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2013年卵巣嚢腫入院記:その10 その後

 この話は、2013年に卵巣嚢腫で入院した時の、私の簡単なメモと記憶を頼りの話なので、医学的な正確性を保証するものではありません。色々な事情で細部を変えていたりぼかしたりしていたりもします。単なる曖昧な体験記と割り切ってください。

前回までのあらすじ
 経過は順調だったので無事退院となったよ。でも会計に時間がかかって周りがイライラするので困ったよ。


 退院後、数日は自宅で寝たり起きたりで過ごしていました。
 幸い、私はこの時定期的に通勤するような仕事もなく、つれあいが気遣ってくれる人だったので家事に追われることもなく、ゆっくり養生に専念できました。これは文章に書くとさらっと終わってしまうものですけれど、非常に得難いものであることは後々理解いたしました。
 でもこれが「得難いもの」になってしまうというのは、かなりオカシイですよね。患者の一番大切な仕事は「養生」なのですから。
 退院したばかりの人に家事や仕事を投げる者よ、夏の間ずっと足の小指を蚊に刺され続ける苦行を、「聖☆おにいさん」の天部から配達されるがよい……。

 家で静養していた時に、地味に困った……というか「病み上がりなんだなぁ」と実感させられたことは、おなかに力が入らないことです。
 痛いとか辛いとか以前に、身体が「CAUTION! CAUTION! おなかに力を入れないでください!繰り返します、おなかに力を入れないでください!」と常にアラートを出しっぱなしにしているような感じで、何も考えずに起き上がることができません。
 起き上がる時には、必ずひじや手を突いてからでないと動けないので、些細な動きにいちいち「おっとっと」となっていました。

 あとひとつ、びっくりしたのは、退院二日後に早くも月経が来たことです。
 事前にホルモン剤を使っていましたし、病院では「たぶん一ヶ月くらいしたら月経が回復すると思います〜」と言われていたのですが、いきなりやってきたので驚きました。
 しかし、ごく普通の月経として始まり終わり、その後の経過観察の診察等々でも何も異常はなかったので、本当に普通の月経だったようです。「もうコピーミスは治ったんだし、いいッスよね?」というノリでさっさと通常営業に戻る己の身体にびっくりだ。

 結局その後1回経過報告の診察がありましたが、非常に順調に回復してますね!ということで「治療終了」となり、私の生まれて初めての入院手術体験はお開きとなりました。

★★★

 振り返って、この経験が私にもたらしたものは、以前にも少し書きましたが「自らはいつか死すべき定めの存在である」という実感でした。
 若い頃は、何故か、自分と自分に身近な人は死なないんじゃないかという無意識の錯覚を持っています。もちろん本当はそんな訳ないと頭ではわかっていますが、全く腹落ちしてないというか、「いつか死ぬ」というのは実感が全くない言葉でした。
 それがこの経験で、自分はふつうに病気もするしその先には死ぬのだ、という実感に変わりました。
 この実感は、私をほんの少しですが、優しくしたと思います。
 それから十年も経たない後に私は母を亡くしたのですが、母の死を受け容れることができ、大きな失調をせずに済んだことにも、関わっているのかも知れません。

 ただ、この実感にはある種の副作用もあって、私はこれ以来、うっすらとした病気ノイローゼみたいなものを起こしています(笑)。
 今回の病気が全く自覚症状がなく「たまたま見つかった」たぐいのものであったために、不安センサーが感度を上げてしまったようです。
 ここ10年くらいの私は、後から思えば大したことのない痛みや症状をどうにもスルーできなくて、自分でもこれは心配しすぎと思っていても病院に行って診察してもらうということをしています。
 今のところ、すべて「大丈夫です問題ないですよ」で終わっていて、そう診断を受けた途端に症状が気にならなくなるので、「たぶんまた気のせいなんだろうなぁ」と理性的には思うのですが、逆に言えばそう診断されないとどんどん不安になっていくので、仕方なく毎回病院に行きます。

 人間という存在においては、理性は「最近経営権を持った若社長」みたいなもので、実際の取り回しは古株社員や生え抜き取締役の感情や感覚や内臓や神経がやっています。
 若社長がいくら「大丈夫ウチの経営は順調だ!」と大見得を切っても、感情専務や大腸部長あたりが「そうは言うけど懸案が」とか言い出すと、下っ端社員たちが「そうッスよね!社長は若いから何にもわかってないッスよ!やっぱ専務や部長の方が頼りになるッス!」となってしまうので、会社全体としては絶対若社長の思うがままには動きません(笑)。
 しょうがないので毎回臨時株主総会やら社外取締役が出る監査会やらを開いて、説明をするハメになるという、コーポレートガバナンスに苦労している企業みたいな状態です。

 まあ、もしかしたら本当にその中に病気があったりするかも知れないので、一種の必要経費だとあきらめています。それでも、なるべくお互いの負担にならないように、平日の比較的空いている時間に行くようにはしてますがトホホ。
 自律神経専門医の小林弘幸さんも、「何か変だなと感じるなら必ず病院で検査をしてもらって、取り越し苦労だったとはっきりさせることが最も大切だから、気軽に病院でチェックしてもらうべき」とどこかで書いていたので、まあ許してもらえるだろう……と都合よく考えております。実際に診察するのは小林さんじゃないから、お医者さん側は文句があるかもだけど。すみません。

★★★

 なんだかんだで、私は今日も元気にやっております。
 手術を執刀してくれたお医者さん、麻酔をしてくれたお医者さん、看護してくれた看護士さん、病気を見つけてくれたお医者さん、健康診断でアドバイスしてくれたお医者さん、健康診断をセッティングしてくれた保険組合のみなさん、これら全体のシステムを組んでくれたみなさんのおかげで、私は今日も元気です。
 また、つれあいはもちろん、家族や友人の協力と優しさのおかげで、私は今日も元気です。

 そして、私がこんな風に治療を受けられるのも、これまでの歴史で卵巣嚢腫によって苦しみ亡くなってしまったたくさんの方々の遺した経験や記録、それに支えられた研究や臨床あってこそです。
 私の人生においてそこまでの大騒動にならずに乗り越えられたのは、そういう犠牲を人類がちゃんと生かせたからであり、そういう方々の魂が少しでも安らかに憩うことができていることを願います。

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