見出し画像

言葉の「奥行き」は試行錯誤の末に生まれる

近ごろ、何かに「嫉妬」を感じたことはありますか?

私は、わりと毎日のように感じています。
特に「妬ましい」と感じるのは、人様の文章を読むとき。

noteの記事、SNSの投稿を読んでは
「この書き方、いいな」
「この文章、うまいな」
と思っては、妬ましさを覚えてしまう。

特に「妬ましさ」を感じるのは、「奥行き」のある言葉に出会ったとき。

「奥行き」のある言葉は、力があります。さりげない、飾り気のない言葉であっても、そこには「積み重ねきた何か」がある。

言葉の「奥行き」は、文体などの「表現のタイプ」とは、また違うものです。重厚で奥行きのある言葉もあれば、軽いけれど奥行きの言葉もある。

「奥行き」は「その人らしさ」のようなものかもしれません。
その人のキャラクター、ユニークさ、生き方、人生……「言葉」からは、それが垣間見れる。だから、やっぱり「よく生きている人」「しっかり積み重ねている人」の言葉には、自然と奥行きが生まれるーーように思えます。

じゃあ「よく生きる」ってどういうことか。
「しっかり積み重ねている」って、何をどう積み重ねているのか。

それは「試行錯誤」の質と量ではないでしょうか。

私は冒頭で
「近ごろ、何かに「嫉妬」を感じたことはありますか?」
と書きました。
正直なところ、これは思いつきで、あまり深い意味はありません。

だけど、誰かに何かを伝えたいと思ったら、一言だって無駄にはできないはずです。
特に「書き始め」は、文章の肝。どんな言葉をそこに配置するのか、それを通じて何を感じて欲しいのか、どんな読者体験を生み出したいのか……一見すると取るに足らない「瑣末なこと」にも試行錯誤の痕跡がある

書いて、読んで、考えて、消して、直して、また読んで、考えて、直して・・・そうした「試行錯誤」をどれだけ積み重ねているかは、不思議と伝わるものです。
「何をどう考えのか」の詳細は分かりません。でも、「何か」を積み重ねた跡が、残像のように、そこに存在している

それが「奥行き」を、言葉以上の、表現されたコンテンツ以上の「何か」を生み出しているのではないでしょうか。

・・・と、ここまで書いて、一つだけ無性に書きたくなったことがあります。

何を隠そう、私自身が「試行錯誤」の時間をとりたいと思っているのです。

私事を言えば、この2月はとても忙しく過ごしていました。
インプットをし、それを咀嚼して、アウトプットするーーこのプロセスをくり返す日々。「アウトプットを出すこと」を目的に据えた場合、うまくいっているのかもしれません。

だけど、アウトプットの量に対する満足度はイマイチなのです。

「インプット」と「アウトプット」の「あいだ」の期間が短くなるほど「エラー」を避けたくなります。「エラー」にかける時間がムダだからです。
すると「トライ」の幅が減り、いつの間にか「これまでのやり方」をアレンジ&改善するような「維持する努力」を積み重ねるようになっていく。

「維持する努力」が悪いわけではありません。
特に、仕事の場合は、コスパも、敢えて変えないことも必要です。

とはいえ「維持する努力」が生活のメインになると、何かが失われていく感覚があるのです。

失われていく「何か」とは、何なのか。それは「エネルギー」や「生命力」のような、とても曖昧で、捉えどころのないものなのだろうと思います。

ただ間違いなく言えるのは「維持する努力」だけでは「よく生きる」「積み重ねる」という感覚は得られず、結果として「奥行き」は生まれないのです。

というわけで。
3月は、もっと良質な「試行錯誤」の時間をとりたいと思います。
良質な試行錯誤とは、たくさん考えて手を動かしていくこと。

自分のための文章も、誰かに読んでもらうためのnoteも、もう少し書いていきます。

* * *

あなたの言葉が、必要としている方に届きますように!
さいごまでお読みくださりありがとうございました。

#クリエイターフェス

この記事が参加している募集

編集の仕事

サポートいただいた金額は、別の方のサポートに使用いたします。 コンテンツ作成、創造をサポートしあう文化を、根付かせていけると良いなと思っています。 ご協力よろしくお願いします。