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自己紹介が苦手な人にみる光明。

 私自身もそうでしたが「自己紹介」が苦手な人は案外多いようです。

 表面的な理由としては「なんか恥ずかしいから」とか「何を言っていいかわからないから」とか「大したこと言えないから」とか「気の利いたことが言えないから」とか、そういう理由が挙がるようにも思います。

 私自身も多分に漏れず、自己紹介は苦手な方でした。
仕事上、自己紹介する機会も多く、商売にも関わってくるので、事前に用意した自己紹介文を丸暗記して、平静を装って自己紹介していました。

 「自覚」をしている今、改めてこの自己紹介について、向き合ってみました。

●自己紹介が苦手な人は、自分自身の内側に正直で素直な人。

 自己紹介というのはどのような場合でも、自分自身に対して相手からラベルを貼ってもらうための機会であるとも言えます。

 誰かの自己紹介を聞いている時、どのような人なのか、どのような価値があるのか(ありそうなのか)、仲良くなれそうなのか、どのような話が好きそうか、と、自分勝手にラベルを貼りながら聞いていることが多いのではいないでしょうか。

 必然的に、自己紹介では、貼って欲しいラベルに寄せた自己紹介になりがちです。

 学校に入学した時の自己紹介では、仲良くなれそうだと思ってもらおうとか、面白そうだと思ってもらおうだとか、そういう「意図・自己都合」が働きやすいです。

 恋愛の出会いの場(最近は"合コン"というのは死語らしいので・・・)での自己紹介では、いい人だと思ってもらおうとか、明るそう、面白そう、優しそう、真面目そう、誠実そうと思ってもらおうとか、そういう「意図・自己都合」が働くことが多いように思います。

 会社の面接などの自己紹介では、しっかりしてそうとか、仕事ができそうとか、協調性がありそうだとか、そんなことを思ってもらおうという「意図・自己都合」が働きがちです。

 ビジネスシーンでは、頼りになりそうとか、こういうことをお願いできそうだとか、誠実そうだとか、そういうことを思ってもらおうという「意図・自己都合」が働くかもしれません。

 この「意図・自己都合」がガッツリ乗っかっているということを、どこかで知っているからこそ、その都合から出た言葉を発しているときに、違和感があり、何となく小っ恥ずかしさを感じたりします。

 自分自身の内側に素直で、正直であるからこそ起こる違和感であるとも言えます。

●意図・都合が乗るほど、言葉は嘘くさく、安っぽくなっていく。

 私が自己紹介が苦手だったのは、そういう意図や都合が乗っていることをどこかで知っていたからということもありますが、そこで自身から出てくる自己紹介の言葉にもいつも違和感がありました。

 意図・都合に囚われた私から出る言葉は「それっぽくお化粧された言葉」です、意図・都合が強ければ強いほど、嘘くさく、安っぽくなっていきます。言葉を紡げは紡ぐほど、ハリボテ感が増していきます。

 SNSやどこかのHPには、スーツをバシッと決めて、プロの撮ってもらった写真に、非の打ちどころがないキラキラのプロフィールが溢れていますが、そこに全く心が動かないのは、意図や都合に塗れたハリボテ感をあなたが確かに感じ取っているからです。

 中には、そういうのを見てケロッと鵜呑みにする方もいらっしゃるとは思いますが、それはそれで、起きることが起きるべくして起きているので、悪くはないのです。

●意図・都合から自由になった時、あなたの内側が輝き出す。

 意図・都合に塗れた、お化粧した言葉を使い、おまけに「自然体に見えるように」という都合も乗せていると、顕れは、硬くなり、結果的にこじんまりとしてしまいます。

 そして、そういう自分を責めて「私は陰キャ」だとレッテルを貼り、ますますこじんまりしていく。そこまでではないにしても、もっとこうすればよかった、ああ言えばよかったと反省する。

 これをやってると、都合の上に、さらに都合を上乗せをするようなもので、どこまで行ってもハリボテ感は拭えません。そしてどんどん硬くなり、「自己紹介苦手」とか「コミュニケーション苦手」とか「対人恐怖」とかそういう枠で自分自身を括って、窮屈になっていきます

あなたは、
自己紹介が苦手でも、
コミュニケーションが苦手でも、
コミュ障でも、
対人恐怖でもありません。

そうは言っても、
いざその場になると緊張したり、
もじもじしたりする私が出てくると思いますが、
その私をどうにかしようとするのではなく、
その私に向き合えた時に広がりが起きていきます。

 向き合うというのは、
反省するとか、良いとか悪いとかの判断をするとか、
そいうことではなく、ただそうしている私を知っていく。

 また、意図を無くそう、都合を無くそうとするのではなく、
意図したい私、都合がある私を蔑ろにせず、
丁寧に向き合ってみると、その時広がりが起き、
気がつくと意図・都合があろうがなかろうが、
気にならない私になっていきます。

 どのような私も蔑ろにせずに向き合うことで、
あらゆる都合・あらゆる意図から自由になっていく、
そこに光明があります。

 都合に囚われなければ、意図に囚われなければ、言葉は肚の底から出てきます。その言葉には、言葉では表せないような輝きが乗るようになります。
言葉を超えて、その輝きは、相手にもしっかりと伝わっていきます。

自己紹介は、言葉という狭いもので私を表現するものです、
自ずと窮屈にもなりがちです。
自己紹介に限らず、自分を自分でこじんまりさせ、窮屈にさせています。
その自覚がなくとも、何となく窮屈さを感じているのであれば、
窮屈だと感じている私に意識を向けてみてください。

 自己紹介が苦手な人は、あなたの内側で光る私をどこかで知っています
この記事も、そのあなたの中の私に向けて書いています。



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