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『マーケットデザイン』 方法は、ある。使う決断はできるか?

 道徳を用いずに、倫理的な結果を導くにはどうすればいいのか。

『マーケットデザイン 最先端の実用的な経済学』,坂井豊貴著,筑摩書房発行,2020年第三刷(初版2013年)刊行

 あるモノやサービスを、それを必要としている人のもとへ、適正な価格で、適正なコストのもとで届けるには、どうすればいいのか。
 モノ(コト)を市場に出してカネと交換するというシンプルでプリミティブな方法でうまく分配が叶わない時に、どういう方法が使えるのか。あるいはどうすればシンプルな市場をより優れたものに進化させられるのか。
 マーケットデザインの追求する目的を言葉にすれば、たぶんそういうことなのだと思う。この経済学の一分野を、わかりやすく紹介した本だ。

 めちゃくちゃ丁寧にわかりやすい説明で書かれた本で、とても読みやすかったのだけれど、実際の方法の展開を理解できたかと言われると自信はない(笑)。
 もっともそう思えることはいいことで、著者も巻末に「マーケットデザインの知見を実際に活用したいと思った人は、専門家にきちんと相談してほしい。半端な理解で間違った適用をしてしまうケースが多々あるから」みたいなことをわざわざ書いているくらいだから、個々の方法論のやり方を覚えるよりも、こういう考え方があっていざという時にはこういうものをきちんと活用できるんですよ〜という発想を得ること自体が、大切なのだろう。
 適正な値付けや分配、ということは全ての人が関心を持つ事柄なので、つい生兵法を振り回したくなる気持ちは、すごくわかる。私も言われてなければやりそうである。

★★★

 紹介される事例は、腎移植のドナーマッチング、学生寮の部屋と学生・ゼミと学生・病院と研修医・結婚を希望している異性(話を単純化するためにここではヘテロセクシャルの事例だけをとりあげている)などのマッチング、様々な種類のオークションだ。
 それぞれの事例と内容、適用される理論は別々なのだけれど、その中には共通した要素がいくつかある。
 その中で個人的に面白かったのは、「耐戦略性」という概念だ。

 人が自分の希望をかなえようとする時、率直に正直に行動すると結局損するだけになってしまうケースがある。
「本当はこのプロジェクトは100万でうまく運営できるんだけど、毎回申告したよりも予算を減らされるから、200万かかりますって言っとこう」
みたいなアレだ。
 そういう虚偽の申告をすることで自分の損を回避する、あまつさえ他人の利益を横取りできるかも知れないという「戦略」に対して、誰かがそういう行動をしてもその人が余計な利益を得られない、「全体にとって一番ましな形」に配分できるやり方が、存在する場合がある。そういうことを、「耐戦略性を満たす」と表現するのだそうだ。

 参加する全員が「嘘を言っても利益にはならない」と理解していれば、嘘を言う必要がなくなるので、真意を探るコストをかけなくていい。それはずいぶんと気が楽になる世界だと思う。耐戦略性を満たしているか否かをあらゆる分配ルールを決める際の条件にしてほしいくらいだ(笑)。まあ、これを満たせるケースばかりではないのが難しいところなのだけど。

★★★

 またこの本には、ほんのわずかだけ、いわゆる「転売」について言及した箇所がある。
 著者は経済学者の多くと同じく、「転売そのものは悪いことではない」と最初に明言している。
 だが、と続くところが重要だ。

転売の余地を残すオークション方式は、それ自体で効率的な資源配分を実現していることに失敗しています。

第三章「競り落としの工夫」

 つまり、転売ヤーが利益を得られるのならば、もともとの売買システムに欠陥があることに他ならず、それを改善することに着手するべきではないかということだ。
 ネットに跋扈する「転売ヤーは悪、滅ぼすしかない」という勇ましい道徳的発言は、そういう意味では転売ヤーの根絶にはあまり、というか全然役に立たないと肝に銘じるべきなのだろう。
 もちろん人間の道徳的感情を満たすことは、大きな目で見れば大切だから、そうやって気炎を上げることは無意味ではないけれど、それをメインの対策手段だと思い込むのは、「犯罪者を全て死刑にすれば安全な社会になる」並みの短絡的発想である。

★★★

 嘘をつかずに正直に言って欲しい。
 本当に必要な人に適正な価格でモノやサービスが届いて欲しい。
 そういう願いをかなえる時に、私たちは「道徳に訴える」という方法を採りがちだ。
 それが最もプリミティブで誰にでも採れる手段だから、というのはもちろんある。だがこの手段を上手く機能させるためには、様々な前提条件が満たされなければならないことを、忘れがちである。
 なぜ忘れるのかと言えば、「前提条件が違えば道徳は機能しなくなる」と考えるのは、自分は道徳的であるという無意識の安心感が掘り崩される、とても辛くて不快なことだからでもあるだろう。
 自分が、自殺せずに自分を許して生きていられる程度に倫理的に生きられるのは、幸運な前提条件が揃ってたからだ、と腹の底から認めるのは、とても苦しい。
 その苦しさに直面しないために、他人を非道徳的だと攻撃せずにはいられないほどに。

 そんな風に感じる時に、経済学の
「正直に行動すれば自動的に全体に最適になるように、システムの方を変えましょう」
という提案は、ドライでからっとしていて、ありがたいなぁと思う。他人の真意を測るのにうんざりしている時などは、特に。

 けれどこういうマーケットデザインが、なかなか広く普及しないのは、理解が難しい高度な学問であるということの他に、
「他人の行動は縛って欲しいけど、自分の行動は、最終的に自分の利益になるとわかっていてもシステムで制約されたくない」
という反抗期のような欲望が、人間にはどこまでもつきまとうからなのかも知れない。
 著者はこの本の中で、紹介された様々なマーケットデザインが日本の市場で適用されていない事実と、それによって起こっている損害については淡々と述べているが、その理由については、恐らく意図的に深く言及していない。
「マーケットデザインが全体の利益を増す優れた道具である」ということを理解してもらうことを第一目的とし、その上で優れた道具を使おうと人々が思ってくれるかどうかは、別のレイヤーに預けているのだろう。

 そこに私は、坂井豊貴さんの、自分自身も含めた人間の存在というものに対するドライな突き放した感覚と、同時に人間には叡知があるはずだという祈りのようなものも、勝手に感じてしまったのである。

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