2013年卵巣嚢腫入院記:その6 吐き気止めとイアホン

 この話は、2013年に卵巣嚢腫で入院した時の、私の簡単なメモと記憶を頼りの話なので、医学的な正確性を保証するものではありません。色々な事情で細部を変えていたりぼかしたりしていたりもします。単なる曖昧な体験記と割り切ってください。

前回までのあらすじ
 いよいよ手術が近づいてきて、お医者さんがあまりに自信たっぷりだから逆に不安になったくらいだよ。病院ではずっと挨拶してたよ。

★★★

 いよいよ手術当日となりました。
 手術は午前中、ほとんど朝一番。つれあいが午前休をもらって立ち合ってくれることになりました。立ち合い、と言ってももちろん手術室の中に入ってにらみつける訳ではなく、外の待合室で待つ係です。

 移動できるベッドに横になり、ドキドキしながら手術室に向かいます。手術らしい手術は初めて、全身麻酔も人生初。不安はあまりなくて、初めてのことへのドキドキが強かったです。
「それじゃあ行ってくるよー。うまくいくことを祈っておくれー」
 つれあいに手を振って、手術室へピットイン。

 手術室は機械と機能の具現化です。リラックスという要素がどこにもありません。もっともヒーリングミュージックを流したところで太刀打ちできるとは思えません。
 スタッフの皆様がテキパキ、パタパタと走り回ります。
「マスクつけまーす」
 軽い断りとともに、酸素マスクとおぼしき透明な物体が顔に押し付けられました。ぎゅうぎゅう。
 むぐ……むぐぐ……フゴッ……フゴゴッ……
 キ、キツイ……顔がマスクにぎゅうぎゅうに締めつけられてきつい……息ができない……
 し、死ぬ、私はここで死ぬ……手術する前に酸欠で死ぬ。
 入院して初めて「死」という文字が迫ってきたのはここでした。

 フゴッ……ぶふぉお……と苦しみもがく私に気付いた麻酔担当医さんが、「キミ、これ締め過ぎだ!」と助手にあわてて指摘してくださり、私は命を取り留めたのでした。
 笑い話ですが、あの瞬間は真剣に怖かった。今でも時々、「あのままお医者さんが気付かないまま手術が始まってたら……」とか想像して、取り乱すことがあります。怖い。

★★★

 全身麻酔というのは初めてだったので、一体どういう感覚になるのだろうなぁという興味がずっとありました。
「それでは麻酔をかけまーす。ゆっくり数をかぞえてくださいねー」
 ベッドに横になり、天上のまぶし過ぎる塊状のライトを見つめました。その時視界に映った光景は、この後もずっとフラッシュバックのように心に残りました。私の中で、何かがこの瞬間変化しました。
 恐らく、私はこの時から、多くの若者が持つ根拠のない万能感・無謬感・不老不死幻想を失い、自分が病気をする定命の存在なのだということを実感したのでしょう。

 数は三まで数えたような気がするのですが、そこで意識は急速になくなっています。なくなるのですが、ぷつっと切れたとか、あるいは「意識が薄くなっていく〜」という感覚はありません。
 普段意識に変化が起こる時には、多少の時間経過が必要で、そこにグラデーションを感じられるのですが、全身麻酔はその時間経過があまりに短く、意識が変化するまでの経過がぎゅっとコンパクトにされているので、実感ができないようです。
 とはいえ、ぶつ切りにされるのではなく、圧縮された時間の中で一応グラデーション的に意識がなくなっていくので、「意識が切れた」という感覚も存在しない。
 他にこういう経験がないので、独特の体験だと思います。

 人によっては、全身麻酔の間も何らかの感覚を味わったり、イメージや白昼夢を体験したりするそうですが、私の場合は何もありませんでした。夢のない睡眠。無でした。

★★★

 意識が戻った瞬間、最初に何を見たのか。つれあいの顔だったような記憶があります。実際はどうだったのかわかりません。不安を感じた心が、つれあいの顔を見る前の記憶は全部不要とカットしているのかも知れません。
 事前に看護師さんに忠告されていた、「手術後に麻酔が切れてる状態で呼吸器外すので痛いよ」現象ですが、何故か私の場合は起きた時にはすでに呼吸器は外れていました。自発呼吸が戻ってからも睡眠状態だったようです。痛くなくてラッキーでした。

 手術終了から麻酔が醒めるまで、私の場合は1時間ほどあったそうで、その間につれあいは、摘出した卵巣嚢腫を子宮筋腫を見せられたそうです。
「まあ、なんかよくわかんない内蔵みたいな組織みたいなぐちゃぐちゃしたもので、出されてもよくわかんなかったよ」
というコメントでした。全くその通りすぎて言葉もない。

 病室に戻りベッドに寝かせてもらい、無事を確認したつれあいが出勤するのを見送り、あとは寝て回復するのみとなりました。尿道カテーテルと点滴がついているので、補給するものは勝手に補給され、出るものは勝手に出るので、起きる必要がありません。
 さすがに疲労感というか「とてもではないが起き上がれる感じではない」という信号を全身が発しているのですが、眠気は意外となかったです。冴えてる訳でもないのですが。持ち込んだiPodとイアホンで、ずっと音楽やラジオや昔録音したあれこれを聴いていました。聴いてるとそのうち眠くなって、途切れ途切れに寝る感じ。

★★★

 問題は、点滴に一緒に入っていた、痛み止めでした。
 いや、痛み止め自体は大変よく効いて、結局私は手術後にほとんど痛みを感じることはなかったです。大変ありがたいことです。
 ありがたいのですが、この点滴、副作用として吐き気があるそうで、それが厄介だったのです。
 厄介な理由は、吐き気がない時は全然なくて快調そのもので、「全然平気じゃね?」と感じるのですが、2-3時間ごとに、その全然平気じゃね?という気分が粉々になる猛烈な吐き気が来るのです。

 実は私はもともと、嘔吐恐怖症の傾向があって、吐き気がすごく苦手です。吐き気が苦手なので、「吐き気が来るのではないか」と感じること自体がストレスになって吐き気が来る、という悪循環を、若い頃よく起こしていました。
 20代前半に、外食すると食事自体は超美味しくいただいて消化にも何の問題もないのに、この「吐き気が来そうな気がする吐き気」が来て苦しむという時期がしばらくありました。一種の自律神経失調だったのかも知れません。実際に嘔吐することは皆無なので、そういう時はひたすら歩いたり何かをバンバン叩いたりして別の肉体刺激を与えて紛らわすのですが、入院中はバンバン叩けないよね。

 この2時間に1回やってくる猛烈な吐き気、昼の間は「吐き気がするぅぅぅぅうえぇぇぇぇ」で我慢してるとそのうちなくなったのですが、夜になったらついに胃が反乱を起こし、実際に嘔吐するようになりました。吐くものは何もないので、当然ながら胃液しか出ない。
 いよいよヤバいと感じたら、吐瀉物を受け止める容器を看護師さんに持ってきてもらうためにナースコールするのですが、看護師さんが来るまでの時間が、手垢のついた言い回しですが無限に感じました。アインシュタインの相対性理論は正しかったよ(相対性理論てそういうことじゃない)。
 夜中に3回くらい吐いた末に、朝の5時くらいに看護師さんが哀れんで、「吐き気止めを点滴に入れますか?」と提案してください、絞りまくったボロ雑巾のような顔で私はうなずいて吐き気止めを入れてもらったのでした。

 吐き気止めを入れたら、さっきまでのアレは何だったの?と言わんばかりに、5歳児のように爆睡しました。早く入れてもらえばよかった……(笑)。ていうか、吐き気止めがあるって知らなかった。
 今度手術するようなことがあったら、必ず吐き気止めを入れてもらおうそうしよう。

教訓:マスクがぎゅうぎゅうだったら暴れろ。あと吐き気止めは入れてもらえ。
 

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?