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瞑想から得られるもの

今マインドフルネスと言う言葉が流行っていることや、瞑想についての研究が増えていることもあり、瞑想に関心がある人も多いと思います。でも、瞑想やったら一体何になるの???と思っている人も少なくないかもしれません。

瞑想が例えば心配を低減させるとかストレスを減らすなどといった科学的なデータはたくさんネットや本で公表されていますので、ぜひそちらを見ていただくことにして、ここでは、私個人が実際に経験したお話を共有したいと思います。

私は一時期、「Meisoukai」(瞑想会)というグループにいたことがありました。集まる人たちの半分は日本人、もう半分はいろいろな国の人たちで、当然、宗教的バックグラウンドもさまざま。ただ「一緒に瞑想しよう」という集まりで、会は英語で運営されていました。3.11があったことで、会の運営をしていた人を含め多くが自国へ帰ってしまったこともあり、その会はたち消えてしまいました。

その後、翻訳仲間と連れ立ってお寺へ行き座禅を組む、という活動(?)をしていたこともありました。都内のお寺や瞑想教室的な場所へ行って瞑想を組み、その後は軽く食事をしながら仕事や瞑想について語り合う、という感じの楽しい会でした。

ということで、私は複数のお寺などで座禅を組んだことがありますが(偶然ですがお寺の場合はすべて曹洞宗でした)、40分程度の座禅を組み、数分の休憩(経行という歩く瞑想をするところが多いと思います)を挟んで、また40分の座禅を組む、というスケジュールが多かったと思います。ちなみに座禅は1回を「1柱」、「2柱」というように「柱」という単位で数えます。お線香1本が燃え尽きるまで約40分なので、1柱は40分です。「柱」と呼ばれる理由は、お線香のイメージなのかなと勝手に思っています。

40分って、結構長いです。だいたい、中野駅から総武線(黄色い電車)に乗って市川駅まで行く時間と同じ。東京23区をほぼ横断できちゃいます!

。。。それはさておき。

で、その長い時間、座禅を組んでいると、間違いなく足が痛くなってきます。ちなみに通常、瞑想の本(特に英語から訳された本)を読むと、「楽な姿勢なら何でもOK」、「椅子に座っても横に寝転んでもOK」となっています。

でもお寺で座禅を組む場合は、姿勢についてはもう少し厳しく、結跏趺坐(脚がプレッツェル🥨みたいに絡み合って両方の足裏が腿に乗った座り方)か半跏趺坐(片足の足裏だけが腿に乗った座り方)で座るよう指導されます。半跏趺坐でさえもできない人は、あぐらでも構わないとは思います(っていうかそれ以外に座りようがないw)。膝が痛いとか足が悪い人はもちろん、椅子に座ることはまったく問題ありませんので無理をする必要はありません。お寺でも椅子を貸し出してくれるところもありますのでご心配なく!

で、私は体が硬いのでどんなに頑張っても結跏趺坐はできません。なのでいつも半跏趺坐で座っています。

■ただひたすら足が痛かった瞑想で気づいたこと

ある日、都内にある曹洞宗のお寺へ座禅を組みに行きました。

最初の40分の間に、激しく足が痛くなってきました。そのころ私は定期的に10〜20キロ前後走っていたのですが、その日もランニングしてから座禅に参加していました。それもあったのかもしれません。あまりにも足が痛くて、「座禅のしすぎでランニングができなくなるとかあるのかな〜」「このまま足が痛いのが治らなくて走れなくなったらどうしよう。。。」なんてヘタレなことを考えてしまうくらい、つらい時間でした。

姿勢を少し変えたり、体重がかかる場所を変えたりしてもぞもぞ動いてみました。でも足の痛みは一向に軽くなりません。もうどうしようもないくらい足が痛くなり、私の頭の中は雑念どころか、「足が痛い」でいっぱいになってしまいました。なんとか痛みを軽減する方法はないだろうか?と考え始めました。

そんな感じで、だんだん「痛みを観察しているような状態」になったとき、ふとあることに気づきました。痛みは間違いなくそこにあるんだけど、自分とは離れた存在として痛みを見られる自分がいたことに。

「痛い」と思っている自分と、それを冷静に観察している自分がいたのです。

その時は、それを発見しただけでその座禅のセッション(1柱)は終わってしまいました。でもなんだか気づいてしまったのです。もしこれを何度も続けて、「痛みから自分を切り離して観察できる心」を完全に体得できたら、いろいろなことに適用できるんじゃないかな〜ということに。

例えば、走っている時に体のどこかが痛み出したら、このテクニックが使えるかもしれません。

また例えば、身体的な痛みだけでなく、心の痛みにもこのテクニックは使えるかもしれません。

これは、40分という長い時間、座禅を組んでいたからこそ到達できた心の状態であり、痛みも出ない程度の短い座禅の場合、こんな心の状態を発見することはなかったと思います。

私は普段、1日に取れる瞑想の時間はせいぜい15分なのですが、時にはこの時のように「コンフォートゾーン」の外へ出ると、学びも得られるのかもしれません。

ただ残念ながら、その後は足が激しく痛むような長い瞑想を続けなかったからか、このときに少しだけ分かりかけたことをさらに深く理解はできていません。なので体の痛みにも心の痛みにも思い切りネガティブに反応してしまい、まったく成長がないままの私です。。。

痛みとの付き合い方については、私が今訳している(というか訳は終わって校正の段階です)、チベットの高僧がランニングと瞑想の共通点について書いた素晴らしい本『限界を乗り超える最強の心身 チベット高僧が教える瞑想とランニング』(CCCメディアハウス)に詳しく書かれています(そうなのです、タイトルが決まりましたっ♫)。前述したとおり、私自身が自分でも痛みを切り離して考えることができた経験から、この本の中で著者が書いていることは非常によく理解できました。

自分で見つけてきて日本語の本にしたいと編集者さんに掛け合った本なので、私が心底この本に惚れ込んでいるのは当然なのですが、読めば読むほど素晴らしくて惚れ直してしまいます。今のところ刊行日はまだはっきりと決まっていませんが、ぜひ楽しみにしていてください!!


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