ライジングサン1999の記憶、でもミッシェルは覚えていない

起きたらTwitterのトレンドに「世界の終わり」。

そうだそうだ、昨夜からライジングサンロックフェスの配信やってたんだった。そこで流れたのが、99年(第1回)の『世界の終わり』だったらしい。

99年、第1回。自慢じゃないけどいや自慢だけど、「自分史上唯一の野外ロックフェス体験」それが1999ライジングサン、だったのです。エゾロックという渾名も使われてたな。

東京から18きっぷで長い時間かけて北海道入りしたことも、函館乗り換え待ちで駅を出て夜中のミスドで潰した時間も、道中は初めての女性と一緒の旅行だったことも、札幌の街中はホテル代が高くてかなり外れたところのビジネスホテルに泊まったことも、北海道にとっては猛暑と言われるような暑さの中開会したことも、砂埃経つくらいの風で音が回っちゃうけど楽しげな電気グルーヴが楽しかったことも、遠くから見てたナンバガが遠くにもなんかキリキリした温度が伝わってきたことも、デビューしたてから大人気だった「林檎ちゃん」が、えらい静かな佇まいで演奏する様が怖いくらいだったことも、プリスクールのdependsのイントロ、「ズンズンダン」が照明とリンクしてた絵の印象も、ブランキーの演奏中に会場を彷徨うキュウちゃんとすれ違って一緒に行った彼女と『……んん!!!』と静かに興奮したことも、真夜中のスーパーカー、単なるギターロックを脱した浮遊する音に溺れたことも、明るくなった芝生に寝ぼけ眼で座り込んで、人の頭を超えて聴こえてくるサニーデイに「うわわ…」となったことも、20年以上経った今もよーく、よーく覚えている。

ただ!

最高に大好きだったけど、チケット取ることもできず、「自分、今日初めてで、どんなんなっちゃうかわかんないっす」と固唾を飲んで待っていた、あの、ミッシェル、thee michelle gun elephant(スペル合ってるかな)については…

「赤い照明」という非常にぼんやりした印象しか残ってない!「…ほんとにミッシェル見たんだっけ?」と自分を疑うレベルで。見た後キュウちゃんとすれ違ってるのに。

ミッシェルだけは、あの時あの場所で聴いたという、それだけで、思い残すことがなかったのか。そうだったのか。そうだったんだろう。

その後、ミッシェルに再会できたのはYOYOGI RIOTだけ。ほんとどんなに頑張ってもチケット取れなくて…(優先予約とかもあったのだろうけど、インターネットで情報検索しまくる時代ではなかった)

人生二度のミッシェル体験のうち、片方は「赤い照明」だけのわたくしです。

そして今ではどんなに望んでも(…悲しくなるから以下略)。

以上が、ミッシェルの思い出、がほとんど朧げなこと。

…あの時一緒に行った彼女は、どうしてるだろうか。もうそろそろ子供たちと一緒に起きて、いつもの生活を始める頃合いだろうか。日曜だからもう少し寝てるかな。

起きてきたら、コーヒーを入れて、あの夏の思い出話を、少ししようか。

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