったわけだし、朝活の流れから何かを書くべきなんだよなぁと思う。

 そういえば、朝活を辞めようと思った理由の一つに体力やコンテンツ消費する時間が持てない、というのともう一つあった。
 今お付き合いしている恋人と一緒に住むことが決まって、引っ越し先から朝カフェの出勤時間に店へ行くのが物理的に無理だったから。
 めちゃくちゃ現実的な理由だなぁ。

 本業の職場は変わらずなのだけれど、朝カフェの出勤時間に仮に間に合っていたとしても、僕は続けなかったと思う。
 こっちとら十四年弱を一人で暮らしてきて、初めて恋人と共に生活をする訳だから、体力的にも精神的にも余裕を持って挑みたい。

 そう考えてみると、一人暮らしを長くした人はカフェなどで他スタッフと一緒に働く経験は、同棲の事前準備としてアリな気がする。
 というのも、カフェで働く中で他スタッフがどう動くのか、を予想するのは結構大事で、あ、この人がこれを準備してくれているから僕はこっちをやろうとか、仕事の手順もこの人とあの人で進め方が違うから合わせようとか、することは商品を提供なのだけれど、それに対するアプローチが人によって全然違う。

 生活においても、それは多分あって、恋人には恋人のやりたい方法の家事があるだろうしリズムもあるんだろうなぁと思う。
 なので、僕は同棲が始まったら、部屋を一つのカフェと仮定し、恋人を先輩スタッフと思って接していこうと考えている。

 このアプローチが正しいのかは正直、自分でも分かっていないけれど、今のところはそんな感じ。
 今、これを読んでくださっている方々で、いやそれは違うってとか、こういう心持ちで行くべき、みたいなアドバイスなどございましたら、ご教授いただければ幸いです。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。