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旧約聖書のアートを大量に観て思ったこと。


昨日、4ヶ月にわたって全65回書いてきた連載を終えた。

アートをいろいろ見ていても、聖書の元ネタがわからないと楽しめない絵画とか彫刻が多すぎる。だったらアートとともに元ネタを知っちゃおう、という連載だった。

その「旧約聖書」篇が、昨日、終わったのだった。


全65回に131日
平均2日に1本
毎回5000字〜8000字くらい。

1本の記事を書くのに、だいたい平均5〜6時間くらいかかったかな。

毎回こんな風に制作してた。

(1)数日前から本を読んでストーリーを予習する。
(2)とりあげるエピソードの絵をかたっぱしから見回る。
   まずは本で有名絵画を知り、その上でネットで検索しまくる。
(3)それらをnoteの「下書き」にチマチマ貼っていく。


こうしてアップする前日くらいまでに貼り終わっているのが理想だ。
一番多いときで83枚貼ったw(『スザンナの水浴』)

この「貼る作業」は、複数エピソードを並行してやることが多かった。
わりと作業なので、名画とかどうとかあんまり考えず、見つけたらとりあえず貼ってみるのをくり返した。

(4)そのエピソードの「自分なりの切り口」を考える。
(5)そしてその切り口の順に絵をすべて並び替える。
   この時点でイマイチな絵は削除したりもする。


これが一番大事な工程で、ここでいい切り口が見つからないと書き終えても面白いものにならないし、自分的にも残尿感が残ることになる。

その場合は数日放っておいて「いい切り口」が出るまで粘る。
切り口さえ決まれば、貼替えは酔っていても、ZOOM飲みしててもできるのでわりと深夜に作業した。

(6)文章を一気に書く(2時間くらい)
(7)絵のキャプションを書いて、サラッと推敲して、公開。


もう切り口が決まっているので、文章を書くこと自体はわりと早いかな。
推敲は軽くにして、なるべく勢い重視で書いた。
だって、世界中に研究者がたくさんいる分野だ。いろいろな側面から考え出してもただでさえ薄いメッキが剥がれるだけw 

ということで、

前日に絵を探して貼るのに2時間。
切り口を絞って貼り直すのに1〜2時間。
文章書いて公開まで2時間。

だいたい5〜6時間くらい、すね。

でも、この連載を書くためにお酒を控えたり、仕事のスキマ時間を少しずつ投入したりしていたから、自分的には「長時間かけた」という意識はあまりなかったなぁ。

つか、楽しかったのですよ。


なんか「連載が進めば進むほど、世界がするすると読み解かれている実感」があって、とても楽しかった。

だって、ほんと、世界は「元ネタは聖書」って物語で溢れているんだもん。


昨日も映画『マトリックス』に言及したけど(↓)、欧米のクリエイティブの多くは、聖書知識前提で成り立っているものが多いのだ。

まぁ旧約聖書のことばかり毎日考えていたので、特にそういうのが目に耳に入ってきたのだろうとは思うけど。


あと、この連載、「同じエピソードの絵を大量に貼る」と決めていたんだけど、結果的にこれも良かった。

なにがって、

同じエピソードの絵を大量に見ると、画家がどういう視点で描いているのかが浮き彫りになって超おもしろい!


のです。


ほら、あるエピソードについて、たいていは有名な絵を数点しか見ないわけですよ。

たとえば『アダムとエバ』というエピソードなら、本とかに超有名な名画が数点掲載してあって、それを見て「あぁ、なるほど、こういうものなのか」とありがたく見てしまってオシマイだ。

なんか、「あぁこれが名画というものなのね」と、ひざまづいてしまう感じすらある。名画として鑑賞してしまう感じ。

でも、同じエピソードで他の画家の絵をとにかくたくさん見てみると、もうなんつうか「ありがたくない絵画」もたくさんあるし、全然違う解釈も存在するし、「なんだこりゃ?」という奇妙キテレツな絵も存在するわけ。

つか、「これ、世に名画と言われているけど、他のに比べて、そんなでもなくね?」という視点すら生まれてくる。

いや、絵の技術としては名画なんだろうけど、少なくとも「エピソードの解釈」においては浅くないか? みたいなこと

いわゆる「名画」よりも味のある解釈の「アート素人的には無名ないい絵」の多かったことよ。

そして、画家たちは(当時の先端アーティストとして)、何かしら理由があってそう描いている
気まぐれにそう描いたということはない。

じゃ、なんでこんな風に描いたのか?


これを考えるのが超楽しかった。

どうしても意図がわからない絵もあったんだけど、たいていは「大量に比較してみていくとわかってくる」ので、そこを推理していくのが一番おもしろかったなぁ。まぁ的外れな推理もあったんだろうけど、少なくとも考えている間は楽しかった。


正直、アニサキス・アレルギーで「ほぼすべての海の魚介類が食べられなった」という苦痛から目をそらすために始めた部分があったんだけど、逆に言うと「アニサキス・アレルギーにならなかったら、きっとこんなこと始めなかっただろう」と思う。

・・・何かを失うと、何かを得る、ね。

旧約聖書の知識とアートをたくさん深く知れたことは、たぶん「一生もん」だし、いいもん得たな、と今は思ってます。


ちなみに、明日か明後日には「新約聖書」篇を始める予定だけど、旧約聖書よりも有名なエピソードがてんこ盛りだ。

しかも旧約よりちょっとふざけにくいw
まぁでも、気楽に書いて行こうと思います。


とりあえず、コロナ禍後に美術館に行くのが楽しみだ。

旧約聖書ネタの絵を見つけたら、きっと駆け寄って舐めるように観るオレがいるw



古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。