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「とにかく歩いてください。歩くことは考えることです」

明日の言葉(その16)
いままで生きてきて、自分の刺激としたり糧としたりしてきた言葉があります。それを少しずつ紹介していきます。


毎日なるべく歩くようにしている。

健康のためではない。
考えるためである。
自分の足で歩き、自分の目で見て、考えるためである。

それは40年前くらいに聞いたこんな言葉を、強く意識しているから。

とにかく歩いてください。歩くことは考えることです。


これはボクが浪人時代(1980年ころ)に通っていた駿台予備校の世界史の大岡師(駿台では先生を『師』と呼ぶ習わしがある)が、最終講義で言った言葉である。

「大学に入ったら是非ともしてほしいことがあります」と彼は言い、なんだろうとみんなが身を乗り出した次の瞬間、上のように続けたのである。



駿台には名物講師というのが何人もいて、その講義は立ち見で溢れる(つまりその授業を取れなかったヒトたちが勝手に聞きに来るわけですね)。 

立ち見すらできず、廊下の窓からテープレコーダーを持つ手を伸ばして講義を録音するヒトがたくさんいた。

生徒は文字通り一言一句集中して講義を聞く。
そりゃそうだ。浪人生が主体だから、みんな人生がかかっている。

先生たちもそれに応えるべく予備校レベルを超えた、いや大学の講義レベルも超えた、非常に濃い講義をする。

こんな真剣勝負な講義は高校でも大学でも行われていないだろう。

駿台の講師たちは「生徒が一言も漏らさず集中して聞いてくれる」というそのやり甲斐をもってして、大学教授の口を断ったりしていた。

そのくらい熱気に溢れる講義だったわけである。


あの頃の駿台には印象的な先生がたくさんいた。

英語の奥井潔師、伊藤和夫師、筒井正明師、濱名政晃師、日本史の安藤達朗師、数学の根岸世雄師、中田義元師、野澤悍師、長岡亮介師、古文の桑原岩雄師、関谷浩師など、想い出に残る先生は駿台にいっぱいいた。

後にも先にも数学や英語などの講義で、感動して涙ぐんだりしたのは駿台だけである。


で。
その中でも世界史の大岡俊明師の評判は高かった。

ボクは日本史受験だったので世界史の講義は取ってなかったのだけど、あまりの評判の高さにわざわざ立ち見しに行ったものである。

その講義は機関銃トークの強烈なものだったが、世界史で受験しないボクにはちんぷんかんぷんだった。

他の先生みたいに要所で人生論とかはさんで泣かせるようなこともなく、とにかく世界の歴史の諸相を驚異的な構成力と読書量で話して話して話しまくる。

板書もあまりせず膨大な知識をどかどか出して生徒を圧倒していく感じ。

受験用の「勉強」ではなくて「学問」そのものの奥深さを体感させてくれる意味で感動的な授業だったようだが、世界史門外漢にはさっぱりわからん。

だから、数回立ち見しただけで、その後はすっかり覗かなくなった。



年が明けて1月中旬。
大学受験本番直前。

名物講師たちの最終講義が次々とおこなわれた。

淡々と終わる先生もいれば、明るく厳しく未来を語って生徒を奮い立たせる先生もいた。生徒たちを嗚咽させた強者までいた。


ふと思った。
あの、大岡師の最終講義って、どんなだろう?

ボクは(受験本番直前ではあったが)久しぶりに彼の講義を立ち見に行った。

ちょっと早めに行ったのだが、最終講義だけあってもう教室内は立ち見で満杯で入れず、ボクは廊下からヒトの肩越しにその講義に耳を澄ました。

さすがの大岡師も、もしかしたら自分を奮い立たせる話でもしてくれるかもしれない、とても感動的な話をしてくれるかもしれない、とか、わりと期待した。

・・・期待に反してというか期待通りというか。

大岡師は、最後の1分まで、機関銃トークで世界史を語り続けた。ものすごい知識量を滝のように受験生たちに降り注がせた。

あぁ、やっぱり世界史の話しかしないのか・・・

ちょっとがっかりしていたのだが、最後の最後で、彼は珍しく少しだけ間をおいて(ものすごい機関銃トークなので、少し黙るだけでそれがすごく長い時間に感じる)、静かに冒頭の言葉を話したのである。

大学に入ったら是非ともしてほしいことがあります。
とにかく歩いてください。歩くことは考えることです。


歴史以外のトークをほとんど聞いたことなかったこともあって、とても強く印象に残ったが、それとともに、なんとなく拍子抜けもした。

歩く? 
歩くことが考えること? 

んー、なんかもっと深遠な言葉を言って欲しかったなぁ・・・

大岡師は、この言葉を言った後、「お疲れ様。がんばってください」と早口に言って、そそくさと教壇を降りたのであった。

みんな、少し呆気にとられ、しばらくの間があってから、大きな拍手で感謝を伝えたのである。


そのときは拍子抜けだった。
でも、なぜかずっとこの言葉は心に残っていた。

そして、反芻を続けているうちに、その言葉がいかに深く、いかに真理をついているか、じわじわとわかってきた。

もちろん、単に歩け、と言っているわけではない。
歩くことで脳が活性化される、なんてことを言っているわけでもない。

自分の足で、自分の目で、しっかりこの世界を見て回れ、そして自分の頭で考えろ、と言っているのである。

大岡師は「人類の長い歴史」を、高く俯瞰した視点から縦横無尽に語ってくれていた。

そういう高い視座をボクたちに教えた彼だからこそ、ああ言ったのだと思う。

マクロな視点で見ることは(これまで1年教えてきたように)とても大切なことだ。
でも、頭だけで考えていちゃいけないよ、と。
ちゃんと自分の目で見ろよ、と。
書を捨てよ、街に出よ、と。



大学に入ったあと、新聞に「大学生が歩いて日本縦断」みたいな記事を見つけたことがある。

その大学生はインタビューに答えて、「予備校の先生が『大学に入ったらとにかく歩きなさい』と言った。だから日本中を歩いてる」と語っていた。

読んですぐわかった。
大岡師のことだ。

新聞記者は「なんのこっちゃ」と思っただろう。
「そ、そんな理由? バカなの? 素直なバカなの?」って心の中で思ったかもしれない。

でも、ボクにはわかる。
キミは考えているんだな。
自分の目で見て、考えているんだな。


年齢が行き、世の中や社会や世界のことが(頭で)わかったつもりになっていくに従い、ヒトは自分の足で歩き、自分の目で見ることをやめていく。

歩こう。
自分の足で歩き、自分の目で見よう。
借り物の知識ではなく、自分の頭で考えよう。

それは日常の見慣れた風景の中でもいい。
スマホなんて見ず、ちゃんと歩こう。

とにかく歩いて、考えよう。


古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。