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結婚のロマンチックな幸福をあきらめると、結婚は幸福になる

人生経験も育った環境も違うふたりが、ロマンチックな夢を捨て去って、人生の苦楽をともに歩もうと決心して、初めて結婚の幸福を手にすることができる。(バーランド・ラッセル)

結婚はしばしば絵に描いたような
パラダイスのように描かれますが、
本当に充実した
結婚生活を築くために
より現実的な視点を
提供しています。

異なる人生経験と生い立ちは、
誰もがユニークな背景を持ち、
それぞれの荷物を背負っています。
経験によって形作られた
世界の見方は人それぞれ。

この言葉は、
恋愛や結婚は「こうあるべき」
という期待を捨て、
パートナーシップの現実を
受け入れることを示唆しています。

人生には曲折がつきものですが、
結婚とは、チームとして
こうした困難を乗り越えていくこと。

問題のない人生を
期待するのではなく、
お互いに支え合うことが
大切なのです。

結婚生活は必ずしも
楽なものではありませんが、
この引用は、
より深い形の幸福に
つながるために
こうした試練に
一緒に立ち向かうことで、
共有の経験、相互の尊敬が、
揺るぎない支えによって
築かれていくものとしています。

つまり、真の夫婦の幸せとは、
荷物も何もかも含めて、
2人で創り出すユニークな旅を
受け入れることだということ。

チームワーク、理解、価値観の
共有という強固な基盤を築くことで、
どんな人生の嵐にも
打ち勝つことが
できるものとしています。

愛とはピッタリ合わぬ男女が、それでも手を離さぬ努力である

愛情セミナー (集英社文庫) 文庫 – 2013/2/20
遠藤 周作 (著)


Wikimedia Commons

バートランド=ラッセルは、(1872~1970)
1950年にノーベル文学賞を受賞した。

彼の "幸福論 "は、
座って深く考えることで
得られる概念ではない。
むしろ実体験から
インスピレーションを
得たものとされています。

しかし、数学や哲学の
頭脳派だっただけではない。
ラッセルは象牙の塔に
閉じこもっていたわけではなく、
第一次世界大戦後、
戦争反対と平和を叫んでいた。
第二次世界大戦後の1955年、
世界平和のため、
彼とアインシュタインは
「ラッセル・アインシュタイン宣言」
を発表した。

核兵器や植民地主義に反対し、
平和運動に深く関わり、
20世紀の良心と呼んでも
いいくらいの人物として
親しまれています。

写真素材:折り鶴 二羽

ラッセル・アインシュタイン宣言とは

冷戦の緊張が高まる中、
1955年7月9日、
ロンドンから力強い
メッセージが発信された。

象徴的な哲学者
バートランド・ラッセルと
伝説的な物理学者
アルバート・アインシュタインが
共同執筆した
「ラッセル=アインシュタイン宣言」は、
世界に軌道修正を呼びかけた。

これは単なる声明ではなく、
人類の存続を訴えたものだった。
アメリカとソビエト連邦が
水爆開発の危険な競争を
繰り広げている中、
この宣言は恐ろしい結果を
思い起こさせるものだった。

日本の物理学者・湯川秀樹を含む
11人の一流の科学者が、
力を合わせて懸念を表明。
特筆すべきは、
そのうちの10人が
ノーベル賞を受賞した
著名人だったことである。

マニフェストは
単なる警告ではなく、
行動への呼びかけだった。
核兵器を完全に廃絶し、
科学技術の進歩を
平和的な目的に
向けるよう求めたのである。

この力強い宣言は深く共鳴し、
アインシュタインが亡くなる
わずか3カ月前に発表した。

人類への最後のメッセージともいえる。

この宣言は「科学者たちの平和宣言」
として知られるようになり、
優秀な頭脳集団が
抱いた責任と希望の証となった。

マニフェストの影響は
言葉だけにとどまらなかった。
1957年に始まった
パグウォッシュ会議の
火付け役となったのだ。

この会議は、
軍縮と国際安全保障について
話し合うために、
世界中の科学者が
一堂に会した。

特筆すべきは、
湯川秀樹や朝永振一郎という
日本の科学者が
これらの会議に積極的に参加し、
メッセージが世界的な
広がりを見せたことである。

ラッセル・アインシュタイン宣言は、
潜在的な世界的脅威に直面する
科学者の責任を示す
強力なシンボルとなっています。

この宣言は、集団行動の可能性と、
すべての人にとって
より平和な未来を形作る上で
科学的専門知識が果たす
重要な役割を
思い起こさせるものとして
いまに語り継がれています。

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